「僕は必ず 陛下の期待に応え、イスの都の王の謎を解いて、陛下の お心を安らげてみせます……!」
それだけを告げて、瞬は すぐに王の部屋から辞去するつもりだった。
瞬が そうすることができなかったのは、数十日振りに 王の瞳を間近に見、その瞳が たたえている苦渋の深さに驚いて、瞬の足が すくんでしまったから。
絶望的といっていいほどに 冷たく冴えた その瞳が、その冷たさにも かかわらず熱く燃え、瞬の身体をがんじがらめにして、瞬に身動きすることすら許してくれなかったからだった。

この瞳、この眼差しに、瞬は これまでに幾度も出会ったことがあった。
“氷河”が“瞬”を求めている時の瞳、眼差し。
王は すぐに自分を抱きしめ、この身体に むしゃぶりついてくるだろう――。
瞬は、そう思ったのである。
だが、王は、瞬に触れてこなかった。
瞳の奥の炎を 恐るべき意思の力で抑えつけ――否、そうではない。
王の苦渋は それほどに――他の どんな感情より強く深く、他のどんな力も 王の苦渋を消し去ることはできないのだ。
男の――肉体の欲望ですら、その苦渋の深さを凌駕できずにいる――。

「おまえは 何を誤解しているんだ。俺が おまえを遠ざけたのは、そんなことのためではない」
「え……」
それでは いったい何のために?
自分は王に期待されているのだと思うことで、王の側にいることのできない苦しさに耐えていた瞬には、王の その言葉はつらいものだった。
王は、では、ただ自分が邪魔になっただけなのか。
だから、これほど王を慕っている家臣を 王の側から追い払ったのか。
泣きたい気持ちになって唇を噛みしめた瞬を見詰める王の瞳は、だが、瞬より更に苦しそうだった。
やがて、王が、すべてを諦めたように――まるで死を覚悟した人間のように、力と抑揚のない声で、瞬に尋ねてくる。

「俺の前のイスの都の王――幾百人ものイスの都の王たちが、どこに行ったのかを、おまえは知っているか」
「わ……わかりません。でも、あんなに たくさんの王が痕跡も残さずに消えてしまうなんて、尋常では考えられないことなので、もしかしたら神によって消され――いえ、どこかに連れ去られてしまったのではないかと……」
自分は王に期待されていたわけではなかったことを知らされた衝撃が後を引き、瞬は つい、自分がこれまでに考えていた可能性の中で最悪のものを口にしてしまっていた。
それは 王の不吉な未来を示すもので、王の心を安んじさせるどころか、王を更に苦しませるだけのものだったに違いないのに、王は、瞬の推論を聞いても 特に心を乱された様子は見せなかった。
軽く首を横に振り、
「違う。いや、違わない」
と、あやふやな答えを返してくる。
そうしてから、彼は、また苦しげに その眉根を寄せた。

「王でいることが こんなに苦しいことだったとは……。なぜ おまえは俺の前に現れたんだ。なぜ 俺はこんなにも おまえに惹かれるんだ……!」
「……陛下……?」
王は もしかしたら最初から――瞬の謎解きを期待するまでもなく、イスの都の王たる者の運命を知っていたのだろうか?
にもかかわらず、王を苦しめていたものは、彼の不吉な未来ではなく、一心に彼に仕える侍従の存在だったのだろうか――。
王の悲嘆の声に、瞬の心は乱れ、痛み、そして ときめいた。
『それは、あなたが氷河だから』
そう答えようとして、だが、直前で思いとどまる。
そんな理由より、瞬には王に知ってもらいたい事実があったのだ。

「僕も、僕が なぜ陛下にこんなに惹かれてしまうのかわかりません」
「これは神の企みなのか……。王になど なるのではなかった。誰も愛さなければ、それでいいのだと思っていたのに。容易に そうできると思っていたのに……」
まるで 瞬の告白など聞いていないかのように 低く呻き、王が 瞬の身体を ふいに強く抱きしめてくる。
「陛下……氷河……」
何十日振りかで触れる、氷河の身体、氷河の腕と胸、そして唇。
瞬は、その熱に陶然とした。

王は“瞬”を愛してはならないとでも 思い込んでいたのだろうか?
だから、“瞬”を自分から遠ざけようとしたのだろうか。
そんなことをしても無駄に決まっているのに。
“氷河”が“氷河”である限り、それは無駄なこと。
それは、神にも変えることのできない――それこそ、運命の神にも変えることのできない――言うなれば“必然”なのだ。
“氷河”が“瞬”を欲しがっていることが、“瞬”にはわかっていた――感じ取れていた。
氷河を好きでたまらないから、瞬には それがわかった。

