「よりにもよって、正門のすぐ脇! あんなに目立つところに、あんなに でかく書いたら、気付かれないはずがないだろう。書くにしても 場所を選べ、この馬鹿!」 「おかげで、とんだ とばっちりだ。いったい、この塀は全長 何キロあるんだ!」 「書きたくなる気持ちは わかるが、人の身体的欠陥をからかうのはよくない」 発言者は 順に、一輝、氷河、紫龍。 畳みかけるように 仲間たちから文句を言われ、星矢は、ぷっと頬を膨らませた。 「俺は身体的欠陥をからかったんじゃなく、単に事実を書いただけだ。だいいち、目立つところに書かなかったら、悪口じゃなく陰口になっちまうじゃねーか。んなの、男らしくねーだろ!」 仲間たちは この仕儀が大いに不満らしく そう言うが、星矢にとって これは、彼なりに男らしく正々堂々と仁義を通した上での行為だったのだ。 星矢の仲間たちは、残念ながら 彼の主張を全く認めてくれなかったが。 それどころか、彼等は揃って、『おまえに反論する権利はない』と言わんばかりに、ぎろりと星矢を睨みつけてくる。 だが、それも致し方のないことだったろう。 星矢の仲間たちには 星矢に対して腹を立てる権利があったのだ。 彼等は 星矢のいたずらの連帯責任を負わされて、彼等自身は何もしていないというのに、過酷な罰を受けさせられているのだから。 ちなみに、星矢のしでかした いたずらというのは、城戸邸の正門のすぐ脇の塀に チョークで『タツミのハゲ』と落書きをしたこと。 そのいたずらに 辰巳が 普段にも増して激しく怒り狂ったのは、彼が その落書きに気付いたのが 外出から帰ってきた車の中だったため。その車に城戸翁が同乗していたからだった。 正確には、外出したのは城戸光政で、辰巳は そのお供。同乗していたのは辰巳の方だったのだが、主客がどちらであったとしても、そんなことは この際 問題ではなかっただろう。 その落書きを城戸翁に見られたことで面目を失った辰巳の怒りは倍増し。 彼は、落書きを消させるだけでは腹の虫が治まらなかったらしく、城戸邸を囲む塀のペンキ塗りを命じてきたのだ。 それも、星矢だけでなく、星矢の仲間たちにまで。 ちなみに、城戸邸の塀は、一見したところでは 年季の入った築地塀に見えるが、その実、至るところにセンサーが張り巡らされた特殊合金の塀。 それが広大な敷地を有する城戸邸の周囲を ぐるりと囲んでいるのだった。 「貴様、まるで反省しとらんな」 「俺たちは 貴様のせいで、こんな詰まらん仕事をさせられているんだぞ」 「せめて、“ハゲ”でなく“スキンヘッド”くらいにしておけば、消すだけで済んだかもしれないのに……」 「いいじゃない。僕たち、仲間なんだから。トムソーヤのお話にあったよね、塀のペンキ塗り。いたずらの罰のペンキ塗りも みんなでやれば楽しいよ」 文句たらたらの星矢の仲間たちの中で、ただ一人 瞬だけが やたらと楽しそうに この贖罪行為に いそしんでいた。 瞬が楽しそうにしているのは、瞬がペンキ塗りなる作業を大好きだから――ではなかった。 そうではなく、この罰を受けている間はトレーニング参加を免除されるから。 体力や運動能力向上のためのトレーニングなら まだしも、格闘技術を身につけるための実戦トレーニングが、瞬は大の苦手だったのである。 否、はっきり言ってしまえば、瞬は それが大嫌いだった。 塀にペンキを塗っている限り その嫌いなことをしなくていいのなら、一生 塀のペンキ塗りをしていたいとまで、瞬は思っていた。 もちろん、そんなふうに考えているのは この場では瞬一人きりで、この贖罪行為に仲間たちを巻き込んだ星矢当人でさえ、ペンキ塗りより 厳しいトレーニングを課せられている方が はるかにましと考えていたのだが。 とはいえ、現状で唯一の味方といっていい瞬の言葉に異議を唱えることが、今の星矢にできるわけもない。 星矢は、瞬の発言に対して、即座に、 「だよなー」 と、調子よく 賛同してみせた。 が、たとえ 瞬が つらい罰と思っていなくても、これは立派な懲罰にして制裁である。 一輝は、瞬までを いたずらの罰の巻き添えにしておきながら 反省の色を全く見せない星矢を殴りつけようとしたのだが、星矢は 一輝の鉄拳を 身を翻して よけてしまった。 一輝が 忌々しげに 星矢の素早さに舌打ちをし、ここで仲間割れをしていても何の益にもならないと考えたのだろう紫龍が、そんな二人の仲裁に入る。 