「また、キャンプの事前準備とか、花火大会のテント設営とかかよ」
区内の小学校や中学校が夏休みに入った頃の瞬のボランティア活動は、そういった 子供たちのための作業が多かった。
地域の避難訓練の誘導係として駆り出されたこともある。
瞬自身、その外見は“子供”以外の何物でもないのにと、瞬の仲間たちは、社会福祉協議会の乱暴な(?)人材登用に内心で呆れていたのである。
瞬当人は、そういった仕事に やり甲斐を覚えるらしく、社会福祉協議会の乱暴を素直に喜んでいるようだったが。

「いや。今度はガキ相手の仕事じゃなく、年寄りの安否確認――独り暮らしの老人の家をまわって、声を掛ける仕事だそうだ。声をかけてみて返事がなかったら、地域福祉課に連絡を入れる。この時期は、熱中症で具合いが悪くなる老人が多いらしい。家族がいないと、場合によっては、自力で救急車を呼ぶこともできず、最悪の事態もあり得るとかで、そんな事態を避けるための地域活動だとか言っていた」
「独り暮らしの老人の安否確認? 瞬一人で何軒の家をまわるのかは知らないけど、それって、結構 大変な仕事なんじゃないか?」
瞬の勤勉、几帳面を買われてのことなのだろうが、それは責任の重い仕事である。
昨日は元気だったから今日も元気とは限らない老人たちの安否を確認するためには、その老人たちの家を毎日 訪問しなければならないだろう。

星矢の懸念は全く的外れなものではなかったらしく、心配顔の星矢に、氷河は いかにも不機嫌そうな様子で頷いてきた。
「瞬が担当しているのは4、5軒だけだそうだが、当然 毎日 行かなければならないし、暑くて外出も ままならない老人たちは話し相手に飢えているらしく、1軒1軒で 長く引きとめられるらしい。瞬は ここのところ毎日、朝から夕方まで家庭訪問に出掛けていっている。俺を放っぽってな」
氷河の不機嫌の主原因は、老人宅を訪問するために瞬が毎日 出掛けていくことではなく、それが“俺を放っぽって”行われるという点にあるのだろう。
氷河の気持ちは わからないでもないが、それは容易に解消解決できる問題である。
不満そうな顔をしている氷河の前で、星矢は首をかしげた。

「瞬に放っぽっておかれるのが嫌なら、おまえも瞬と一緒に行けばいいじゃないか。ここで 何もしないで ぼーっとしてるより、瞬のお供をしてる方が全然ましだぜ」
「それはできん」
「それはできん――って、そんな自信満々で断言すんなよ。話し相手に飢えてる年寄りに愛想を振り撒けってんじゃないんだし、瞬の横に控えてるだけなら、おまえにだってできるだろ。それっくらいなら、俺にだってできるぜ」
「……」
星矢の言葉の何が気に障ったのか、氷河が あからさまに口をへの字にする。
優に1分間以上の沈黙の後、氷河は いかにも話したくなさそうに“それっくらい”のことができない彼の事情を、仲間たちに語ってくれたのだった。

「瞬が社会福祉協議会のボランティアを始めた頃に、瞬と一緒に 区が主催するガキ共のイベントの手伝いについていったことがあるんだ。それでなくても、ボランティアに来ている他の男共が、瞬に近付くのに いらいらしていたのに、ガキ共が瞬の言うことを聞かずに 落ち着きなく騒ぎまくるのに腹が立って、俺は やかましいガキ共を叱りつけた。『静かに瞬の言うことをきけ。凍らされたいか』とな。それがどうも『殺されたいか』に聞こえたらしく、社会福祉協議会の福祉課の責任者に、子供たちが怯えるから もう来ないでくれと言われた」
「あちゃー……」
“瞬の横に黙って控えている”だけのことができない人間も、この世の中にはいる。
氷河の説明を聞くまで その事実に気付かずにいた自分の迂闊に、星矢は己れの顔を歪めた。
氷河に悪気はなかったとはいえ(なかったのだろうか?)、子供相手に『殺されたいか』は さすがに 言ってはならない暴言だろう。

「しかし、子供ではなく 老人なら、うるさく騒いで おまえを苛立たせることはしないだろう」
それは氷河のためのフォローだったのか、星矢のためのフォローだったのか。
そのいずれであったとしても、紫龍のフォローは意味のないものだった。
「子供より 老人の方が、偏屈だったり、逆に馴れ馴れしかったりで、俺を いらいらさせる可能性が高そうなんだ。社会福祉協議会の担当職員は、子供や老人相手の仕事は 短気な人間には向かない仕事だと言っていた。暗に、俺には来るなと」
「それはまあ……妥当な指示だな」
「俺は、顔つきも凶悪らしくて、俺が年寄りの家を訪ねていったりしたら、年寄り共は 俺を恐がって、家の奥から出てこないかもしれないと――まあ、はっきり言われたわけじゃないが、そんなことを遠回しに言われて――」

