『氷河が おまえを嫌ってるなんてことは絶対にないから。悪い方に考えすぎるんじゃない』
幾度も瞬に そう言って、星矢と紫龍が向かったのは、当然のことながら氷河が暮らしている屋敷だった。
氷河は瞬を好きなのか、好きではないのか。
好きなのであれば、なぜ贈り物の一つも贈らず、素っ気ない一行だけの手紙を出したきり、放って遊び歩いているのか。
あの氷河が、まさか本当に草食系男子だったというのか。
星矢と紫龍は、氷河の真意と本性を確かめ、氷河に速やかに しかるべき対応を取らせなければならなかった。

アテナイの少子化問題解決は もちろん大事だが、瞬の涙を止めることは、更に重要で、より切実な問題である。
二人が(特に星矢が)いきり立って乗り込んだ氷河の屋敷に、だが、氷河は不在だった。
また どこぞを遊び歩いているのかと 星矢が一層 気色ばんだところに、飛んで火に入る夏の虫――氷河が帰ってくる。
帰宅した氷河は手ぶらで、特に瞬への贈り物の手配に奔走していたふうでもない。
星矢は、屋敷の内への案内を乞うている時間も惜しいとばかりに、 屋敷の庭先で、下馬した氷河に食ってかかっていった。

「氷河! この ど阿呆! おまえ、瞬に贈り物も贈らず、何 のんきに浮かれて遊び歩いてやがるんだよ! 瞬の奴、おまえに嫌われたって思い込んで、屋敷ん中 こもって、毎日 泣き暮らしてんだぞっ!」
「瞬が?」
浮かれて遊び歩いていた男にしては 浮かぬ顔をしていた氷河が、瞬の名を聞くなり、さっと その顔に緊張を走らせる。
星矢に問われたことには答えず、少しばかり頬を青ざめさせて、氷河は星矢に反問してきた。
「瞬が――瞬は、家の中に閉じこもっているのか? 外に出ていない?」
「外に出る元気なんかあるわけねーだろ! 合シュン翌日は おまえからの贈り物 待ってて、そのあとは おまえからの贈り物が届かないことに落ち込んで! おまえ、何だって 贈り物一つ贈らず、素っ気ない手紙一通で 済ませちまったんだよ! 瞬が好きなんじゃなかったのかよ! 瞬の屋敷は、他の男共からの贈り物でいっぱいで、だから なおさら、おまえから何も送られてこないことに、瞬は落ち込んでる。手紙も、義理で 仕方なく出したんだろうって思ってる。おまえ、贈り物を買う金がないわけじゃないだろ? いっそ おまえんちが超ビンボーだったなら、そう言って瞬を慰めてやることもできたのに……。わかってんのか! 他の男共は、宝石だの 絹だの 金貨の山だのって、ものすごい贈り物してんだぞ。わざとらしく財力を誇示するために、アフリカから運んできたライオンだの、珍しい鳥だのを贈ってる奴もいるんだぞ!」

「瞬は そんなものを贈られても喜ばない」
自分の不手際を 死ぬほど後悔しろと言わんばかりの剣幕で、幾分 冷酷な気持ち混じりに、星矢は氷河を怒鳴りつけたのだが、氷河は星矢が想定していたような反応は 示してこなかった。
落ち着き払って冷静というわけではないようなのだが、その口調は むしろ冷ややか。
気勢をそがれ、星矢は 少々 困惑することになったのである。
「そりゃ、瞬は 豪勢な贈り物 贈られても喜んだりはしてないけど、それは贈り主が おまえじゃないからで――」
口ごもりながら そう告げた星矢に、氷河が 軽く顎を退くように頷いてみせる。
「瞬は 物を欲しがるような子には見えなかった。高価な贈り物を贈られても、瞬は喜ばない。あまり能動的な方ではなく、基本的に大人しく控えめ。極端に積極的に迫ると、かえって退かれることになりかねない。あまり強引に出ると、争い事が嫌いな瞬は、本当は嫌でも 嫌だと言えず、流される可能性もある。それは俺の本意じゃない」

