氷河が奥手なのか、未熟なのか、あるいは その不器用無愛想は 女にもてすぎた弊害なのか、はたまた 氷河は生まれついての草食系男子だったのか。 事実は、星矢にも紫龍にも わからなかった。 氷河に尋ねたところで、彼が正直に本当のことを答えてくるとは思えなかったので、星矢たちは 氷河当人に確認を入れることもしなかった。 ただ、アテナ主催の合シュンの日、アテナを祀るパルテノン神殿で、氷河が恋に落ちたことだけは疑いようのない事実だったのである。 その日、氷河は、アテナに提供されている屋敷に帰ると、合シュンイベントの無益無意味を 滔々と論じることもなく、人集めのための釣り餌にされたことの不平不満を わめき立てることもしなかった。 十中八九 そうなるだろうと踏んで、紫龍は、自分が氷河の鬱憤晴らしのためのサンドバックになる覚悟もしていたのだが、氷河が帰宅後にしたことは、ごく静かに穏やかに 瞬の屋敷の所在地を紫龍に確認することだけ。 そして そのまま、『考え事がある』と言って、氷河は 自分の部屋に閉じこもってしまったのである。 紫龍としても、せっかく氷河が大人しく部屋に引っ込んでくれたのに、あれこれ 探りを入れて藪蛇になる事態は避けたかったので、その日は何もせず、何も言わずに聖域に戻ったのだった。 氷河が奥手なのか、未熟なのか、あるいは その不器用無愛想は 女にもてすぎた弊害なのか、はたまた 彼は生まれついての草食系男子だったのか。 事実は わからないが、ともあれ 氷河は、瞬の住まいの場所を確かめることは忘れなかったのだ。 恋人に贈り物を贈ることが 自分の好意を相手に伝える際の作法である――くらいの常識は、氷河も持ち合わせているだろうし、実際に そうするだろう。 紫龍は そう考えていた――たかをくくり、油断していたのだ。 それが とんでもない買いかぶりだったことを 紫龍(と星矢)が知ったのは、それから3日後。 合シュンの成果を確かめるために、アテナイの都にやってきた二人が、瞬の屋敷に立ち寄った時だった。 「何だ、こりゃーっ !? 」 瞬の屋敷に足を踏み入れた途端に発せられた星矢の驚愕の雄叫びは、決して大袈裟なものではなかっただろう。 そこには 確かに、星矢が奇矯で突拍子もない雄叫びをあげて驚くのは当然と思える状況が現出していたのだ。 アテナが瞬に提供している屋敷の門を入ってすぐ、その庭先で 星矢たちの目に 最初に飛び込んできたのは、檻に入れられたライオンだった。 その周囲に、杭に綱でつながれた山羊、羊、馬と小牛が数頭。 数日前までは 確実に この屋敷にいなかった家畜たちが、瞬の屋敷の庭を占拠していたのだ。 他に、外国から運ばれてきたのだろう色鮮やかな鳥や、素晴らしく美しい大型の犬もいた。 「な……何なんだよ、これ」 状況が理解できず、館の内に入っていくと、今度は星矢の背丈の倍ほどもある大理石のアテナ像。 その周囲には、大小様々の見事な細工の青銅の壺や甕。 敷かれず壁に立てかけられている絨毯。 黄金細工の箱には、宝石やデナリウス金貨 及び 銀貨。 純白の絹や上等の綿、羅紗の長衣、短衣もある。 身一つで、エティオピアから このアテナイにやってきて、アテナが提供してくれた屋敷の広さに戸惑っていた瞬。 一留学生には分不相応と 瞬を驚かせた広い屋敷の庭と玄関ホールが、今は 得体の知れない物品や動物で埋め尽くされていた。 「どっから湧いてきたんだよ、このガラクタは!」 そこにあるものは どれも高価なものばかりだったのだが、それらを『ガラクタ』と言わずにいられない星矢の気持ちは 紫龍にもわかった。 ここまで無秩序に 多数の物が氾濫していると、箱一杯の金貨でさえ、ただのガラクタに見えてしまうのだ。 「瞬が買い求めたものでないことは確かだが――」 紫龍にわかることは、ただそれだけ。 質素倹約を旨とし、我が身を飾ることにも興味がなく、贅沢といえば せいぜい稀少な書物を買い求めることくらい――の瞬が、こんなものを自分で購入するはずがない。 紫龍(と星矢)に わかることは、それだけだった。 「星矢……紫龍……」 物で ごった返している玄関ホールの入り口で呆然としていた星矢と紫龍の前に、所狭しと置かれたガラクタの隙間を縫うようにして、瞬が姿を現わす。 「瞬。何だよ、これ。いったい何が起こったんだ」 星矢に問われると、瞬は、ふいに泣きそうな顔になった。 実際に涙を零すことはしなかったが、 許されることなら本当に泣いてしまいたいと瞬が思っていることは、火を見るより明らか。 瞬は、力のない、蚊の鳴くような声で、このガラクタが どこから湧いてきたのかを、星矢と紫龍に教えてくれたのだった。 「あの合シュンに来ていた人たちが、僕と知り合えた記念の贈り物だって……」 「はあ !? 