「瞬は、料理は習っていないだろうな。おまえたちの聖闘士修行のカリキュラムの中にあったか? 調理実習なんてものが」
「自然水から飲み水を作る方法とか、食える草と食えない草の見分け方みたいな、サバイバル術は教えてもらったぜ。魔鈴さん、そういうのが滅茶苦茶 得意でさー」
「俺も、トドやアザラシの解体はマスターしたが、基本的に仕留めた海獣の肉や皮は コホーテク村に寄贈していたからな。そうして、調理済みの料理や 生活必需品の類を分けてもらっていた」
「瞬も同じだろう。俺たちの修行地とは違って、付近に人家が全くない場所では、生命の維持が最優先課題。火を起こす術や、塩を作る方法は学んでも、料理など――習っていたとしても、せいぜい保存食の作り方くらいのものなのではないか? 燻製の作り方とか、塩漬けの方法とか」
「……」

紫龍の推察は実に論理的、かつ説得力があった。
となれば、どう考えても、瞬に美味い手料理は期待できない。
瞬の手料理で『あーん』など、それこそ夢のまた夢。
瞬の仲間たちはそう思ったのである。
「で……でも、そこはさ、愛する氷河のために瞬も頑張るだろ!」
黙り込んでしまった氷河に、今は とにかく安眠を手に入れたい星矢が、またしても無責任に言い募る。
そんな星矢を、氷河は思い切り 険しい目で睨みつけた。

「俺のために頑張って作ってくれた瞬の料理が、死ぬほど不味くて 到底食えないようなものだったらどうするんだ」
「我慢して食うしかねーんじゃねーか? 飯が不味くても、思う存分やれることの方が、おまえ的には重要なことだろ? 食欲と性欲を比べたら、今のおまえは 性欲の方がプライオリティが高いんだろ?」
そして、星矢は睡眠欲が。
『おまえのプライオリティは』と星矢は言うが、ここで肝心なのは、白鳥座の聖闘士もまた 一個の人間だという事実だったろう。
生物としてのヒトにおいては、食欲より睡眠欲の方が強く、性欲よりも食欲の方が強い。
そして、白鳥座の聖闘士の欲望のプライオリティが 生物としてのヒトのプライオリティに優先することは、さすがに考えられない。
恋に夢中になり、愛の欲望に囚われている男でも、腹は減るのだ。

「それはそうだが、人間、食い物を食わないと死ぬからな」
愛も恋も命あっての物種。
命があるから、人は愛や恋に うつつを抜かすことができるのだ。
「我慢して瞬の料理を食うとして――俺はいつまで 不味い飯を我慢すればいいんだ」
「瞬が料理がうまくなるまでだろ」
「瞬はいつ 料理がうまくなってくれるんだ」
「知るかよ。そんなことまで」
「永遠にうまくならなかったら、どうするんだ」
「永遠に耐えるしかないだろ。それくらい耐えろよ。おまえは瞬が好きなんだろ。好きなら、耐えられるだろ!」
「あのなあ!」

もちろん、耐えられる――耐えることはできる。
耐えなければ瞬を失うことになるという状況下でなら、氷河はもちろん、いくらでも耐えるつもりだった。
しかし、今 アテナの聖闘士たちが置かれている状況は、白鳥座の聖闘士が不味い料理に耐えなくても、瞬を失わずに済む状況である。
要するに、星矢が――耐えるものは違うにしても星矢が――耐えればいいだけのことなのだ。
ゆえに、氷河は、自分が永遠に不味い料理に耐え続けるという解決策を快く受け入れる気にはなれなかったのである。
「俺に死ねというのか! 自慢じゃないが、俺は これまで不味い料理なんてものを食ったことがないんだぞ。マーマは料理がうまかったし、ヤコフもうまいもんだった。城戸邸では毎日の食事を和洋中華のプロが作っている。無論、俺は料理なんてしたこともない」
「威張るなよ、んなことで!」

瞬に美味い料理を期待することはしても、自分は料理をマスターするつもりがないらしい氷河に、星矢が呆れた顔になる。
星矢だけでなく紫龍も――自らは何の努力もせずに 楽で快い状況を手に入れようとする氷河の姿勢には大いに呆れていた。
だが、トドやアザラシの解体方法しか知らず、基本的に周囲を見ない男が、料理の基本を一から学ぶより、人に対する思い遣りの心を持ち、正しい目的(自分が正しいと認めた目的)のためになら努力を惜しまない瞬の方が、より速やかに料理の技術を体得することができるだろうという考えも、紫龍の中にはあったのである。
ここは氷河に期待するより 瞬の可能性に賭ける方が、より現実的で有効な方策だろうと、彼は思った。

「美味いなら美味い、不味いなら不味いと、本当のことを言って、瞬に精進してもらうしかないのではないか」
「瞬が俺のために一生懸命作ってくれたものを 不味いと言えというのか! それで瞬が泣くようなことになったら、どうしてくれる」
「泣かせたくないなら、耐えるしかないだろ」
「聖闘士は身体が資本。俺に、不味い飯で弱った身体で敵と戦えというのか! 空腹や体調不良のせいで、俺が思うように戦えなかったらどうするんだ! それで地上が滅亡してしまったら、貴様等が その責任をとってくれるのか !? いったい どうやって!」

