翌朝、久し振りに安らかな眠りを堪能した星矢は、昨夜の深く質のよい眠りに 大いに満足し、極めて爽やかな目覚めの時を迎えた。
爽快な気分で自室を出、いつもの通りに 朝食をとるべくダイニングルームに向かう。
今日は良い日になりそうだという、星矢の明るい予感は、だが、彼の起床後 僅か15分で 儚く砕け散ることになったのである。
というのは他でもない。
ダイニングルームに到着する前に、星矢は 何者かによってラウンジに引きずり込まれ、そこで吊るし上げを食らうことになってしまったのだ。
ラウンジという名の拷問部屋に星矢を引きずり込んだのは、某白鳥座の聖闘士。
瞬のピンクの小宇宙ほど 対応は難しくないが、即座に死に直結する 絶対零度の冷たく青白い小宇宙の持ち主だった。

「貴様が瞬に余計なことを言ってくれたおかげで、俺は夕べ 瞬の部屋に入れてもらうことができなかったんだぞ! たった今も、瞬は自分の部屋に閉じこもったままだ。貴様、この始末をどうつけてくれる!」
「そ……そんなこと言われたって、おまえはそう言うけどさ、じゃあ、俺の睡眠不足はどうしてくれるんだよ! 俺に、睡眠不足で死ねってのかよ! 仲間の命と健康を守るために、少しは我慢しろよ!」
冷静になって考えてみれば、瞬は 自ら望んで あの凶悪なピンクの小宇宙を毎晩 生んでいるわけではないのだ。
万一、瞬が それを望んでいるのだとしても、氷河が行動を起こさなければ、瞬が あの小宇宙を生むことはない。
瞬にピンクの小宇宙を生ませているのは氷河。
星矢の睡眠を妨げているのは氷河。
すべての元凶は氷河なのだ。

それは つまり、瞬が自重しても問題は根本的解決を見ないということ。
氷河が、仲間の基本的人権を守るために彼自身を抑制することによってのみ、瞬のピンクの小宇宙問題は真の解決に至るのだ――ということだった。
あいにく、氷河の辞書に“自制”“抑制”といった単語は掲載されていないようだったが。
「我慢? 我慢なんか できるわけがないだろう! これまで我慢できるだけ我慢して、もう我慢がきかないと思ったから、俺は 瞬を俺のものにしたんだ。俺は瞬が好きで 体力も性欲も あり余っている。それは 瞬も同じだ。『我慢しろ』なんて、そんなのは、やりたくても できなくなった80、90の爺が分別顔で 意気盛んな若者に言うセリフだ! おまえは いつから そんな爺になったんだ!」
氷河の意見に正面から大上段に反論する気はないが、彼が例として出した年齢に、星矢は引っ掛かりを覚えてしまったのである。

「80、90って、おまえ、60、70までは やる気満々でいるつもりかよ」
「何を言う。俺は100になっても元気に現役でいるぞ」
「おまえなら、そうかもなー……」
自信に満ち満ちて そう断言する氷河の前で、星矢は 両の肩をがっくりと落とし、長い吐息を洩らした。
考えようによっては、それは大層立派なことなのかもしれないが、とても 氷河を尊敬する気にはなれない。
星矢の吐息と脱力は、もちろん軽蔑の念によるものだった。

星矢に軽蔑されたところで、氷河は痛くも痒くもなかっただろうが、星矢が瞬に ピンクの小宇宙発生を許可しない限り、自分は我慢の日々を強いられると、氷河は考えたのだろう。
彼は、彼の青白い小宇宙の力を少し弱め、星矢説得を開始したのである。
「おまえだって、一応 男なんだから わかるだろう。若き青春の日々の抑え難い衝動、熱い情熱のほとばしり」
「わかんねーわけじゃねーけど、俺、カノジョいねーからなー」
体力やタフさで白鳥座の聖闘士に劣るとは考えにくい天馬座の聖闘士が、極めて緊迫感・切迫感を欠いた のんびりした口調で、仲間に答えてくる。
そんな星矢とは対照的に、緊迫し、切迫し、焦っていた氷河は、星矢の悠長な声と態度に苛立ち、再び 青白い小宇宙を燃え立たせ始めた。