」 瞬の答えを聞いて、星矢が まず思ったことは、『あの合シュンで、いつ、誰が、瞬と“知り合った”のだ?』ということだった。 あの合シュンの開催目的は、アテナイの少子化問題の解決、未婚の男女に出会いの場を提供し、婚姻を奨励促進することであって、瞬とアテナイの男たちを出会わせることではなかったのだ。 合シュン会場にやって来ていた男たちが 一方的に瞬(釣り餌)の姿を見ることはできただろうが、あの日 あの場所で 瞬と知り合うことができたと言える男は、氷河ただ一人だけのはずだった。 「とにかく、理由をつけて瞬と渡りをつけたがっている男が、アテナイには あふれかえっているということだな。瞬の姿を大勢の人間の目に さらしたのは失敗だったか……」 合シュンの成果は あまり期待できないだろうと思ってはいたが、自分たちの仕事が見事な徒労だったことを、こうまで あからさまに示されると、生きていることが空しくなる。 アテナイの男たちの本音を知ることになった紫龍の声には、ただただ疲労感だけが漂っていた。 「それはまあ、仕方ねーさ。このアテナイは、女神アテナが守護する国だってのに、何につけても男優先。異性愛より同性愛の方が高尚で、絶世の美女より 美少年の方が100万倍も価値があるっていう国なんだから。瞬。おまえも あんまり気にすんなよ。合シュンが空振りに終わったって、それは おまえに責任のあることじゃないんだから。ここにあるガラクタは聖域にでも運ばせるさ。アテナに奉納したって言えば、ガラクタの贈り主たちも文句は言えないはずだ」 「うん、ありがとう」 瞬は、アテナイの男たちからの贈り物の始末に よほど困っていたらしく、それらを聖域で引き取るという星矢の言葉を聞いて 安堵したように肩の力を抜き、その顔に微笑を浮かべた。 その微笑が、しかし、どこか寂しげである。 それは 無理に作った笑みだということが、少々 鈍感で鳴らした星矢にも わかるほど。 星矢に比べれば はるかに聡い紫龍が、そんな瞬に さりげなく尋ねる。 「あとで運搬人を よこすように手配しておこう。手許に残しておきたいものは 取り除いておけ。この中には、氷河からの贈り物もあるんだろう? 他の男共は 一方的に おまえの姿を見ただけで、とても“知り合った”と言えるような者たちではないが、氷河は 一応“知り合った”と言えるだろう。知り合って 好意を持った相手に、年長者や目上の者が 知り合った日から一両日中に贈り物を贈るのは、アテナイの作法だ」 「氷河!」 紫龍が口にした男の名に反応を示したのは、瞬より星矢の方が早かった。 星矢が、目を爛々と輝かせて、身を乗り出してくる。 「そう、それ! それが、俺、気になってたんだよ! あの無愛想のガンつけ男、おまえに何を贈ってきたんだ !? まさか、庭にいた動物たちじゃねーよな? あいつ、ヒュペルボレイオスでは 一、二を争う名家の御曹司だから、さぞかし大袈裟で突拍子のないものを――」 「何も」 「へ……?」 奥手なのか、未熟なのか、あるいは その不器用無愛想は 女にもてすぎた弊害なのか、はたまた 生まれついての草食系男子なのか――が わからない氷河。 星矢は、氷河が瞬に贈った贈り物の洗練度(野暮度ともいう)を見れば、氷河の正体を見極められるのではないかと期待して、今日 ここにやってきたのだ。 氷河が瞬の屋敷の場所を確認済みなことは、紫龍から聞いていた。 当然、氷河は、すぐさま 瞬への贈り物の準備に取りかかっただろう。 氷河の 瞬への魅入られ振りからすると、奥手なのか、未熟なのか、あるいは その不器用無愛想は 女にもてすぎた弊害なのか、はたまた 生まれついての草食系男子なのか わからない あの男は、自分自身を贈り物として瞬の屋敷に贈りつけることもしかねない。 ――と、星矢は、そんなことまで期待して(?)いたのである。 だというのに、『何も』とは。 基本的に 控えめで でしゃばることをせず、人の話の腰を折るようなことは滅多にしない瞬が、星矢の熱弁(?)を途中で遮ったのは、興奮し 浮かれてさえいるような星矢の演説を聞いているのが つらいから――だったのだろう。 “知り合って 好意を持った相手に、年長者や目上の者が 知り合った日から一両日中に贈り物を贈る”のがアテナイの作法なのに、氷河は瞬に どんな贈り物も贈っていない。 瞬が それをつらく感じているのは、『氷河だ』『大いに興味が湧く』以外に 気の利いた言葉の一つもなく、瞬を睨んでいるだけだった男に、あろうことか瞬が好意を抱いているから。 瞬が 今度こそ 本当に泣きそうな顔になるのを見て、星矢は自身の放言を後悔したのである。 せめて もっと小さな声で言えばよかったと、今更 悔やんでも詮無いことを、星矢は悔やんだ。 