60平方メートルほどの洋間。 中央にある白大理石のセンターテーブルを挟んで、三人掛けのソファが一つと一人掛けの肘掛け椅子が二脚。 廊下側の壁際にはマホガニーのアンティークチェアが数脚と 小物を置くための単脚の小さな円卓。 南側の庭に面した壁は ガラスドアになっていて、この季節には白いレースのカーテンが その全面を覆い、今はまだ中天に至っていない陽光を和らげている。 考えられて設計された空調設備が、室内の気温と湿度を快適なものにしていた。 晴れた夏の日の午前。 その快適なラウンジのソファに腰を下ろし、ぽつねんとしている氷河の姿を見い出したのは、彼の仲間であるところの星矢と紫龍だった。 ちなみに、『ぽつねん』とは、『一人だけで何もせず、寂しそうにしている様』をいう。 つまり、快適な広い室内に、氷河は一人きりだった。 「氷河、おまえ、何してんだよ」 東側の壁にあるプロジェクター・スクリーンに何かが映し出されていたなら、あるいは 室内に音楽が流れていたら、せめて 氷河が目を閉じていたなら、星矢は そんなことを訊いたりはしなかったかもしれない。 そのどれでもなかったので――氷河が本当に“一人だけで何もせず、寂しそうにして”いたので、星矢は その質問を発したのである。 氷河からは、 「見て わからないのか」 という、実に不親切な答えが返ってきた。 「わかんねーから 訊いたんだろ」 「おまえの目は節穴か」 「……」 そう言われても、わからないものはわからない。 星矢の目には、氷河は何もしていないように見えた。 だから、 「わかんねー」 と、正直に答える。 氷河からの2度目の答えは、最初の答えよりは親切なものだったかもしれない。 何といっても それは、星矢の目が節穴でないことを保証してくれるものだったのだから。 とはいえ、 「何もしていないんだ。特に することもないし」 という氷河の2度目の答えを聞いた星矢は、“親切にされた”という思いを抱くことはなく、むしろ“馬鹿にされた”という感懐を抱くことになってしまったのである。 星矢にとって それは、実にふざけた答えだった。 「することがないなんて、んなことあるはずないだろ! ほんとにすることがないんだとしても、だったら、何かしろよ!」 “することがないから、何もしていない”という状況が、そもそも星矢には あり得ないことだったのだ。 「何かとは」 氷河が、(星矢にとっては)馬鹿げたことを訊いてくる。 応じる星矢の声は、少々 苛立ちの響きを帯びたものになっていた。 「何かって、別に何でもいいだろ。仕事、運動、勉強、趣味――いっそ ただ寝るだけでもいい。何か意味のあることをしろよ。人間に与えられてる時間は限られてるんだぞ!」 「したいことも、すべきこともない」 「だから、そんな大層なことじゃなくていいからさ! 庭の草むしりでも、ジョギングでも、何か飲み食いするんでも いいから、何かしろって、俺は言ってんの!」 「……」 何もすべきことがないという氷河のために、せっかく星矢が あれこれ考えてやったというのに、氷河は ほぼ無反応。 星矢の どの提案にも、彼は気乗りした様子を示さなかった。 庭の草むしりも、ジョギングも、飲食行為も、星矢の提案は どれも氷河の お気に召さなかったのだろう。 氷河は見るからに 何もする気がなさそうだった。 星矢は それを――氷河が 何もする気がなさそうに見えるのも、実際に 何もする気がないのだろうことも――彼が一人でいるからなのだと思ったのである。 ここに瞬がいないから、氷河は“ぽつねん”としているのだと。 氷河は、瞬の目のあるところでは、こんなふうに緊張感を欠いた怠惰な姿を呈することはしない男だった。 「瞬はどこだよ、瞬は」 「ボランティア活動とやらをしに行っている」 「ボランティア? ああ、そういや、そんなこと言ってたな」 先月 丸々一ヶ月、アテナの聖闘士たちは アテナの聖闘士として活動する機会が一度もなかった―― 一ヶ月間、敵襲がなかった。 星矢たちは、『そんなこともあるさ』と、『束の間の平和を のんびり楽しもう』と考え、その考えを言葉にし、その言葉を 更に実際の行動に移した。 どうせ そう遠くない未来に 再び地上の平和を乱す邪神が現われ、アテナの聖闘士たちが 命をかけた戦いを戦う時がやってくるに決まっているのだから、その時までアテナの聖闘士たちが のんびり過ごしていてもバチは当たるまい。 それが星矢たちの考えだった。 が、瞬は、そんな仲間たちとは違っていたのである。 根が真面目で勤勉にできている瞬は、我が身を“のんびり過ごす”という状況の中に置くのが 嫌だったらしく――苦痛でさえあったらしく――瞬は、自分の“すべきこと”を自分で探してきたのだ。 ある日、瞬は、束の間の平和を のんびり楽しんでいる仲間たちに、都内某区の社会福祉協議会の地域福祉担当部門が募っている地域ボランティア活動メンバーに応募したと報告してきた。 あくまでボランティア活動であって 仕事ではないから、それは義務ではなく、重い責任も生じない。 万一 敵襲があった時には、当然のことながら アテナの聖闘士としての“仕事”を優先させる。 仲間たちに そう言って、瞬は、時折、社会福祉協議会が主催するイベントの手伝いや 清掃活動等の作業を行なうために出掛けていくようになったのだった。 |