「陰口になることを避けたかったのなら、正々堂々と“つる二ハ○○ムし”でも書くべきだったな。名指しで“ハゲ”は 露骨に個人攻撃、弁明の余地もない」 「確かに、『タツミのハゲ』は直截的すぎるというか、そのまんまも いいところで、趣に欠けるな。芸がない」 芸を見せて笑いをとるつもりなど これっぽっちもなかった星矢は、氷河の非難に口をとがらせた。 “つる二ハ○○ムし”のどこに趣があるのかと 反駁しかけた星矢を、瞬が罪のない笑顔で遮る。 「あ、それなら、辰巳さんも傷付かなかったかもしれないね。“へのへのもへじ”とか“可愛いコックさん”でもよかったかも」 皆が これ以上はないほど不機嫌でいる中、とにかく瞬一人だけが にこにこと上機嫌。 その上機嫌振りは、瞬だけが自分の味方(少なくとも 敵ではない)ことを承知している星矢でさえ、癪に思わずにいられないほどだった。 「瞬! おまえ、どっちの味方なんだよ!」 つい、唯一の味方を怒鳴りつけてしまった星矢に、 「え? どっちの味方――って……」 瞬が、きょとんとした目と顔を向けてくる。 それは瞬にしてみれば ごく自然かつ当然の反応だったろう。 なにしろ 瞬には、自分が星矢の味方をしているつもりは全くなかったのだ。 落書きも陰口も悪口も嫌いである。 瞬は ただただ つらいトレーニングをせずに済むのなら、ペンキ塗りでも庭掃除でも喜んでやるというスタンスでいるだけだったのだ。 この段になって やっと その事実を認識するに至った星矢が、思い切り脱力する。 ここに彼の味方はいないのだ。 それが星矢の現在の実情だった。 そういう時、多くの人間は 壁や床と お友だちになりたがるもの。 あいにく 今 星矢の身近にあったのは壁や床ではなく、どこまでも続く城戸邸の塀だったので、星矢は とりあえず彼(彼女?)と お友だちになることにしたのである。 ペンキ用のハケを手に取って、お友だちの顔(?)に“つる二ハ○○ムし”を描くことによって。 実に堂々たる“つる二ハ○○ムし”が描けたことに気をよくして、その隣りに“へのへのもへじ”も描いてみる。 二つの力作 絵文字を眺めているうちに、星矢の内には 一つの素朴が疑問が生まれてきたのだった。 「なあ、“つる二ハ○○ムし”なら、すぐに ハゲだって わかるけど、“へのへのもへじ”の髪の毛ってどうなってるんだ?」 「“へのへのもへじ”の髪の毛だあ !? 」 星矢は、自分が 仲間たちを いたずらの罰行為に巻き込んだことを、本当に、腹の底 心の底から反省していない。 阿呆な疑問を 真剣な顔で考え始めた星矢を、一輝は 今度こそ本気で ぶちのめしてやろうと思った。 あいにく、彼が その作業に取りかかる前に、 「こらーっ! 貴様等、真面目に仕事をせんかーっ !! 」 という辰巳の怒声が 彼等の上に降ってきたせいで、一輝はその仕事を やり遂げることができずに終わってしまったのだが。 嘘でもしょぼくれた様子を見せていれば 少しは留飲を下げて、辰巳も いたずらの罰を軽くしてくれたかもしれなかったが、落書きの罰を受けている最中に 更に落書きをしている現場を見られてしまったのでは、それは到底無理な話。 「たとえ何日かかろうが、この塀を全部 塗り終わるまでは、絶対に 許さんからなっ!」 辰巳が腕力を用いて 星矢を命令に従わせようとしなかったのは、ひとえに、星矢がペンキ塗り用のハケという武器を その手にしていたからだったろう。 衣服や身体をペンキで汚されることを恐れて、彼は星矢に近付こうとしなかったのだ。 罰の撤回や軽減はないことを宣言し、辰巳は さっさと邸内に戻っていってしまった。 その後ろ姿に向かって、星矢が あかんべをする。 「なんだよ、横暴もいいとこだぜ。俺が大人になって偉くなったら、『これが あの星矢の書いた へのへのもへじなのかー』って、ここが観光名所になるかもしれないのに」 「あり得ない夢を見るのはやめろ。貴様は偉くなどなれないし、ここが観光名所になることは 絶対にない」 「おまけに、これは どう見ても ただのヘタな落書きで、ストリートアートでも何でもない」 「そうだな。アートとして認められたいなら、もう少し独創性と独自性が必要だな」 発言者は 順に、一輝、氷河、紫龍。 2キロはないが、軽く1キロは超えている長い塀。 10歳にもなっていない子供たちには、それは どこまでも続く死の道、まさに 終わりの見えない厳罰だった。 |
※ つる二ハ○○ムし |