「で……でも、氷河の奴、合シュンから帰るなり おまえの屋敷の住所を 紫龍に聞いてたって――なあ、紫龍」 「ああ。俺は 当然、おまえに贈り物を贈るためだうろうと思っていたんだが……」 「氷河の屋敷に食料を届けてるじいさんが、合シュンから こっち、氷河は毎日 外出ばっかりしてるって言ってたから、俺は、あの馬鹿は 毎日おまえのとこに押しかけていってるんだとばかり……。あ、あれじゃねーか。氷河の奴、おまえに ものすごい贈り物をするために、その手配で東奔西走してるんだよ、きっと」 「氷河のことだ。単に 贈り物を贈ることを忘れているということもあり得る。しかし、それは氷河が迂闊で粗忽なだけで、決して おまえに好意を抱いていないわけでは――」 落胆している瞬の心を慰撫するべく、星矢と紫龍は懸命に言葉を重ねたのだが、それらは すべて徒労に終わった。 瞬に贈り物を贈っていない男は、余計なことだけはしてくれていたのだ。 そんなことをするくらいなら、いっそ 何もしないでいてくれた方が ずっと よかったのに。 「氷河は、忘れてるわけじゃないと思うよ。『また どこかで会えたら嬉しい』って、一行だけの手紙はくれたから」 「一行だけの手紙?」 「うん……。でも、『また どこかで会えたら嬉しい』って、僕を招待してくれてるわけでもなく、僕に訪問の許可を得ようとしているわけでもなく、具体的に どこかで会おうって言ってるわけでもなくて――それって、ただの社交辞令で、どうしても僕に会いたいっていうことじゃないよね。ううん、氷河は 本当は僕に会いたくないって思ってるんだ。でも、氷河は優しいから、無理して こんな手紙を――」 気の利いた言葉もなく、不機嫌そうに(見える顔で)瞬を睨んでいるだけだった氷河を、“優しい”と思ってしまえる瞬の感性も不思議だったが、今は それどころではない。 「氷河は僕のこと 嫌いで、僕に会いたくないんだ……。もしかしたら、僕に会ってしまったこと自体が不愉快で、それを忘れるために、毎日 遊び歩いているのかもしれない……」 それまで懸命に我慢していたのだろうに、結局 瞬は自分が口にした言葉に自分で傷付いて、ぽろぽろ涙を零し始めてしまった。 気の利いた言葉もなく、不機嫌そうに(見える顔で)瞬を睨んでいるだけだった氷河を、“優しい”と思ってしまえる瞬の感性も不思議だったが、そんな氷河を泣くほど好きになれる瞬の気持ちは 一層 不可解である。 だが、どうやら それは事実のようだった――それが現実のようだった。 瞬は、気の利いた言葉もなく、不機嫌そうに(見える顔で)瞬を睨んでいるだけだった あの氷河、奥手なのか、未熟なのか、あるいは その不器用無愛想は 女にもてすぎた弊害なのか、はたまた 生まれついての草食系男子なのか わからない氷河を、泣くほど好きになってしまったらしい。 「瞬、泣くなよー。氷河が おまえのこと嫌ってるなんて、んなこと、絶対ないって。おまえのこと嫌いで毎日 遊び歩いてるなんて、いくら何でも考えすぎだって」 「でも、だったら、どうして氷河は……。きっと僕が あんまり氷河を見詰めすぎたから、氷河は僕のこと不躾で 気持ち悪い子だって思ったんだ。氷河の瞳が あんまり綺麗だったから、それで僕、どうしても氷河から目を逸らすことができなかっただけなのに……」 何か言うたび、何か言われるたび、瞬の瞳は新しい涙を生んでしまう。 その涙をとめるために、星矢は懸命に言葉を重ねた。 「んなことないってば! 氷河は、つまり、すごい奥手で、すごい不器用で――あー、ほら、氷河は いわゆる草食系男子ってやつなんだ。氷河は もちろん、おまえのこと好きなんだぜ。だけど、なかなか積極的に出れないっていうか、ガツガツしてないっていうか――。おまえ、どっちかっていうと 大人しくて、あんまり能動的な方じゃないじゃん。そんな おまえに ガンガン攻めてったら、おまえは氷河のこと恐がるかもしれないだろ? 氷河は おまえのこと好きすぎて、だから傷付けるのが恐くて、それで そんな控えめな手紙を書くことになっただけで――」 瞬の涙をとめるために あれこれ慰撫の言葉を連ねているうちに、星矢は――星矢の方こそ泣きたくなってきてしまったのである。 あの傲慢不遜な我儘男が“草食系”。 これほど氷河に似つかわしくない形容もない。 あの氷河が草食系だったなら、この世に肉食系の男は存在しなくなる。 あの氷河を草食系と表するのは、それこそ本物の草食動物である馬や鹿に失礼というもの。 そう思いはするのだが、氷河のしていることは まさに草食系男子のそれ。 どうにかして草原から連れ出さないと、氷河は肉(瞬)を食べる作業に取りかかってくれそうになかった。 |