氷河と離れて生きることなど、思いもよらない。
だが、そのために絵梨衣を不幸な人には したくはない。
エリスは毎日 瞬と氷河の前に現れて、早く別れろと、矢の催促。
何もない空間に突然 姿を現わすエリスが神だということを、瞬はもう疑ってはいなかった。
『絵梨衣を不幸な人間にすれば、この地上が滅びる』というエリスの言を、完全に信じているわけではなかったが、その信憑性を完全に否定することも、瞬はできなくなっていた。
だから――。

恋以外、氷河以外に、絵梨衣を幸福にする術を見付けようと、瞬は懸命に努めたのである。
『きっと あなたは幸福になれる』
『あなたの幸福を願っている人がいる』
『あなたに、希望をもって生きていてほしい』
幾度も星の子学園に通い、瞬は絵梨衣に言い募った。
もう いっそ、氷河の名を絵梨衣に知らせてしまおうかという気持ちになりながら。
かろうじて、その衝動に耐えながら。

絵梨衣は、決して 自身の不遇を恨んだり憎んだりしてはいなかった。
彼女はただ 漠然と、両親のいる普通の(と彼女は言った)家庭家族がどんなものなのかを考え、想像し、憧れている。
そして、“普通の人”が持っているものが、自分には欠けていると考えている。
しかし、その“欠けているもの”は、自分には永遠に手に入らないものなのだから、それを望んではいけないと 自分に言い聞かせ、諦観に支配されている。
瞬の目には、現在の絵梨衣の姿は そう映った。
とはいえ、彼女は虚無主義者という わけではなく、素直で健気で 優しい心の持ち主だった。
子供たちの世話をよく見、細かいところまで神経が行き届き、子供たちに心から慕われている。

彼女は幸福になるべき人だと、彼女が幸福になれないのは理不尽なことだと、瞬は、絵梨衣に接する機会を持つたびに思うようになっていた。
氷河に愛されれば、心の欠如感が埋められて 彼女は きっと幸福に輝く少女になれるだろう。
日を追うごとに、瞬は そう思うようになっていったのである。





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