「何が野の白百合だ! 何がシエナの聖カタリナもかくやとばかりの、地上で最も清らかな人間だ! あの子は男じゃないかーっ !! 」 セイヤとシリュウは 正真正銘の貴族の男子だが、その生家は あまり裕福ではない。 パリでの滞在費も 彼等には馬鹿にならないものだろうと、ヒョウガはセイヤたちに自分の館の部屋を宿として提供していた。 ベルサイユ宮に ほど近い場所にある自身の館に帰り着いて 何とか正気に立ちかえったヒョウガは、すぐさま セイヤの部屋に怒鳴り込んでいったのである。 ヒョウガのヴィルロワ侯爵邸訪問の首尾はどうだったのかをセイヤと共に聞こうと考えてのことか、そこにはシリュウもやって来ていた。 もっとも彼等は、帰館するなり、ヒョウガが そんなことを わめき始めるとは思ってもいなかったようだったが。 「おまえ、今更、なに言ってるんだ? 最初に そう言ったじゃないか。清らかな弟君だって」 ヒョウガの剣幕に あっけにとられて顔で、セイヤが答えてくる。 昨日 アポロンの噴水の前で――そう言われれば、そう言われたような気がする。 では自分は いったいどこで そんな思い違いをしてしまったのか。 まさしく清らかな野の百合そのものの姿を見て、自分は勝手に一人で シュンを少女だと思い込んでしまっただけだったのか――。 セイヤの言葉と自分の記憶と誤解に困惑しながら、ヒョウガは賭けの無効を セイヤに申し立てようとしたのである。 貴婦人の体面維持の手助けは これまでに幾度となくしてきたが、貴族の子弟の体面維持のために働いたことは、ヒョウガは これまでに ただの一度もなかった。 野の百合が男子と知っていたら、ヒョウガとて こんな不利な賭けには乗るようなことはしなかったのだ。 ――が。 「しかし、意外だな。不道徳なことは やり尽くしたみたいな顔してたくせに、おまえ、ソドムの罪は まだ犯してなかったのか。おまえの不道徳も大したことないな。全然 清らかじゃん。そんな程度の堕落しかしてないんなら、まだ いくらでも やり直しはきく。さっさと悔い改めちまえよ、あの賭けはなかったことにしてやるからさ」 ――というセイヤの言葉が、ヒョウガの気に障ったのである。 「俺が清らか?」 賭けの無効を主張しようとしていたのに――ヒョウガが 言葉にして不服申し立てをする前に、セイヤの方から賭けの撤回を言い出してくれたのに――ヒョウガは、本来の意図とは正反対の言葉を セイヤに投げ返してしまっていた。 「や……やってやろうじゃないか! あれだけの美形なら、俺は 野の百合が男でも一向に構わない!」 「んな無理しなくていいって」 「うむ。ここはセイヤの厚意に甘えておけ。野の百合が どれほどの美形だったのかは知らないが、相手は男なんだ。おまえにも犯していない悪徳はあり、清らかな部分は残っていた。それでいいではないか。あえて罪を重ねることはない」 いっぱしの悪ぶっている男にとって、『おまえにも いいところがある』という言葉は、決して褒め言葉ではない。 そう言われることは むしろ、誇りを傷付けられることである。 ヒョウガはセイヤたちの その言葉に腹を立て、そして意地を張って、自分に不利な賭けの続行を 彼等に宣言したのだった。 こうなったら、何が何でも この賭けに勝たなければならない。 持てる力の すべてを駆使して、世にも清らかな野の白百合を、愛欲に ただれた紅薔薇に変え、セイヤたちの鼻をあかしてやるのだ――。 自分が いったい何に対して意地を張っているのかも わからぬまま、ヒョウガは そう決意した。 そして。 翌日から、ヴィルロワ侯爵邸への訪問が 彼の日課になったのである。 わずか七歳で終生童貞の誓願を立てたシエナの聖カタリナもかくやとばかりに清らかな白い百合の花。 仕えている者が“地上で最も清らか”と断言するほど清廉潔白な日々を送っている人間。 そういう人間は、往々にして、自分が神に近い場所にいると信じているもの。 そういう人間は、哀れな者、窮乏している者、自分の犯した罪を悔い、自分の犯した罪に恐れ おののいている者を救ってやることが自らの務めと信じているものである。 ヒョウガは、そこを衝くことにした。 すなわち。 わざと自分の弱みを さらけ出して シュンの同情を引き、犯した罪を告白して、この哀れな罪びとを救ってくれと訴える。 神を信じ、自分を善良で優しく道徳的な人間だと信じているシュンは、自分を頼り すがってくる 哀れな罪びとを突き放すことはできないだろう。 その傲慢な同情心につけ込んで、愛を求める。 この求愛を拒まれたなら、自分には破滅しかないと涙ながらに訴えれば、罪びとを拒むことのできない善良なシュンは 逃げ場を失い、流されることになるだろう。 それがヒョウガの計画だった。 翌日から早速、ヒョウガは その計画の実行を開始したのである。 まず、弱みの申告、そして、罪の告白。 心優しく清らかなシュンは、腐りきった貴族社会に捧げられる哀れな生贄。 生贄は捧げられなければならない。 でなければ、世界は、神の怒りを買い、崩壊してしまうのだ。 腐り切った罪深い宮廷という世界を崩壊させないための、シュンは清らかな生贄だった。 |