そうして、アテナの聖闘士たちが 揃って赴いたギリシャ聖域。 アテナの聖闘士たちの『正体不明のストーカーに、これ以上 怪しい真似をさせない』という目的は、彼等が聖域に到着した途端、実にあっさり達成された。 それだけではない。 聖域に来たことで、瞬の周囲で発生していた覗きや窃盗の犯人は氷河なのではないかという、星矢の疑いもまた、綺麗さっぱり消滅した。 星矢は、大切な仲間を疑ったことを反省し、アテナの聖闘士たちの友情と信頼は 日本脱出以前にも増して強固なものになったのだった。 とはいえ、氷河に対する星矢の疑惑が消滅したのは、日本を離れた途端に 瞬に対するストーカー行為が止んだからではない。 そうではなく――日本を脱出し聖域に来たことで、アテナの聖闘士たちは、瞬にストーカー行為を働いていた犯人の正体を知ることができたのである。 光速の拳を見切ることのできる瞬に気付かれずに 瞬のデザート用フォークを盗み、スパイダーマンかアテナの聖闘士でなければ不可能な風呂場覗きをしてのけた非一般人の正体を。 あろうことか、それは 聖域88人の聖闘士たちの頂点に君臨する、黄金聖闘士たちだった。 日本脱出した星矢たちが聖域に到着した時、黄金ストーカーたちは、こともあろうに、教皇の間に雁首を揃え、彼等の中の誰が最も優れたストーカーであるのかを、互いに主張し合い、醜く言い争っていたのである。 「私の成果が いちばん高い評価を受けるべきものだろう。食事を終えて片付けに入った食器とは訳が違う。アンドロメダの目の前から掠め取ってきたデザート用フォークとストローだ」 「何を言うか。それは、誰でも自由に出入りできるカフェでのことだろう。俺のフォークとスプーンは、厳重なセキュリティ管理下にある城戸邸から奪取してきたものだぞ。それも食器棚にしまってあるものを こそ泥よろしく奪ってきたのではなく、洗い場に運ぶためにワゴンに載せられていたものを、メイドの目をかすめて奪ってきたものなんだ」 「それなら、私が取ってきたタオルとて同じだ」 「あなた方の取ってきたものは、所詮物品。アンドロメダ当人とは別物だ。私が取ってきたのはアンドロメダの身体の一部、アンドロメダの睫毛だぞ」 「貴殿の理屈では、睫毛も所詮 物品だ。私の獲物はアンドロメダの涙。言ってみればアンドロメダの感情を具現したものだ」 「その氷の粒が本当にアンドロメダの涙を凍らせたものだと、どうやって証明するんだ。モバイル機器のアドレスとメールのログこそ、現代における最も価値ある個人情報だ」 「なぜ、そこまで物を軽んじるんだ。私は、アンドロメダが たっぷり30分以上つかった風呂の湯だぞ。複製も容易な電子データと違って、深い趣があるだろう」 ――といった調子で、瞬が盗難紛失に気付いていたものから 気付いていなかったものまで、黄金聖闘士たちは自らの獲物を持ち寄って、誰が最も優れたストーカーなのかを 侃々諤々 わめき合っていたのだ。 聖域にやってきたからには黄金聖闘士たちに挨拶するのが礼儀だろうと殊勝なことを考え、彼等の小宇宙を辿って やってきた教皇の間。 そこで、『こんにちは』を言う前に、黄金聖闘士たちに『我々が助平でヘンタイな痴漢の泥棒だ』と自己紹介されてしまったのである。 青銅聖闘士たちは、それこそ 二の句が継げなかった。 「ストーカーはあんたらだったのかよ! 瞬の睫毛だの涙だの、どーやって盗んだんだ!」 黄金聖衣の意思によって選ばれたからには、(一応)アテナへの忠誠心強固で(一応)人格高潔な有徳者であるはずの男たちを、何とか気を取り直した星矢が怒鳴りつける。 星矢とて、黄金聖闘士たちは欠点の一つもない偉大な男たちであるなどという幻想は とうの昔に捨てていたが、であるにしても これはあまりな話だった。 疲労と落胆を隠せない星矢に同情の視線を投じつつ、紫龍が仲間の質問(むしろ詰問)の無意味を示す。 「ストーカーが黄金聖闘士たちだったというのなら、どうやって盗んだのかは、改めて問うまでもないことだろう。