どうやら、意欲と意思さえあれば誰にでもできるはずのボランティア活動にも、向き不向きというものがあるらしい。
ボランティア活動をするにも、それをするに ふさわしい資質、資格が必要で、活動の報酬を求めなければいいというものではないということか。
そして、氷河は、暗にとはいえ、その資質資格がないという お墨付きを、その道の専門家に もらってしまったのだ。
であればこそ 氷河は、騒がしい悪ガキや偏屈な老人はともかく、瞬に迷惑をかけるわけにはいかないと考えて、瞬のいないラウンジで 何もせずに“ぽつねん”としていることになった――ということのようだった。

仲間なのだから贔屓目に見てやりたいという気持ちもないではないが、仲間だからこそ、氷河の性格も熟知している。
「おまえは、ここで留守番してた方がよさそうだな」
「瞬のためにも、それがいいだろう」
というのが、星矢と紫龍の結論だった。
その点に関しては、氷河にも異論はないらしい――社会福祉協議会の担当職員のお墨付きに納得していたからこそ、氷河は ここで“ぽつねん”としていたのだろう。
が、だからといって氷河は 決して この状況を喜んでいるわけではないようだった。
星矢と紫龍が導き出した結論に対しては異議を挟むことはせず頷いて、それから 彼は苛立たしげに舌打ちをした。

「ボランティアは 義務じゃない。別に誰に『行け』とも『来い』とも強いられているじゃない。なのに、瞬は毎日、悪ガキのおもりだ、偏屈老人の話相手だ、公園の掃除だ、夏祭りの掃除だと、詰まらん仕事のために出掛けていく。いったい瞬は 何が楽しいんだ!」
「瞬は別に 楽しむために行っているわけじゃないだろ。瞬は、いつも誰かのために何かしていたい奴なんだよ」
「その“誰か”が なぜ俺じゃないんだ。どうして瞬は、俺と一緒にいたいと思ってくれないんだ。俺は朝から晩まで一日中、片時も離れることなく 瞬と一緒にいたいのに!」
氷河は騒がしい悪ガキでも 偏屈な老人でもないが、騒がしい悪ガキや偏屈な老人より はるかに我儘で、手のかかる男である。
『朝から晩まで一日中、片時も離れることなく 瞬と一緒にいたい』などというセリフは、いかに話し相手に飢えている独り暮らしの老人でも言うことはないだろう。
心中で望んでいても言わない。
平気で そんなことを言ってしまえる氷河に、星矢は 悪い意味で感動した。

「普通の人間は、おまえと違って 色恋だけで生きてられないんだよ」
「なぜだ」
「なぜって……」
よもや ここで そんな質問が返ってくるとは。
それは考えるまでもない 当りまえのことだと思っていたからこそ 答えに窮し、星矢は、その質問を紫龍に丸投げすることになった。
「なんでだ? 紫龍」
氷河の質問内容も かなり非常識なものだが、その非常識を指摘できない星矢にも問題がないとはいえない。
二人の呆れた仲間たちの前で、紫龍は肩をすくめた。

「それはまあ……恋は、ある意味、極めて個人的な感情の活動だ。それは二人の人間の間で完結し、社会に影響を及ぼさない。建設的生産的なことをする人間がいなければ、社会が成り立たず、立ち行かないだろう。すべての人間が稲を育てる必要はないが、稲を育てる人間は必要――ということだろうな」
「それはそうだろうが、瞬が建設的生産的な人間である必要はないだろう。社会への影響というのなら、瞬はアテナの聖闘士として十分すぎるほどのことをしている」
「瞬は勤勉で、時間を無為に過ごすのが性に合わないんだろう。この地上から不幸な子供たちをなくしたい、困ってる人たちを助けたいというのが、瞬の人生の指針にして目的だし、となれば、五体満足な おまえより力の劣る子供や老人の方に手を差しのべたい。それも、できるだけ多くの人に――と、瞬が考えるのは自然なことなのではないか」
「……」
『できるだけ多くの人に』
それが氷河の不満の種らしい。
時間を無為に過ごすことが性に合わず、困っている人を助けたいのなら、一人の恋人のために時間と労力を割いてほしい――というのが、氷河の望みなのだ。

