「シュンかー……」
シュンの清らかさ、シュンの優しさに触れ、感化され、さしもの宮廷一の放蕩児も更生せざるを得なかった。
宮廷を顧みなくなったヒョウガの変貌は そういうことなのだと、セイヤは これまで思い込んでいた。
だが、事実はそうではなかったのだ。
それもあったのだろうが、それだけではなかった。
「一人の男を――しかも かなり頑固で意地っ張りな男を、あそこまで変えちまうなんて、それ以外の理由はないもんな。なんで 今まで気付かなかったんだ、俺は」
自身の鈍感に呆れたように、セイヤが呟く。
セイヤより数分早く その事実に気付いただけだったシリュウも、そんなセイヤに浅く頷いた。
「シュンは綺麗だし優しいし、その清らかさは保証付き。父親の不誠実に復讐するために 父と同じことをして 脂粉にまみれた貴婦人方の相手をしていたヒョウガが、シュンに惹かれ 恋をせずにいられる理由はなかったな」

ヒョウガを変えてしまったもの。
それは恋だったのだ。
ヒョウガの言動が支離滅裂で、一貫していないのも当然のことだった。
恋をしている人間の思考や言動が 理路整然としているわけがない。
「そういうことだったのかー……。あ、でも、それって、死んだ人間に固執してるよりは ずっと ましなことなのかもしれないな。生きてる人間同士のことなら、状況が いい方に転ぶ可能性がある」
「それはその通りだが、生きている人間同士のことだから、状況が 今より悪くなる可能性もあるぞ。父を信じて裏切られ、シュンを信じて裏切られ――ヒョウガが人間不信に陥っても不思議じゃない。実際、ヒョウガは それで自暴自棄になってしまっているわけだしな」
「シュンはヒョウガを裏切ってなんかいないだろ。シュンは、イッキに頼まれた俺たちが送り込んだヒョウガの話を聞いてやっただけだ」

シュンなら、その生来の穏やかさ、優しさ、清らかさで、ヒョウガの すさんだ心を和らげ、ヒョウガに良い影響を与え、ヒョウガを良い方向に導いてくれるだろう。
そうなることを期待して、セイヤとシリュウは、賭けに乗せるという策を用いて、ヒョウガがシュンの許に赴くように仕向けた。
そして、すべてはセイヤたちの計画通りに進んだのだ。
シュンの穏やかさに触れることで ヒョウガの心は凪ぎ、シュンの優しさ清らかさに感化され、ヒョウガは変わっていった――本来の彼に戻りつつあった。
ヒョウガがシュンを恋するようになったのは、セイヤたちにも想定外のことだったが、それはヒョウガが勝手に恋に落ちただけで、シュンがそうなるように画策したわけではない。
シュンは、兄と ヒョウガの友人たちに頼まれて、ヒョウガの相手をしてやっただけなのだ。
それはヒョウガへの裏切りでも何でもない。

「ヒョウガにしてみれば、一連のことが、今は大きく水をあけられた かつてのライバルが始めたことだったという事実に、神経を逆撫でさせられたんじゃないか? 自分はイッキに踊らされていた。シュンは兄に頼まれたから仕方なく自分の相手をしてくれていただけだった――となったら、ヒョウガも拗ねたくなるだろう」
「んな、ガキみたいに拗ねて どうすんだよ」
「そう。ヒョウガはガキなんだ。ガキの扱いは難しいぞ。このまま一生、意地を張り続けるかもしれん」
「やめてくれよ。そんな不吉な予言すんのは!」
シリュウが にこりともせず真顔で語る最悪のパターンに、セイヤは くしゃりと顔を歪めた。
が、すぐに、その最悪のパターンが、かなりの高確率で現実のものになる予測だということに思い至る。
『シュンは、おまえのために、兄や おまえの友人たちの頼みをきいてくれたんだ』と、ヒョウガを諭すだけでは問題は解決しないのだ。
そんな言葉だけでは、拗ねた子供は素直にならない。

今のヒョウガは、自分が皆に謀られ 愚弄されたのだと考え、不信感に満ち満ちている。
一度 曲げてしまった臍を、そう簡単に元に戻してたまるかという意地もあるだろう。
何より ヒョウガは、シュンに恋をしてしまっている――理性や理屈では制御できない恋というものをしてしまっているのだ。
ヒョウガが、今回のことは彼の周囲の人間が 彼のためを思ってしたことなのだという事実を受け入れられる大人になっても――ヒョウガが素直になっても――問題は解決しない。
ヒョウガが欲しいのはシュンなのである。
それも、“良き友人としてのシュン”ではなく“恋人としてのシュン”――を、ヒョウガは欲しているのだ。
それを手に入れることができなければ、ヒョウガは 自分の人生を前向きに生きていこうという気になれないに違いない。
“両親への複雑な思いのせいで自暴自棄に陥り 自堕落になっている男”が、“実らぬ恋のせいで自暴自棄に陥り 自堕落になっている男”に変わるだけ。
状況が好転するわけではない。
とはいえ、さすがのセイヤも、『両親への複雑な思いのせいで自暴自棄に陥り 自堕落になっている男の更生に力を貸してくれ』とシュンに頼むことはできても、『実らぬ恋のせいで自暴自棄に陥り 自堕落になっている男の更生のために、ヒョウガの恋人になってくれ』と頼み込むことはできなかった。