いっそ、『おまえ一人の力が欠けるくらいのことで、大局に影響が生じることはない』という事実を氷河に言ってやろうかと思ったのである、星矢は。
星矢が その言葉を口にしてしまわなかったのは、こんな自分勝手な男でも仲間は仲間だと思うからだった。
とはいえ、だからといって 何も言わずにいることもできなかったので、星矢は氷河に苦言を呈することだけはした。
それも これも、この我儘男を仲間と思えばこそのことである。

「おまえ、あれも これも どれも 自分の望む通りじゃないと やだやだって駄々こねるけど、少しは我慢することを覚えろよ!」
友情が言わせた星矢の苦言を、
「我慢という行為は、向上心を殺ぎ、成長を妨げる」
の一言で、氷河が撥ねつける。
ここまでくると、もはや処置なし、打つ手なし。
あまりに ご立派な氷河の ご高説に、星矢は 果てしない疲労感を覚え、反論する気力も湧いてこなかった。
そんな星矢に同情した紫龍が、希望の闘士らしく、仲間たちに 一筋の光明を示して見せる。

「二人共、冷静になれ。もしかすると 瞬が料理がへただと決めつけるのは早計かもしれないのに、おまえたちが対立し合っていても何にもならん。俺たちは ここでこうして話し合う前に、まず現実を確認するべきだったんだ。瞬が本当に料理がへたなのかどうかを」
「へ?」
希望はアテナの聖闘士たちの大好物である。
「あ、そっか」
星矢はもちろん、紫龍が指し示した一つの希望に すぐに食らいついた。
「そうだよな! まず現状確認が大事だよな。氷河と瞬が二人暮らしを始める前にさ、試しに瞬に料理を作ってもらおうぜ。瞬の料理の腕前を見極めて、具体的に計画を進めるのはそれからだ。瞬の奴、意外に料理がうまいかもしれないし、だとしたら、俺たちがここでこうして 耐えるの耐えないのって話し合うこと自体が無意味だ。それにもし瞬が料理をしたことがなくても、瞬は几帳面だし、人の言うこと 大人しくきくし、性格も素直だし、頭の方も柔軟で、基本的に真面目で努力家だから、レシピ本をプレゼントすれば、その通りにうまく作ってくれるかもしれない」
「そうだな。瞬は おまえたちと違って、真面目で器用だ。期待はできる」
「うむ。瞬は貴様等と違って、健気で献身的だ。その可能性はある」
「そうそう。瞬はおまえ等と違って、平等主義者で偉ぶったりしない奴だもんな。望みはあるよな」
「……」
「……」
「……」

三人のアテナの聖闘士たちの話し合いは、めでたく『まず 瞬の料理の腕を確認してみよう』で まとまったというのに、三人の間に険悪な空気が流れ始める。
「……瞬がいないと、場の雰囲気が悪くなるな」
なぜか悪くなってしまった雰囲気の中で、そう呟いたのは龍座の聖闘士だった。
命をかけた戦いを共に戦ってきた仲間同士とはいえ、性格も違い、価値観も違い、やたらと自分の意思を通そうとするところだけが似ているアテナの聖闘士たちが、これまでずっと仲間でいられた訳。
それは、常に人を立て 控えめで、自分以外の人間への思い遣りの心に満ち、柔軟で 人当たりのいい瞬という調停役が、個性の強いアテナの聖闘士たちの緩衝材になってくれていたからだったのではないか。
紫龍は、その時、そう思っていたのである。

瞬がいるからこそ、放浪癖のある瞬の兄も、仲間たちの許に帰ってくる。
いわば、瞬はアテナの聖闘士たちという扇の要、ともすれば 好き勝手な方向に走り出したがるアテナの聖闘士たちを まとめ繋ぐ(かすがい)、アテナの聖闘士たちという集団の中枢にして中核。
その瞬が、仲間の健康を守るためとはいえ城戸邸を出ていってしまったら、アテナの聖闘士たちは そのまとまりを失い、空中分解してしまうのではないか――。
氷河と瞬の二人暮らしというアイデアを提示したのは彼自身だったというのに――だからこそ、なおさら――紫龍は、本当にこれでいいのだろうかという不安を覚えることになったのである。


仲間たちの中で自分が果たしている役割に 瞬が気付いているとは思えなかったが、城戸邸を出て 氷河と二人暮らしを始めてみてはどうかという提案に、瞬は難色を示してきた。
「氷河との二人暮らしが嫌だっていうんじゃないんだけど、僕、みんなが一緒にいるのがいいな……」
乗り気な様子を見せない瞬を、星矢は、
「別にシベリアや聖域みたいに遠いところに行くっていうんじゃないんだから、毎日 城戸邸に遊びにくればいいだろ、お出掛けごっこだよ。そん時の お土産は うさぎ屋のドラ焼きか 皇朝の中華まんで よろしくな」
と言って説得し、その料理の腕を仲間たちの前に披露することを承知させたのである。
まずは基本中の基本ということで、オーダーはプレーンオムレツ。
星矢は 城戸邸の図書室で見付けてきたレシピ本と共に、健闘を祈る言葉を瞬に贈ったのだった。






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