頼まれていた仕事の残りを5分で片付けたアテナの聖闘士たちが移動した ラウンジ。 そこで彼等は、白鳥座の聖闘士から、彼の命の恩人である人魚姫の話を打ち明けられたのである。 命をかけて、馬鹿な子供を窮地から救ってくれた緑の瞳の人魚姫。 その人魚姫の面影が 瞬に重なって仕方がないこと。 『人魚姫』の王子のように残酷な忘恩行為をしたくなくて、そんな自分を懸命に戒め続けていたこと。 瞬に傾いていく自分の心を抑えるために 瞬を避け、わざと冷たい態度をとっていたこと――。 訥々と語られる氷河の物語が終わった時、一般人なら まず間違いなく口にしていたであろう『おまえは夢でも見ていたんじゃないのか?』という言葉を氷河に投げかける者は、その場には一人もいなかった。 人魚なる生き物が本当に存在するのかどうかという問題は さておいて、そういう救出劇をやり遂げられる人間は、この世界には いくらでも存在するのだ。 つい先日も、彼等は、カリブ海で海中を魚のように自由に動き回る性悪聖闘士の相手をしてきたばかりだった。 それは夢だと断じる者は、その場には一人もいなかった。 そんなことは、今 この場においては 問題ですらない。 今 問題なのは、 「あのさ。要するに おまえは、おまえの人魚姫が瞬であってほしいんだろ? おまえ、今もやっぱり瞬のことが好きなんだろ?」 ということだったのだ。 氷河は、星矢の指摘を否定しなかった。 否定できるわけがない。 瞳の色さえ違わなければ、瞬は あの優しく温かく強かった人魚姫そのもの。 二人を混同してしまわないために どれほど白鳥座の聖闘士が苦しみ続けてきたか。 そういったことを、氷河は散々 彼の仲間たちに訴えたばかりだったのだから。 氷河の沈黙を肯定と受け取って、紫龍と星矢が それぞれの見解を氷河に披露し始める。 「人魚姫が もし本当にいて、おまえを救ってくれたのだとしても、彼女がおまえに恋い焦がれているとは限らないだろう。助けたはいいが、おまえが好みではなかったから、人魚姫は おまえの前から姿を消したのかもしれん」 「ていうかさ。おまえ、ガキの頃から瞬のこと好きだったじゃん。その人魚姫が、途中でおまえたちの間に割り込んできて、でも そのままどっかに行っちまった。要するに、その人魚姫って、ただの通りすがりだろ? だいいち、命の恩人だから 好きにならなきゃならないってなんて法はないし、人魚姫だって、命を助けた相手だからって、おまえを好きになるとは限らないじゃん」 「おまえは最初から――瞬に初めて会った時から 今の今まで、ずっと瞬が好きなままなんだ」 「馬鹿王子憎しの気持ちが高じて、馬鹿王子になりたくないって思うあまり、おまえは かえって馬鹿になっちまってたんだな。ほんと馬鹿」 「好きになってはいけないと思った時には、人はもう、その人を好きになってしまっているものだ。瞬を おまえの人魚姫ではないと思おうとした時には もう、おまえの心は瞬に囚われてしまっていたのだと考えるのが妥当だな」 「だから、人魚姫なんて、忘れろ 忘れろ。そんな人魚姫だか白雪姫だかは知らねーけど、そんな奴、どうせ瞬より可愛いわけないんだし。あっちだって、おまえみたいな馬鹿のことは とっくの昔に忘れてるぜ」 遠慮会釈もなく 言いたいことを言ってくれる仲間というものは、実に有難いものである。 一言の反駁もできないほど、真実(としか思えないこと)を言われ尽くし、非難され尽くし――おかげで氷河は虚心になることができたのだった。 「今まですまん。俺が馬鹿だった」 それまで視線を会わせることを避けていた瞬に 正面から向き合い、氷河が これまでのことを詫びる。 「ううん」 神妙な態度で仲間に頭を下げた氷河に、瞬は小さく首を横に振ってみせた。 「おまえはいつも優しくて、強くて、綺麗で――無理に おまえを嫌おうとして、俺は 自分で自分を苦しめただけだった」 「僕は、僕が氷河に嫌われていなかったってことが わかっただけで……。よかった。僕、嬉しい」 「俺を許してくれるのか」 「氷河は、僕に許されないようなことをしてない。氷河は、氷河なりに、氷河の命を救ってくれた人に誠実であろうとしただけでしょう?」 「……ありがとう」 恨み言など一言も言わず、瞬が許してくれることは、氷河には初めから わかっていた。 わかっていたからこそ、なお一層、氷河は瞬の寛大が嬉しかったのである。 こんなに優しい人を無理に嫌おうとし、嫌うことができると、僅かでも本気で思っていた今朝までの自分が、氷河は 今では全く理解できなかった。 |