それから しばらく経った ある日の放課後。
園芸部の部室に向かおうとしていた瞬は、東の校舎の1階と2階をつなぐ階段の踊り場で、氷河に呼びとめられた。
彼は その手に1枚の写真を持っていて――とはいえ、それは、写真と言っても A4判ほどの大きさのある、ミニポスターといっていいようなものだったが。
もちろん、花の写真である。
指し示された その写真を見て、瞬は思わず歓声をあげた。
「わあ……すごく綺麗……!」

氷河が わざわざ持ってきてくれたのだから、それは彼の作品なのに違いなかった。
しかし、それを生け花と言っていいのか――。
それは むしろ、箱庭――水槽の中に作った 泉の岸辺の風景、一つの小さな世界の情景だった。
花材は、カワラナデシコ――ヤマトナデシコ――と、アジサイ――西洋アジサイではなく山アジサイ。
剣山や生花用給水スポンジが野芝で覆われ、そこに ピンク色のナデシコが(おそらく 流生派の型を無視して)いかにも自然に不規則に活けられている。
透き通ったガラスの花器に張られた水には、アジサイの花が 幾つも浮かんでいた。
瞬が以前 読んだ流生派の書籍に掲載されていた どんな作品とも違う――違いすぎる――、それは実に美しい作品だった。

「タイトルは『倭』。桜でも菊でもないのがミソだな。流生派のサイトに載せていたのが、某広告代理店のスタッフの目に留まって、この作品が車のCFに採用されたんだ。日本車であることを強調したい車だったらしい。そのうち、テレビやネットで流れ出す。おまえのアジサイ擁護を聞き、おまえの姿に 想を得て、できた作品なんだ」
「僕の姿……?」
アジサイ擁護はともかく、『おまえの姿から 想を得た』とは。
氷河に そう言われて、瞬は 思わず、『僕は こんなに綺麗じゃない』と言ってしまいそうになった。
そんなことを言ってしまったら、氷河の作品を否定することになりそうで、結局 瞬は その言葉を喉の奥に押し戻すことになったのだが。

「もちろん、流生派の作品としては邪道の極みなんだが。広告代理店のプランナーや、クライアントの自動車メーカーの宣伝広告部門の役員が、いたく俺の作品が気に入ったらしい。家元や他の家元候補共の作品を差し置いて、だからな。おかげで、他の家元候補共を悔しがらせることができた。アイデア提供料に、何か奢る。契約金が入ったんだ。数万のフレンチや会席料理を奢っても、契約金の50分の1にもならないんだが」
「ケーキ!」
多少なりとも 自分が氷河の役に立てたのなら、これほど嬉しいことはない。
瞬は 頬を紅潮させ、弾んだ声で氷河に告げた。
「だろうと思った」
それが あまりに予想通りの答えだったのだろう。
氷河は、瞬の所望を聞いて 微かに笑った。

「ただし、店は俺が決める」
氷河と一緒にいる時間を持てるのなら、理由は何でもいい、場所はどこでもいい。
瞬は、氷河に 大きく力一杯 頷いた。






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