そこに、
「そういえば、おまえは、俺たちの中では いちばん婦女子にもてるのに、なぜか特定の彼女を作らないな」
と言って割り込んできたのは、某龍座の聖闘士だった。
彼は、定刻になっても食卓に現れない仲間たちを訝って、わざわざ ダイニングルームからラウンジにまで確認にやってきたものらしい。
「カノジョなんて、面倒そうじゃん」
紫龍の疑念に 星矢がそう応じたのは、とにかく この場の話題を、“若き青春の日々の抑え難い衝動、熱い情熱のほとばしり”から 少しでも離れた場所に持っていきたいと考えたからだった。
じわじわと聖闘士の心身をむしばむ瞬のピンクの小宇宙も厄介だが、氷河の青白い小宇宙は、へたをすると彼の標的に即時の死をもたらす。
地上の平和と安寧を守るアテナの聖闘士の一人として、星矢はここで死ぬわけにはいかなかったのだ。

『カノジョなんて、面倒』
氷河の小宇宙から自らの命を守るために そう答えた星矢は、自分が口にした その答えを聞いて、ふと ある疑念を胸中に抱くことになったのである。
それは、自分は『カノジョなんて、面倒』だったのではなく、『カノジョなど、不要』だったのではないかという疑いだった。
カノジョなどいなくても、身のまわりのことなら、何にでも気がつく瞬がいて 日々 細やかに仲間たちの世話を焼いてくれる。
瞬の姿を見ていれば 目の保養もでき、気持ちが荒んでいる時には 瞬の優しさが 荒ぶる心を癒してくれる。
だから、そういった次元で、星矢はカノジョなるものを必要としていなかった。
瞬がいれば 十分だったのだ。
その瞬を氷河に取られたから、自分は 瞬のピンクの小宇宙に苛立っていたのかもしれない。そういう側面もあったかもしれない――。
星矢は、そう思ったのである。
まさか氷河にそんなことを言えるわけもなく、星矢は その考えを言葉にはしなかったが。

氷河は氷河で、この事態を解決できるのは星矢だけだという思いがあるので、どれほど苛立っても、星矢に決定的な打撃を加えることはできない。
結局 氷河は その小宇宙を静め、紫龍が持ち出してきた話題に乗ることにしたのだった。
少しく――否、かなり――苛立ちながら。
「こいつの場合は、彼女を作らないことより、なぜ こいつが あんなに女に もてるのかということの方が、より深い謎だろう。どうして、こんな、ガキで、デリカシーがなくて、気の利いたセリフも言えず、破天荒で、生活力もなさそうで、周囲の迷惑を顧みない猪突猛進、極めつけのトラブルメーカーのこいつが、ああも女に もてるんだ。聖闘士世界の七不思議だ」

氷河はもちろん、七不思議の他の六つを知らなかったが、星矢は別の大きな不思議を一つ知っていた。
すなわち、
「俺が もてることが、氷河と瞬がくっついたことより 深い謎だとは思わねーけどなー」
という謎を。
もっとも、その謎は、紫龍が あっさりと解明してくれたのだが。
「瞬は、押しに弱いだけだろう。でなければ、とんでもなく寛容で悪趣味なんだ。そんなことは 大した謎じゃない。……が、確かに星矢は婦女子に もてるな。もてる要素はあまりないように思えるのに」
「もてる要素がなくて悪かったな! 女の考えてることなんか、俺にわかるか。そんなことより、今は 俺の寝不足を解消する方法を真面目に考えてくれよ!」
「ん? あ、ああ、そうか」

氷河は、彼の敵に即死を招く超低温の小宇宙を 既に静めていた。
瞬に夜の生活を拒まれるという事態に直面して気が立っていた氷河も、話し合いの席に着ける程度には、冷静さを取り戻すことができたらしい。
瞬は 一向に 閉じこもった部屋から出てくる気配がなかったが、それはそれで 男同士の話し合いをするには好都合。
ダイニングルームで 簡単に朝食を済ませた星矢、紫龍、氷河の三人は、再度ラウンジに移動すると、そこで、瞬のピンクの小宇宙問題についての話し合いを 本腰を入れて開始したのである。
とはいえ、それは、『瞬のピンクの小宇宙の発生頻度を 週2回以内に抑えてくれたなら、これまで通り我慢してやってもいい』という星矢の妥協案を、氷河が断固として拒むところから始まったのだが。






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