アイドルは、恋する者の直感で、氷河が自分の恋の最大の障害物だということに気付いているようだった。
そして、だが、恋する者の一途さが 彼の目と危機感知能力を曇らせているのか、彼は 氷河を恐ろしいと感じることができないらしい。
機嫌の悪い時の氷河には、星矢や紫龍でさえ 極力 彼の視界の内に入ることを避けるのに、アイドルは氷河のいるところでも 一向に臆することなく瞬へのアプローチを試みる。
星矢と紫龍は、そのたびに、心臓が凍りつくような恐怖に襲われ、それこそ生きた心地もしなかった。

「聖闘士 VS アイドルかあ。畑が違いすぎて、どっちが有利なのかさえ わからないぜ」
「いや、これはむしろ、マザコン VS マザコンの戦いと言うべきだろう。武器が同じすぎて、瞬がどう出るのかの見極めがつかない」
「あ、そういう見方もあるのか。でも、そっか。確かに、瞬には、小宇宙や歌なんかより、マザコンっていう武器の方が有効そうだもんな」
生きた心地はしなくても、言いたいことは言う。
それがアテナの聖闘士たちの慣習だった。
こういう状況下で、臭い物に蓋、障らぬ神に祟りなしを決め込むには、あまりにも 彼等は仲間でありすぎた(・・・・・・・・)である。
命をかけた戦いを共に戦ってきた仲間同士。彼等の間には、たとえ どれほど耳に痛い真実を告げ合っても、その真実が仲間の心を傷付けることがあっても、自分たちの絆は 決して壊れることはないという絶対の信頼があった。

更に言うなら、上下動の激しい氷河の情動には ひやひやさせられるが、氷河のそれが 本当に危険領域に至ったとしても 自分たちには瞬という強力なストッパーがついているという安心感が――それは、甘えと言ってもいいかもしれない――彼等にはあったのだ。
この場合 問題なのは、その甘えが氷河にもあるということだったかもしれない。
「あのアイドルの武器は、奴にとっての不都合が生じると また歌えなくなるかもしれないということだろう。その弱みを武器に、奴は瞬の気を引こうとしている。奴は、自分の弱さを武器にして、瞬を自分の側に置こうとしているんだ」
アイドル当人が それを自覚しているのかどうかということは さておくとして、氷河の言うことは確かな事実である。
だが、星矢たちは、その事実を責める権利は氷河にはないと思っていた。

「最初に その手を使ったのは おまえだろ。マーマがいなくて寂しいとか、マーマの死に傷心しているとか、そんな振りして、おまえは瞬の同情を引いたろ」
「……」
自分が何をしているのかの自覚ができているのかどうか わからないアイドルと違って、氷河には その自覚が明瞭にあった。
幼い頃や 聖衣を得て瞬に再会した当初は その自覚はなかったが――氷河は むしろ、瞬の心を手に入れてから その事実に気付いたのである。
傷付き 弱っている人間に手を差しのべずにいられない瞬の性癖に。
そして、氷河は、その性癖を利用することを覚えた――のだ。

「だが、あいつは、アテナの聖闘士じゃない。俺たちの仲間じゃない」
「仲間なら、瞬の優しさに つけ込むことが許されて、仲間じゃなかったら許されないってのか? 氷河、おまえ、そりゃ勝手がすぎるだろ」
「……」
勝手すぎることも、もちろん ちゃんと自覚できている。
だが、人間には、どんな自分勝手を通して どんな卑怯な手を使っても、必ず手に入れたいもの、決して失いたくないものというのが存在するのだ。
「ったく、しょーがねーなー」
黙り込んでしまった氷河を、星矢たちが それ以上責めることができなかったのは、氷河が自分の卑劣を自覚していることを 彼等が知っているから。
そして、歯に衣着せず責めることはしても、結局 彼等にとって 氷河は大切な仲間だったから――だった。






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