「まいったなー……」
自分は どうして こんなに手のかかる面倒な男の友だちになってしまったのか。
自分は どうして こんなに手のかかる面倒な男のために 四苦八苦しているのか――と思う。
だが、結局 セイヤとシリュウは、自分は どうして こんなに手のかかる面倒な男のために こんなことをしているのだろうと思いながら、ヴィルロワ侯爵邸に向かうことになったのである。
そして、こんなに手のかかる面倒な男に関わってしまったシュンを気の毒と思いつつ、シュンに ヒョウガの再不良化の真の理由を報告することになってしまったのだった。

「ヒョウガの更生と 再度の不良化は、どうやら おまえに本気で惚れちまったからだったらしいんだ。ヒョウガの奴、本気で好きになった相手が 不良貴族更生計画に加担してたってことがショックだったらしくてさ」
「一応、ヒョウガにも 意地やプライドというものがあるからな。そんな計画があったことを知らされて、ぬけぬけと、『更生することにしました』とは、ヒョウガも言えないわけで」
「それで元の退廃貴族に戻ることで、自分の 詰まんないプライドを守ろうとしてんだよ、ヒョウガの奴」
「いきがっていた自分が恥ずかしくて顔向けができないというのが、本当のところだろう。確かに 詰まらないプライドだが、そのプライドのために、ヒョウガは もう二度とここには来ないかもしれん――いや、来れないだろう」
セイヤにもシリュウにも、ヒョウガの現状を報告する以上のことはできない。
ヒョウガの詰まらないプライドを打ち砕き、ヒョウガを救うために、ヒョウガの気持ちを受け入れてやってくれと頼むことは、さすがの彼等にもできなかった。
現在のヒョウガの様子だけを報告し、セイヤたちはシュンの反応を待ったのである。
ヒョウガの恋が実る可能性はあるのか。
ほんの僅かでも その可能性があるのなら その兆しを見逃すまいと、神経を張り詰めて。

「そんな……」
セイヤたちの(多分に推測の混じった)報告を聞いて、シュンは真っ青になった。
一日の間も置かずに続いていたヒョウガの訪問が、あの日以来 ぱたりと途絶えてしまったことを、シュンは案じていたのだろう。
あの日、セイヤたちは、『ヒョウガは馬鹿じゃないから、すぐに 皆の気持ちを汲み取って、機嫌を直すさ』という言葉を残して ヴィルロワ侯爵邸を辞したのだが、そんな言葉だけではシュンの不安は払拭されなかったらしい。
実際、あの時点で セイヤたちは、ヒョウガの怒りの本当の理由を知らずにいたので、ヒョウガの説得も比較的 容易にできるだろうと安易に構えていたところがあった。
それが思わぬ長期戦になり――シュンは その間ずっと、自分を責め続けていたようだった。

「僕は そんなつもりはなかったんだけど……ないつもりだったんだけど、僕の心の中のどこかに、僕はヒョウガを助けようとしてあげてるっていう、傲慢な気持ちがあったんだと思う。きっと ヒョウガは、そんな僕の傲慢さを感じ取って、それを不愉快に感じたんだよ。僕はもっと謙虚な気持ちで、僕たちの気持ちと願いを受け入れてほしいって、ヒョウガにお願いするべきだったのに……」
シュンには、拗ねた子供を救ってやる義務もなければ義理もない。
にもかかわらず、シュンはまだ ヒョウガの更生を諦めていないらしい。
何よりシュンは、自分に向けられるヒョウガの好意を迷惑とは思っておらず、撥ねつけ逃げようという考えも抱いていないらしい。
シュンは ひたすら自分の中にあったのかもしれない傲慢を悔いているようだった。
そんなシュンの様子を見て、希望はあるのかもしれない――と、セイヤとシリュウは思ったのである。
ヒョウガの思いがシュンに通じ、シュンの思いがヒョウガに通じる可能性は 皆無というわけではないのかもしれない――と。

もちろん、すっかり臍を曲げて、意地になってしまっているヒョウガを“素直ないい子”に戻すことは容易なことではないだろう。
だが、その容易でないことを、シュンにならできるのかもしれない。
ヒョウガに恋されているシュンになら、どうにかすることができるのかもしれない。
否、それはシュンにしかできないことなのだ。

ヒョウガの頑なな 意地とプライド、シュンの やわらかな優しさと真心。
はたして そのどちらが強いのか。
その二つが正面から ぶつかり合ったなら、どちらが勝つのか。
状況は予断を許さないものだったが、希望がないわけではない。
期待半分、不安半分。
そうして、セイヤとシリュウは、向後のことをシュンに委ねたのである。
手のかかる面倒な友人のために セイヤとシリュウにできることは、そこまでだった。






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