「あなた、その清らかな騎士と呼ばれる騎士が 男か女か わからない書き方をしていたでしょう」 「そんなつもりはなかったが」 「あなたに そんなつもりはなくても、そうなっていたの。それで、あなたの作品のファンたちは、清らかな騎士は少女派と 清らかな騎士は少年派に分かれて、熾烈な争いを繰り広げていた。要するに、ノーマル派とBL派の争いね。あなたの似非小説の二次創作をする人も多くいたから、清らかな騎士の性別が はっきりすれば、派閥の一方は これまでの二次創作作品を根底から覆されることになるから、二派の争いは熾烈の極み」 「さすがに そこまでいくと、俺にも理解できんぞ」 「俺なんか、最初から理解できてねーぜ」 怒りに燃える沙織の耳に、紫龍と星矢の ぼやきは聞こえなかったらしい。 二人のコメントを無視して、沙織は彼女の言葉を続けた。 「その話が 昨夜、二人の騎士が ついに結ばれるかもしれないという場面を迎えたんでしょう? 白鳥の騎士の献身と愛に 心を動かされた清らかな騎士が 白鳥の騎士の気持ちを受け入れて、その助平騎士を寝室に迎え入れた。白鳥の騎士が 清らかな騎士の衣服に手をかけ、二人がベッドに倒れ込んだところで“続く”」 瞬の頬は、先程から 青くなったり 赤くなったりを繰り返していた。 対照的に、氷河は 自分の所業を恥じる気配もなく自若の極み。 瞬への同情が募って、紫龍は 瞬にかける言葉もなく、星矢は 氷河に呆れて 顔の歪みを更に増していた。 「そんなシーンまで書いてたのかよ? 助平で独占欲が強い上に、露出趣味ときた。最悪だな」 もちろん、沙織の怒髪は天を衝いたままである。 「二人の恋のクライマックス。ついに清らかな騎士の性別が判明するというので、続きを気にした閲覧者が 狂気のように せわしなく氷河のブログにアクセスを繰り返して、昨夜からグラードのサーバーは危険な状態が続いていたのよ。いくらグラードのサーバーが高性能・大容量でも、CPUの使用率が100パーセントを超えたらダウンを免れることはできないわ。数千人の人間に ひっきりなしにF5アタックされることなんて想定外の事態。そして、3時間前、ついに限界を超えた――」 「迷惑な話だ。俺は あれを瞬に読んでもらえれば、それだけでよかったのに。瞬、済まない」 「迷惑をかけられているのは、瞬ではなくグラード財団です! サーバーがダウンして、あなたのブログにアクセスできなくなった閲覧者たちが、あなたに連絡をつけられないかというので、その問い合わせがグラードのヘルプデスクに殺到しているのよ! 同じサーバー上にあったグラード各社のサイトも軒並みダウンして閲覧不可能。24時間サービスを提供しているインターネットバンキングが使用不可になることが、どれほど企業の信頼性を損なうか、あなたは わかっているの!」 氷河に、事の重大性が わかっているはずがなかった。 氷河は おそらく、ネット上に自分の口座があるかどうかさえ知らないだろう。 それは沙織も承知しているらしく、彼女は その件に関しては、それ以上の言及はしなかったが。 「ともかく、あなたの小説はサーバー上から削除しました。まったく、傍迷惑な」 「でも、沙織さん。氷河の小説を削除したら、続きを読みたい氷河の小説のファンが黙っていないんじゃないか? それも、ラブシーン直前で 連載中止なんて、それこそ グラードに問い合わせやクレームが殺到することになっちまうだろ」 星矢の指摘は、極めて妥当。 「中止で当たりまえだよ! そんな……そんな、僕と氷河だけのことを、大勢の人に知らせるなんて……」 瞬の悲痛も、極めて自然。 「俺が あれを読んでほしいのは、おまえ一人だ。サーバー上から消されても、俺のパソコンには ちゃんとデータが残っているし、あの夜のことも 既に書き上がっている。おまえが どんなに可愛かったか、あの夜のことは忘れようにも忘れられない」 氷河の主張も、(氷河にとってだけ)極めて妥当で、(氷河にとってだけ)極めて自然だったろう。 「や……やめてっ!」 氷河の妥当と自然に、瞬が悲鳴をあげる。 やはり氷河は事の重大さが まるでわかっていないようだった。 それどころか、瞬が半泣きで恐慌状態に陥ってる訳すら、氷河は正しく理解していない。 能天気で売る 星矢でも、これには同情を禁じ得なかったのである。 だが、瞬の不幸はそれだけでは終わらなかった。 その場には、氷河の他にもう一人、瞬の苦境を まるで意に介していない人物がいたのである。 その人物とは誰あろう、氷河のラブレター小説のために甚大な被害を被っているグラード財団の総帥その人だった。 「あの小説の続きは書き上がっているの?」 まさか沙織までが 氷河のラブレター小説のファンになったわけではないだろう。 だが、氷河に そう問いかける沙織の瞳は なぜか きらきらと怪しく きらめいていた。 「ああ。今日、脱稿した」 「まあ!」 もちろん 沙織までが 氷河のラブレター小説のファンになったわけではないはずである。 だが、氷河の脱稿報告を受けた沙織は、なぜか ひどく嬉しそうな歓声を室内に響かせた。 氷河のラブレター小説のために多大な損害を被ったグラード財団の総帥が ひどく嬉しそうなのも当然のこと。 彼女は、グラード財団が被った損害損失の回収のめどを、たった今 氷河から入手したばかりだったのだ。 