氷河は寂しがりやで、彼が生きているためには、愛する人が必要。
自分が愛する人に愛されたいと、氷河は いつも願っている。
氷河は、自分が一人であることが嫌なのだ。
そういう“氷河”を、“瞬”は知っている――わかっている。
“瞬”がそれを わかっているから、“氷河”は“瞬”を愛した。
“瞬”は、“氷河”の愛がどれほど強く深く我儘でも、すべてを受け入れることができる。
その強さ深さに 恐れおののくことはない。
そして、“瞬”は“氷河”に 氷河の愛情より強く深い愛を返すことができる。
“氷河”に愛する人が必要であるように、“瞬”にも愛する人が必要――“瞬”に どれほど強く深く愛されても、その愛を恐れないほど 愛を必要としている人が、“瞬”には必要だったから。
二人は そういう二人だから――“氷河”と“瞬”が惹かれあうことは、運命よりも強い必然だったのだ。

「あっ……あっ……ああ……!」
瞬は、王の前に身体を開くことに どんな ためらいも覚えなかった。
氷河の愛撫の仕方なら知り尽くしている。
どうすれば氷河が喜ぶのかも知り尽くしている。
『ためらわなければならない』と思わなければならないほど ためらうことができずにいるような王の愛撫を、瞬は、すべて受け入れ、呑み込んだ。

巧みなのに、幼い子供のように がむしゃらで我儘な氷河の愛撫。
指、脚、唇――触れ合う欲望が満たされ、肌が温まりきると、次には、瞬を昂ぶらせ燃え上がらせるゲームに興じるように、瞬の身体を探検し始める氷河。
だが 結局、先に我慢できなくなるのは、いつも氷河の方なのだ。

瞬が知る通りの愛撫。
自分が始めたゲームを勝手に中断し、瞬の中に入ってくる氷河。
瞬に悲鳴をあげさせてから、
「すまん」
と謝るのも、謝った側から。
「瞬、もう少し、我慢してくれ」
と、瞬に我儘な“お願い”をしてくるのも、いつもの氷河だった。
そんな氷河の肩や背に しがみつき、瞬は、
「我慢してなんか いない。もっと――」
と言ってるのだ。

もちろん、痛い。
その痛みに必死に耐えてはいるのだが、もっと そうしてほしいと思う気持ちは 決して嘘ではない。
『もっと』と言えば、氷河は喜ぶ。
喜んで、更に 我儘な子供のように 我を忘れていく。
そんな氷河を身体の奥に感じるのが、瞬は好きだった。

イスの都の王と 彼に仕える瞬が 肌を触れ合わせ、身体を交えるのは これが初めてである。
そのはずだった。
イスの都の王の心のどこかには、『自分は ためらわなければ ならない』と思う気持ちがあるようで、彼の愛撫には 氷河のそれより ぎこちないところが 確かにあった。
だが、彼の欲望は もしかしたら、毎夜 当然のように瞬の身体を貪っていた氷河より 激しいものだったかもしれない。

“僕”は、イスの都の民なのか。
それとも“瞬”なのか。
“僕”を組み敷き、“僕”に締めつけられて喜んでいる この人は、イスの都の王なのか、それとも“氷河”なのか。
抱き合い、絡み合い、突き刺し、呑み込んでいる二人の意識が判然としていないことが、既に その身の内に氷河を呑み込んでいるというのに、更に瞬の身体を疼かせた。
「ああ……もっと……もっと、氷河、僕、まだ正気が残ってるの。早く、もっと、氷河、僕を――」
そんなふうに、言葉らしい言葉を口にしていられるのも、あと少し。
瞬が そう思った瞬間に、瞬から最後の正気を奪う一撃が氷河によって加えられ、それは 瞬の身体を真っ二つに切り裂いた――瞬は そう感じた。
「あああああ……っ!」

ここから先は、氷河の独壇場。
瞬は彼に揺さぶられ、翻弄されるしかない。
瞬は、イスの都にやってきて初めて、ちゃんと眠れる夜を過ごすことができるという予感の中で 固く目を閉じた。
氷河の律動に合わせて 瞬の身体はまだ間歇的な喘ぎ声をあげていたが、それも やがては途切れるだろう。
瞬の心は既に安らいでいた。
愛する人に求められ、求め、満たされ、満たせることが嬉しくてならない。
人は、どんな時代、どんな場所、どんな境遇に生きていようと、その本質は変わらない。
変わるのは、身に着ける衣装と、信じる神の名だけなのだ。






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