「いっそ瞬が俺のことしか考えられなくなるようにできればいいのに。小宇宙でどうにかできそうな気もするんだが。幻魔拳や幻朧魔皇拳みたいな心理攻撃技で、瞬の気持ちを変えるとか」
「地上の平和を守るために戦うのがアテナの聖闘士で、そのために あるのが小宇宙だろ。小宇宙を そんなことのために使おうなんて、そんなことを考えるくらい、おまえは落ちぶれちまったのかよ!」
瞬に“放っぽって”おかれるのが どれほど望ましくない事態であっても、それはアテナの聖闘士として、あるいは一人の人間として、考えてはならないことである。
星矢が非難すると、氷河は 反省するどころか、逆に開き直ったように星矢に噛みついてきた。

「落ちぶれたくて落ちぶれたわけじゃない! 瞬は あまりにも俺を ないがしろにしすぎていると、おまえは思わないのか!」
氷河は、瞬のホランティア精神のせいで自分の権利が侵害されているとでも思っているらしい。
つい先ほどまでの“ぼんやり”“ぽつねん”状態が嘘だったように、氷河は星矢に向かって 元気に(?)牙を剥いてきた。
星矢が、その剣幕に僅かに たじろぐ。
「で……でもさ、瞬は 別に ボランティアのために命や生活を犠牲にしてるわけじゃないし、外泊するわけでもなく毎日 ちゃんと ここに帰ってきてるだろ。おまえ、夜は瞬を独占できてるじゃないか。毎晩 一緒に寝てるしさ。これ以上、何を望むってんだよ」
「毎晩一緒に寝てもらえているんだから、それで満足しろというのか? それで満足できていたら、俺は ただの助平じゃないか。性欲が満たされれば、それでいいだけの男ということになる。冗談じゃないぞ。俺は 日中も瞬と一緒にいたいんだ。瞬を見ていたい。四六時中!」

氷河は、それを自分に与えられた当然の権利だと信じているようだった。
当然の権利だから、自分が それを望むことを おかしなことだとも我儘だとも思っていない。
そんな氷河の我儘振りを見て、星矢は 本音を言えば『ただの助平の方がずっと ましだ』と思ってしまったのである。
「おまえ、助平な上に、独占欲が強すぎんだよ。ボランティアに夢中になってる瞬より、瞬がいないと することもないおまえの方が、よっぽど問題だろ。若い男が 日がな一日 何もせずに ぼーっとしてるなんて不毛の極み、時間と命の無駄使いだぜ。ほんと情けないったら。いっそシベリアに帰って、修行し直してきたらどうだ?」
星矢は半ば以上本気で そう提案したのだが、なぜか そこに紫龍が水を差してくる。
もっとも、紫龍が意見してきたのは、氷河のシベリア再修業の提案に対してではなく、瞬と四六時中 一緒にいたいという氷河の望みに対してでもなく、『氷河が日がな一日 ぼうっとしているのは不毛の極み』という星矢の考えに対してだったが。

「一概に そうとは言えないぞ」
と、紫龍は星矢に言ってきたのだ。
「え?」
「最新の脳科学では、意識して何事かを為すことなく、ぼんやりしている時の脳の働きが重要だということがわかってきている。人間が ただ ぼんやりと過ごしている時、人間の脳は 脳内ネットワークの構築をしていて、“自己認識”“記憶”“情報の整理統合”等の作業が、それこそ無意識のうちに行われているらしい」
「だから、ぼんやり推奨ってのか? 氷河の今の為体ていたらくが有意義で有益だとでも?」
「氷河の今のありさまが称賛に値することだとは、俺も考えてはいない。ただ ぼんやりしているだけのことが 必ずしも非生産的だと言い切ることはできないと言っているんだ。氷河自身は何もしていなくても、氷河の脳はちゃんと働いている」
「自己認識に情報の整理統合ねー。んじゃ、氷河は今日は朝からずっと、自己認識に情報の整理統合に努めていたわけか。ご立派―」

手にしていた槍を10本ほど まとめて地面に投げ捨てるような口調で、星矢が言う。
そんな星矢に、紫龍は薄い苦笑いを返した。
「だが、氷河はもう十分に ぼんやりしただろう。せっかく脳内ネットワーク構築が成った脳を活用しなければ無意味だ。何か思索活動でもしたらどうだ。哲学的なことでも」
「瞬がいないと何もする気にならん」
星矢以上に――星矢の100倍も、氷河の態度は投げ遣りだった。
氷河に そう断言されてしまっては、紫龍も もはや言うべき言葉を見い出すことは不可能。
結局は紫龍も、手にしていた槍を 呆れたように大地に放り投げることになってしまったのだった。






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