沙織は、否やは言わせぬと言わんばかりに断固とした口調で、 「氷河、それは書籍として販売します。グラード出版から」 と、氷河に宣言した。 アテナの宣言を受けた彼女の聖闘士たちが、(胸中に抱いた思いは、それぞれに異なっていただろうが)一様に揃って絶句する。 最初に気を取り直し、沙織に自らの意見を述べたのは、氷河のラブレター小説による影響を ほとんど受けない龍座の聖闘士だった。 「法的に問題はないにしても、これまで 無料で読めていたものの結末を有料で販売するというのは、あこぎな やり方と思われるのでは……」 沙織が、極めて優雅に、紫龍の声が聞こえていない振りをする。 沙織の交渉相手は、あくまでも氷河だった。 「私は、サーバーダウンによってグラード財団が被った損失を回収し、損害を回復しなければならないのよ。それとも、氷河。あなた、支払ってくれるの? ダウンしたサーバー回復のために増強したCPU、その回復作業のためにかかった人件費。3000万は請求することになるわよ。そこに機会損失と企業の信頼失墜の賠償金として10億20億を請求したとしても、決して法外とは言えないわ」 「俺は金を持っていない」 「まあ、残念。なら、あなたのラブレター小説の著作権をグラードに譲渡しなさい。もちろん、翻訳権――映像化の権利もね。それで、ちゃらにしてあげるわ」 「映像化 !? 」 沙織が何を企んでいるのか、わかりたくないのに わかってしまった瞬が、泣きそうな顔になる。 泣きそうな顔になって――だが、それだけ。 泣きそうな顔になること以外、今の瞬にできることは何一つなかった。 10億20億などという多額の損害賠償金を支払う能力を、瞬は持っていなかったのだ。 まさか、その賠償金を支払うために 沙織に借金を申し込むわけにもいかない。 零れる涙を隠すために 顔を俯かせた瞬に かける言葉も思いつけなかった星矢は、その やるせなさと苛立ちをぶつける相手を求めて、辺りに怒声を響かせることになった。 「いったい誰だよ。氷河に趣味を持たせようなんて、馬鹿なこと言い出したのは! 何もしないで ぼーっとされてるのも鬱陶しかったけど、何もしないで ぼーっとしてくれてた方が 誰にも迷惑がかからない分、全然ましだったのに!」 「氷河に趣味を持たせようと言い出したのは、星矢、おまえではなかったか」 「えっ?」 「グラードの損失を弁償するのは星矢でもいいわよ」 紫龍と沙織から 思わぬ突っ込みを入れられて青ざめた星矢は、アテナの聖闘士にあってはならないことであるが、つい 責任転嫁という卑劣な行為に及んでしまったのである。 なにしろ星矢の辞書には、『貯金』という単語が載っていなかったのだ。 「ひょ……氷河にラブレター書くのを勧めたのは、紫龍、おまえだろ!」 責任を転嫁された紫龍も、賠償金の支払い能力を有していないのは 星矢と同じである。 紫龍は震えあがって、その場から一歩 後ずさった。 「グラードのサーバーダウンが俺のせいだというのか !? こんな事態が起こることを、いったい誰に予測できたというんだ!」 「ええ、もちろん、この事態は 誰にも予測不可能なことだったでしょう。でも、刑法上は“認識なき過失”として、民法上は“無過失責任”として、賠償請求をすることはできるのよね」 「う……」 情け容赦のない沙織の微笑み。 そもそもアテナの聖闘士がアテナに逆らうなど無謀の極み。 それは最初から 勝ち目のない抵抗だったのだ。 己れの無力を悟った紫龍にできることは、同情心に満ち満ちた声で、 「瞬、ここは諦めろ」 と、瞬に告げることだけだった。 そして、二度と同じ過ちを繰り返すことのないよう、ささやかな忠告を垂れることくらい。 「これからは 日中も もう少し氷河を構ってやるようにした方がいいぞ。こういう仕儀に相なったのも、元はと言えば、おまえがボランティア活動に熱心すぎたせいなんだし」 「そんな……」 「放っておくと、平気で 続編くらい書き始めるぞ、こいつ」 「しかも、続編は おそらくR18指定だ」 「R18 !? 」 瞬はまだ18歳になっていない。 だが、18歳になっていなくても、R18指定に相当する行為を為すことはできるし――実際、為していたし――氷河もR18指定に相当する作品を創ることは 容易にできるだろう。 そういった状況を総合的に判断して、結局 瞬は 仲間たちに、 「うん……」 と、力なく頷くしかなかったのである。 他に選ぶことのできる道は、瞬には与えられていなかったから。 瞬の首肯を認め、氷河が その瞳を輝かせ始める。 「瞬、俺と過ごす時間を増やしてくれるのかっ!」 罪のない子供のように嬉しそうに、氷河が瞬に尋ね、瞬は それにも 弱々しく頷くことしかできなかった。 「うん……。だから 氷河、もう小説を書くのはやめてくれる?」 「おまえが俺と一緒にいてくれるのなら、ラブレターなど書く必要はない。俺の唇と手指は、文字なんかより はるかに雄弁だ!」 浮かれた口調で そう応じる氷河の手と指は、アテナと仲間たちの視線を ものともせず、自らの発言の真実を訴えるように 瞬の指に絡みつき、瞬を困らせていた。 「“趣味が愛”の男ほど 傍迷惑な存在はないな」 氷河の手を振り払うこともできず、ひたすら 顔と瞼を伏せ、身体を縮こまらせている瞬を気の毒そうに見やりながら、紫龍は そう呟くことになったのだった。 |