仲間だったから――仲間のために、その日、星矢と紫龍は体育館の裏ならぬ城戸邸の裏庭に、アイドルを呼び出したのである。
国民のアイドルという仕事は もちろん意義深く価値のある仕事なのだろうが、地上の平和と安寧を守るアテナの聖闘士の仕事も 同様に 意義深く重要な仕事。
万に一つでも、氷河が瞬を失って アテナの聖闘士として戦えなくなるようなことがあってはならない。
地上の平和のため、人類の存続のため、何より仲間の幸福のため、星矢たちはアイドルに引き下がってもらわなければならなかったのだ。

「あのさあ、すっごく悪いとは思うんだけどさあ、あんた、瞬のことは諦めてくれないかな」
「なぜです。僕は瞬さんが好きで、僕には瞬さんが必要です」
氷河の睥睨にも ひるめないほど 恋から強い力を得ているらしいアイドルは、当然のことながら 星矢の要求を一蹴してきた。
「うん、瞬もそうなら、俺も何も言わないんだけどさー。でも、ここは――」
善良な一般人には、歯に衣着せぬ言い方はできない。
星矢は自然に 奥歯に物の はさまったような言い方になった。
「瞬さんが、僕がいては迷惑だと言ったんですか! あなた方が僕を ここに呼び出したのは、瞬さんに頼まれたからですか !? 」
恋するアイドルは、恋のせいで氷河並みに凶暴になっている。
星矢も紫龍も 興奮状態の男には 氷河で慣れていたので、善良な一般人の憤怒ごときに動じることはなかったのだが、アイドルの その発言は 星矢には聞き捨てならないものだった。

「瞬が俺たちに んなこと頼むわけないだろ! 瞬は――」
「僕ねえ、拓斗さんが歌っているのを聞くまで、『はるかな友に』が子守歌だってことに気付かずにいたんだよ」
『瞬が 仲間に そんなことを頼める奴だったなら、俺たちだって こんなことに首を突っ込んだりしない』
そう言って アイドルの不見識を責めようとしていた星矢を邪魔したのは、他ならぬ瞬――星矢が庇おうとしていた当の瞬の声だった。
表の庭から まわってきたらしい瞬の隣りには 氷河がいる。
どうやら瞬は、仲間たちの目耳のあるところでは話しにくい話をするために、氷河をここに連れてきたらしい。
「満員御礼だな。確かに、人目を避けて話をするには ここは最適だが」
ごく低い声で、星矢たちに 紫龍がそう言う。
それは、人目を避けて為される氷河と瞬の会話を盗み聞こうという、アイドルたちへの合図になっていた。

「子守歌は 本当は、子供のためのものじゃなく、子供のお守りをする人の心を優しくするためにあるって聞いたことがある。そういうものなのかな」
人目に避けて為される氷河と瞬の会話は、意外や のんびりしたものだった。
アイドルの登場以来ずっと 氷河の機嫌が悪いことには気付いているのだろうが、瞬の口調は ごく穏やか。
瞬に 裏庭に連れてこられた氷河の胸中も穏やかでいるのかどうかということまでは、星矢たちにも量りかねることだったが。

「拓斗さんには子守歌なんだろうけど、あの歌は、僕にはやっぱり友だちを懐かしむ歌なんだ。アンドロメダ島の浜で、空いっぱいの星を見詰めながら、僕、あの歌を一人で口ずさんだことがある。僕の友だちは 今どうしてるんだろうって思いながら」
「瞬……」
「ほんの小さな頃から、僕たちは仲間だった。同じ悲しみと同じ苦しみを耐えてきた同志で、つらくて 悲しくて寂しかった僕の心を 力づけ、励ましてくれた支えで、救いで、力の源で――兄さんや氷河や星矢や紫龍は、特別。何があっても、いちばんの特別。それは絶対に変わらないことだよ」
「瞬、それは――」
「だから、もう しばらく 僕の我儘を許して。拓斗さんが本当に一人で立っていられるようになるまで」
「……」

瞬がいつ 我儘を言ったというのか――星矢は そう思ったのである。
氷河が 瞬に甘え我儘を言ったことはあっても、その逆は ただの一度もなかったと。
そう思い、だが、すぐに考え直す。
今の瞬は――瞬もまた、氷河に甘え我儘を言っているのだ。
仲間だから――仲間だから、我慢してくれと。
瞬の我儘が 氷河のそれと違うのは、その我儘によって益を得るのが瞬自身ではないということだけだった。
だから、氷河も、瞬の我儘を受け入れないわけにはいかないのである。

瞬の我儘が誰のために為されるものなのか、そのために 誰が己れの心を殺しているのか――。
“アイドルなのに頭がいい”アイドルには、不幸にして、その答えがはっきりとわかってしまったようだった。
「僕は、もっと小さな頃に 瞬さんに会いたかった……」
星矢の横で、つらそうにアイドルが呟く。
マザコン VS マザコンの戦い。
氷河に一日の長があったとすれば、それは まさに、氷河がアイドルより早く瞬に巡り会ったという、その一事だけなのかもしれなかった。






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