『あの手の男には関わるな』という氷河の注意の意味するところを 瞬が理解していなかった――というわけではないだろう。
いわゆる反社会的勢力と関わりを持つこと芳しからずというのは、日本国法務省が指針を出していることであり、あの手の男に関わりを持つ行為は 社会の秩序を乱す 全くよろしくないことなのだ。
そのことを、瞬が理解していなかったはずはない。
そして、瞬は、氷河の注意に反したつもりもないのだ。
なにしろ 瞬が関わったのは、“あの手の男”ではなく、少女だったのだから。

「駅前の紅茶専門店に紅茶を買いに行って、その帰りに公園の中を通ってきたんだよ。そしたら、この人が 車輪梅の茂みの陰に うずくまってたの。隠れんぼでもしてるのかなあって思ってたら、氷河の冬のコートを買いに出た時に会った あの人が来て、それで僕も慌てて茂みの中に隠れたんだよ。氷河に近付くなって言われてから。あの人、この人を捜してるみたいだった。だから、二人で見付からないように逃げてきたんだ」
「……」

不快な人間に煩わされることなく 二人で平和に穏やかに生きるために、氷河が整えた二人の家。
そこに瞬が連れてきたのは、栗色の髪と茶色の目をした10代の少女だった。
少女は、どこから何をどう見ても日本人ではなく――日本語を解しているようにも見えなかった。
氷河に事の次第を(日本語で)説明している瞬を、きょとんとした目で見詰めている。
彼女のトーンは決して危険なものではなく、むしろ ひどく微弱で、戸惑いと怯えの色を呈していた。
困っている人を見ると 手を差しのべずにいられない瞬が、彼女を放っておけなかった気持ちは、氷河とて わからないではなかったのである。
もとい、瞬の気持ちは わからなかったが、瞬なら そうするだろうと納得することはできた。
彼女は何かに――もしかしたら、自分以外の すべての物事人に――怯えているようだったから。
氷河は、なぜ自分は『あの手の男には関わるな』とだけ 瞬に注意し、『あの手の男と関わりを持つ人間にも関わるな』と注意しておかなかったのかと、自らの迂闊を心底から悔いたのである。

「どうして、こんな面倒事を拾ってくるんだ!」
「だって、ナターシャさん、困ってるみたいだったから……。僕のお粗末なロシア語じゃ、うまく意思の疎通ができないんだけど、ナターシャさん、自分がどこにいるのかも わかってないみたいだったの」
「ナターシャ?」
瞬が拾ってきた面倒事は、どうやらロシアから運ばれてきた面倒事らしい。
「まさかロシアンマフィアの構成員か、その女というんじゃないだろうな」
氷河がロシア語で確認を入れると、少女は 驚いたように 瞳を見開いた。

「ロシアの人?」
「そう。半分だけ。氷河っていうの。ちょっと 素っ気ないけど、根は優しいから。で、僕は瞬だよ」
「氷河……と瞬」
「うん」
こんな面倒事を抱えることになるのなら、瞬にロシア語を教えるのではなかった――と、後悔しても後の祭り。
瞬は この面倒な客人のために、早速 買ってきたばかりの葉で お茶の準備を始めてしまったのだった。






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