「……わかってるじゃん。ろくに話もしてないのに――」
「目を見れば わかる。澄んで清らかで優しい目をしていた」
「……」
氷河は、無思慮に、気の利いた言葉の一つも口にせず 瞬を見詰めてばかりいたわけではなかったらしい。
氷河は、ほぼ完璧に 瞬の人となりを把握しているようだった。
であればこそ、星矢は――そこまで正確に瞬を理解していながら、氷河が 今 この事態を招いたことに合点がいかなかったのであるが。
それは、どうやら氷河自身にも計算違いのことだったらしい。

「だから 俺は、強引に迫るのは よろしくないと考えて、再会を望んでいる気持ちを伝える手紙だけを、瞬の許に届けたんだ。そして、アドリアノスの図書館で、瞬が来るのを待ち伏せしていた」
「図書館で待ち伏せーっ !? おまえの毎日の外出って、それなのかよ !? まさか、図書館の前で 日がな一日、瞬が来るのを待ってたとか……?」
「あの糞くだらないイベントの翌日から毎日、日がな一日、図書館の前で 瞬が来るのを待っていた。家に押しかけていけるほどには 親密になれていなかったし、自然な再会を演出したかったからな」
「……」

『そこまで瞬の人となりを把握しておきながら、おまえは馬鹿か』と、『よくも、そこまで時間を無駄にできたものだ』と、星矢は つい言ってしまいそうになったのである。
言ってしまいそうになって、だが、言わなかった――言えなかった。
氷河からの贈り物が届かないことに落胆して、瞬が引きこもり状態にならなければ、確かに氷河は 自然に(?)瞬と再会できていただろう。
氷河の自然再会計画は、本来なら 10割の確率で成功していた計画なのだ。
「瞬が 俺からの贈り物を待っているなんてことを、俺は考えてもいなかった」
氷河の計算ミスは、要するに、本来の瞬なら行わない変則的な行動のせいで生じたミスだった。

氷河の言う通り、瞬は物欲の類は あまり――ほとんど――持ち合わせていない人間である。
瞬が他人からの贈り物を期待するということ自体が、本来の瞬らしいことではないのだ。
つまり、氷河の計画の前提条件は全く正しいものだったということになる。
では なぜ こんな計算違いが起きたのかと、星矢は首をかしげることになった。
その答えが、紫龍から与えられる。
「俺が察するに――おそらく 瞬も氷河と同じだったんだ。瞬も、氷河の目を見て、氷河の本来の人となりが わかっていたんだろうな。氷河が 本来は他人の思惑など意に介さず、自分の目標や目的物に向かって一直線に突っ込んでいく男だということを。強引で積極的、遠慮というものを知らず 能動的、おまけに我が強い。当然、氷河は、自分の目的物を獲得するために 猛烈な勢いで攻めてくると、瞬は思った。その氷河が、控えめな手紙を一通 よこしたきりで、他には何の音沙汰もない。それで、瞬は、自分が氷河の目的物になれなかったのだと判断したんだ、おそらく。――これは、何というか、氷河と瞬が互いを把握理解しすぎたせいで生じた すれ違いとしか 言いようがない」
「瞬も……」

紫龍の推察は当たっているのだろう――と、星矢は思った。
氷河が気の利いた言葉もなく 瞬を睨んでいたのと同じだけの時間、瞬は――瞬もまた、氷河の目を ずっと見詰めていたのだ。
氷河に わかったことが、瞬に わからなかったはずがないではないか。
そう考えて、氷河の計算ミスの事情を、星矢が 得心した時だった。
紫龍の推察を ほぼ無表情で聞いていた氷河が、物も言わずに、たった今 下馬したばかりの馬の背に再び飛び乗ったのは。

「おい、氷河、どこに――」
『どこに行くつもりなのか』と問いかけて、それが問うまでもない愚問だということに気付く。
星矢が、
「今度は 上手くやれよ」
と言い終える前に、氷河を乗せた馬は、大神ゼウスの雷霆も かくやと言わんばかりの勢いで、その場から駆け出していた。






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