念動力を使える者、人を異次元や あの世に飛ばすことができる者、他者の精神を操ることのできる者たちの集団なんだ、彼等は。しかも、全員が光速拳を使える。彼等には 何を奪うのも容易だろう。ここは むしろ、彼等は なぜそんなことをしたのかと問うべきだ」 紫龍の意見は至極尤も。 星矢は、質問内容を、 「おっさんたち、なんで こんなことしたんだよ!」 に変更した。 黄金聖闘士たちを代表して、黄金聖闘士・ストーカー化の経緯を青銅聖闘士たちに説明してきたのは、元偽教皇にして二重人格の反逆者だった男。 つまり双子座ジェミニのサガだった。 彼は、ふざけているとしか思えないほど真面目な顔で、星矢たちに その辺りの事情を説明してくれた。 「地球温暖化のせいかどうか、先月、聖域は、聖域観測史上 類を見ないほどの高温を記録したのだ。暑さに うんざりした我々は、キグナスに聖域を冷やしに来るよう命じた。しかし、キグナスは、自分の小宇宙はそんなことに使うためにあるのではないと言って、我々の命令を拒否したんだ。そんなことに使う小宇宙があったら、瞬を気持ちよくするためにこそ使うとか何とか、ふざけたことを ほざいてな。そこで我々は、黄金聖闘士の命令を拒否した生意気な ひよっこを懲らしめることにした」 「……はあ?」 黄金聖衣の意思によって選ばれたからには(一応)アテナへの忠誠心強固で(一応)人格高潔な有徳者であるはずの男、しかも偽とはいえ 一時は教皇の地位に就き 聖域を統べていた男が、いったい何を言っているのか。 星矢は、思い切り 素頓狂な声を教皇の間に響き渡らせた。 しかし、最下級の青銅聖闘士ごときには 理解の難しい――まるで訳のわからないことを言う黄金聖闘士は、サガだけではなかったのである。 「我々は、どうすればキグナスに最も大きな打撃を与えられるかを考えた。ここで厳しく罰しておかないと、長幼の序を わきまえていない子供は、将来 ろくな大人にならないだろうからな」 「で、最終的に、キグナスの恋路を邪魔してやろうということで、話が決まったのだ。ひよこの母親の船は既にカミュの手によって我々にも手出しのできないところに沈められていたから、我々にどうこうできるのはアンドロメダだけだったのだ。なにしろ、キグナスがアンドロメダにイカれているのは周知のことだったしな」 「あんたら……」 激しい頭痛がする。 彼等が本当に黄金聖衣の意思によって選ばれた(一応)アテナへの忠誠心強固で(一応)人格高潔な有徳者であるはずの男たちなら、黄金聖衣の見る目も たかが知れている――と、星矢は思った。 「どうして、瞬へのストーカー行為が氷河の恋路を邪魔することになるんだよ」 「ああ、最初のうちは、どうやってキグナスを失恋させるか、その方法を皆で話し合っていたんだが、それにはアンドロメダの心を盗むのがいちばんという話になったんだ。が、キグナスをへこますためとはいえ、アンドロメダに偽りの恋を仕掛けることには人道的な問題があるだろう」 「あんたらに、人として最低限の判断力があってよかったぜ」 「我々は更に話し合いを重ね、最終的に アンドロメダから 心以外のものを盗もうということになった。どうせ盗むなら、より盗むのが難しいものを盗みたいと思うのが人情だろう」 「人情?」 いったい彼等は何を言っているのか。 「そう、人情だ。君たちはリストマニアというのを知っているか」 「リストマニア? 何だよ、それ。データ一覧を作らないと気が済まない病人か何かか?」 本当に、心底から、黄金聖闘士たちの言っていることの意味がわからない。 わからなさすぎて、星矢(及び、彼の仲間たち)は眉根を寄せ、顔をしかめた。 だが、黄金聖闘士たちには、自分たちが訳のわからないことを言っているという自覚が まるでないようだった。 「リストマニアというのは、19世紀に欧州を股にかけて活躍したピアニストにして作曲家、別名 ピアノの魔術師フランツ・リストの熱烈なファンのことだ。今で言うアイドルの追っかけのようなものだな。