「僕は80年後の世界から来たんです。僕は あなたの子孫、あなたは僕のご先祖様です」 挙動に不審な点は(一応)ない。 声も言葉使いも、至ってまとも。 ソファに腰かけている狂人の好青年は姿勢もよく、落ち着いていて、その瞳に狂気の光が宿っているようには見えなかった。 ただ、彼の語る話の内容だけが狂っている――あまりに荒唐無稽なのだ。 面白がって彼の話を聞いていられる星矢の神経も どこか まともではないような気がしたが、それも好青年の話の内容ほどではないと、氷河は思った。 好青年が真面目で本気で正気そのものに見えることが、氷河は かえって不気味でならなかったのである。 「正気で言っているのか? 百歩譲って、貴様が80年後の未来からやってきた未来人だということくらいは認めてやってもいいが、貴様が俺の子孫であるはずがない」 「どうしてですか」 「どうしても こうしても――そもそも全く似ていないじゃないか」 狂人の好青年の髪の色は完全に黒色だった。 もちろん、瞳の色も黒である。 顔の造作は整っていたが、頬骨、額、鼻梁、彫りの深さ――どこをとっても モンゴロイド――日本人以外の何物にも見えない。 好青年は、自分の主張と 自分の外見に――氷河に似ているところが全くない外見に――どんな矛盾も覚えていないようだったが。 「それは当然です。僕の母も祖父も曾祖母も生粋の日本人ですから。ですが、間違いなく 僕には あなたの血が流れています」 「ふざけるな!」 氷河が鋭い声で好青年を怒鳴りつけたのは、瞬のため――瞬を気にしてのことだったのだが、それは あいにく瞬を驚かせることにしか役立たなかった。 氷河の子孫の出現より 氷河の剣幕にこそ驚いて、瞬が その瞳を大きく見開く。 そんな瞬を横目に見やり、氷河は忌々しげに唇の端を歪めた。 否、氷河の唇は、怒りのために自然に歪んでしまったのだ。 「んーと、あのさー」 農閑期ならぬ戦閑期を なかなか楽しく過ごせそうだと、深い考えなしに 引きとめた見知らぬ訪問者。 その荒唐無稽で愉快な主張。 このシチュエーションが 氷河の片恋の成就の妨げになるものだということに、星矢は 遅ればせながら――アテナの聖闘士たちと好青年の会談の場を整え終えた今になって やっと――気付いていた。 自らの軽率を償うため、星矢が、自称 氷河の曾孫の言い分の論破に取りかかる。 「にーちゃんの主張は面白いんだけど、にわかに信じ難いんだよな。未来人っていうのは、もっと こう……宇宙服みたいな服を着てるものかと思ってたんだけど、そのあたり、どうなんだ?」 「80年後も80年前も変わりません。80年後の方が、もしかしたら、今 この時代より 文明は退化衰退しているかもしれません。少なくとも 僕の生きていた時代の生活水準は この時代のそれより確実に低い」 「生活水準が過去より未来の方が低いのかよ? そんなことあり得るんだ。へー」 「なにが『へー』だ! こんな狂人の たわ言を真に受けるな。俺に子孫などいるはずがない!」 「なぜ断言できるんです。あなたは健康で生殖能力もある」 好青年が、無神経に、最も触れてほしくない点に言及してくる。 氷河は こめかみを引きつらせた。 「俺が健康なのは確かだし、生殖能力もあるだろうが、そんな能力は――いや、そんなことはどうでもいい。千歩譲って、貴様が俺の子孫だとして、つまり あれか? 未来では 体細胞から子供を作ることが容易になっていて、何者かが俺の細胞と どこぞの女の細胞を――」 「それはできないことではありませんが、僕は違います。僕の曾祖父母は――あなたと あなたの妻は普通に恋をして、結婚し、子を成しました」 「だから、そんなことは ありえないと言っているんだ!」 「あなたが どう思おうと、ありえないと言い張っても、それが事実なんですから仕方がありません。今日は 西暦20XX年9月27日。あなたは、1週間後の10月4日に、アオイ ユイという名の女性と出会い、恋に落ち、3年後に、その女性との間に娘を一人 儲けるんです」 「頼むから黙ってくれ!」 氷河は、執着心が強く、独占欲が強く、諦めが悪い、自分という男の性格を よく知っていた。 その価値観、行動パータンも、そして 今 自分が誰に恋をしているのかも――自分のことなのだから 当然なのだが――氷河は承知していた。 既に瞬に恋をしている自分が――その上、その恋人は生きている――たった1週間後に、他の女に恋などするはずがないのだ。 そんなことは、絶対に ありえない。 決して ありえないことを、瞬の耳に入れることは やめてほしかった。 80年後の未来から やってきたなどという馬鹿げた話を、瞬が信じるとは思えなかったが、そんな可能性があることを瞬に気付かせるだけでも、好青年の主張は氷河の恋の妨げになった。 どんなに可愛らしくても――氷河が恋した人は女子ではなく、氷河は その人との間に子を成すことはできないのだ。 「氷河、そんなに いらいらしないで、落ち着いて静かにヤスダさんの お話を聞こうよ」 「瞬!」 まさに最悪の展開。 たとえ このヤスダユウヤなる青年が稀代の詐欺師で、彼の語る話が嘘八百だったとしても、そして、彼の話を瞬が信じなくても――彼の言葉が瞬の中に余計な感情や躊躇を生ませないと限らない。 そんな事態を、氷河は何としても避けたかったのである。 氷河は、悲鳴じみた声で瞬の名を呼び、瞬の親切(?)に異議を唱えたのだが、好青年は そんな氷河を無視して、彼の“お話”を始めてしまった。 |