氷河が その決意を新たにした翌日だった。 城戸邸の厨房に納品されたオーブンが当初の見積もりより大きかったために、所定の場所に収めるべく、他の調理器具や食器棚の移動を頼まれた聖闘士たちが、その作業に いそしんでいた時。 「氷河、髪が目にかかって――」 「触るなっ!」 来客用の食器セットを収めたスチール製のキャビネットを運んでいた氷河の髪の乱れに気付いた瞬が、その髪を直そうとして手をのばし、その手を払いのけようとした氷河が、両手で抱えていたキャビネットを床に叩きつけてしまった――氷河自身は そんなことをするつもりはなかっただろうが結果的に そうなってしまった――のだ。 厨房に響いた派手な音は、おそらく決して安価ではない食器のセットが全滅したことを、雄弁に物語っていた。 「あ……」 自分の些細な所作が この惨劇を招いたことに動転して、瞬が その場に棒立ちになる。 無言で瞬を睨みつけている氷河を怒鳴りつけてきたのは、氷河とは別のセットを運んでいた星矢だった。 「なんだよ! 瞬は親切で……いい加減にしないと、いくら寛大な俺でも 本気で怒るぞっ!」 「本気で? 星矢、貴様、本気で俺とやる気か?」 厨房での作業に取りかかる前から、氷河も星矢も胸中に 相当の苛立ちを溜め込んでいたに違いない。 詫びの一言も口にせず、氷河は、星矢の怒声に挑発で応じた。 よりにもよって厨房で小宇宙を燃やし始めた二人の仲間に、瞬は慌ててしまったのである。 しかし、二人の いさかいのきっかけを作ったのが自分であるだけに、へたに止めに入れば 火に油を注ぐことにもなりかねない。 必然的に 瞬は紫龍に仲裁を求めることになったのだが、瞬の視線の意図に気付いていないはずがない紫龍は、瞬の期待に応えてはくれなかった。 それどころか 紫龍は――紫龍こそが――この一触即発の事態に 新たな燃料を大量投下してくれたのだった。 「俺も星矢に加勢する。1対2で勝てるか?」 「む……」 「そ……そんな……紫龍まで なに言い出したの。星矢も氷河も馬鹿なことは やめて!」 「やめられるかっ。毎日 わけのわからないことで つんけんされて、おまえだって 腹が立つ――おまえだって 悲しいだろ!」 「星矢……」 星矢の立腹は、氷河のしでかした不始末のせいではなく、そのために食らうことになるだろう沙織の小言を察してのことでもなく、氷河に疎んじられることを悲しんでいる仲間のためのもの。 おそらく紫龍も、それは同じ。 瞬は嬉しかったのである。 星矢の、少々乱暴な優しさが心から嬉しかった。 だが、それ以上に――仲間たちの間に亀裂を生む原因になっている自分が情けなく、自分のせいで仲間たちの怒りを買うことになってしまった氷河が気の毒で――かわいそうだった。 「どうしてもって言うのなら、僕は氷河に味方する」 「おい、瞬……」 「瞬……」 星矢はもちろん、さすがの紫龍にも、それは想定外の展開だったらしい。 驚くというより、あっけにとられた顔を、二人は瞬に向けてきた。 そして、瞬の上に投じていた視線を、氷河の方へと移動させる。 この場面で、はたして氷河はどう出るのか。 それが彼等にはわからなかった――それこそ、想像もつかなかったのだろう。 氷河は無言で瞬を見詰めていた、 いつまでも そうしていた。 無言で ただ瞬を見詰めている氷河と、その氷河を泣きそうな目で見詰め返している瞬。 二人が作る長い沈黙に最初に耐えられなくなったのは、当然のことながら(?)、何事にも迅速を旨としている星矢だった。 「おい、氷河。おまえ、ぼけっとしてないで、何か言えってば」 星矢にせっつかれた氷河が、はっと我にかえって、星矢の要望に応える。 彼は、厨房の管理責任者に、 「沙織さんには、あとで俺が謝っておく」 と告げ、彼の仲間たちに場所の移動を提案してきたのだった。 |