彼は、まあ、我々ほどではないが 相当の美男子で熱心な女性ファンが多くいたんだ」 「リストマニアである女性たちの中には、リストのタバコの吸い殻を拾い集めたり、リストが泊まったホテルの風呂の湯を飲もうとしたり、彼が忘れていった手袋を奪い合って 取っ組み合いの喧嘩をした者たちもいたそうだ」 「それが瞬とどう関係あるんだよ」 「だから言ったろう。どうせアンドロメダのものを盗むなら、より盗むのが難しいものを盗みたいと思うのが人情だと。ただ盗むだけでは詰まらない。仮にも すべての聖闘士の頂点に立つ黄金聖闘士が、200年も前の婦女子に負けるようでは話にならない。誰が最も盗むのが困難なものを盗んだか、順位を決め、優勝者を決めようということになったのだ」 「優勝者……ストーカーの優勝者……?」 さすがは地上の存亡をかけた戦いを戦い抜くことを生業とし、勝負の世界に身を置くアテナの聖闘士(の頂点に立つ黄金聖闘士)というべきなのだろうか。 たとえヘンタイストーカーとしてでも、彼等は 人後に落ちるストーカーにはなりたくない、最も優れたストーカーでありたいと望むというのか。 黄金聖闘士の思考回路・価値観が、星矢には全く理解できなかった。――理解したくもなかったが。 「それで瞬の風呂を覗いて、食器を盗んで、黄金聖闘士全員が立派な犯罪者になったわけだ。呆れて ものも言えねーぜ」 呆れて ものも言えないのは、瞬と紫龍も同じ。 氷河でさえも同じだった。 黄金聖衣の意思によって選ばれた(一応)アテナへの忠誠心強固で(一応)人格高潔な有徳者であるはずの男たちに、青銅聖闘士たちは揃って 軽蔑の目を向けることになったのである。 しかし、黄金聖闘士たちは、青銅聖闘士たちの軽蔑の視線ごときには たじろぎもしなかった。 彼等はどうやら、他人にどう思われようが――尊敬されようが軽蔑されようが、そんなことはどうでもいいらしい。 彼等はただ ひたすら自分たちの勝敗と優劣だけを気にかけているようだった。 「ちょうどいい。せっかくアンドロメダが来たんだ。ここはアンドロメダに優勝者を決めてもらおうではないか」 どこまでも勝負事が大事、勝利が大事な黄金聖闘士たちが、己れの犯した犯罪を反省する素振りも見せず、よりにもよって 彼等の犯罪の被害者である瞬の前に 自らの盗んできたものを並べ、 「さあ、アンドロメダ。私が( or 俺が or わしが)優勝者だな?」 と迫ってくる。 『ここは やはり、さすがは黄金聖闘士』と言うべきなのだろう。 彼等は、氷河よりも恥を知らず、氷河よりも常識を持ち合わせていない男たちのようだった。 そこに、 「私だろう、優勝者は」 そう言って、真打ち登場とばかりに、足を一歩 前に踏み出した男がいた。 乙女座バルゴのシャカ。 最も神に近い男(と呼ばれている男)である。 その様を見た彼の仲間たち(仲間なのだろうか?)が、一斉に眉をひそめる。 「そういえば、おまえは何を盗んできたんだ。さっきから 一度も獲物を披露していないな」 「てっきり、何も盗めなかったのだと思っていたが」 「アンドロメダの五感は盗めていないようだな。最も神に近い男も、本物の神になったことのあるアンドロメダには手も足も出なかったか」 仲間たち(仲間なのだろうか?)の嘲りの言葉を受けても、シャカは両眼を閉じたまま、泰然自若の姿勢を崩さなかった。 一度 仲間たち(仲間なのだろうか?)を ふっと鼻で笑い、そうしてから 彼は あの独特の甲高い声で、 「私が盗んだものは、もちろん アンドロメダの心だ」 と言ってのけたのである。 「へっ……」 どれほど気取ったところで、ストーカーはストーカー。 ヘンタイはヘンタイである。 瞬の心を盗んだと言い放ったシャカに対する星矢のコメントは、 「あんたはルパン3世かよ」 というものだった。 瞬自身も、そんな大切なものを盗まれた覚えはないらしく、シャカの言葉に きょとんとしている。 「あなたは何を言っているんです。僕の心は ちゃんとここに――」 そう言いながら、瞬が、自身の胸許に右の手を持っていく。 次の瞬間、教皇の間に響いたのは、 「な……ないっ !! 」 という瞬の悲鳴じみた声だった。 |