氷河並みに冷酷な俺の心臓は、それから2、3日ほど どきどきしたままだった。
3日後に、聖闘士になる夢を諦めた奴等が 聖域を去っていくまで。
聖域を去る奴等を見送っていたら、俺の心と心臓は、俺が聖闘士になるなんて無理な話だと、冷静に考えられるようになった。
聖域にやってきて 2ヶ月も経たないうちに 聖闘士になる夢破れ、叶わなかった夢を抱えて聖域を去っていった奴等。
金がほしくて聖域にやってきた俺なんかが聖闘士になったりしたら、あいつらは傷付くに違いない。
そう思ったら、俺の興奮状態は、俺自身も驚くほど急激に冷めてしまったんだ。
なのに――わざと ゆっくり作業していた処女宮の修繕が終わりかけた頃、俺の心臓は またしても騒ぎ出した。

それは、聖域で1シーズンに一度 執り行われる定例のイベントなんだとか。
アテナが聖域にいる者すべて――聖闘士から雑兵から下働きの者まで――をアテナ神殿の前に集めて、いわゆる基調演説というのをしてくれるんだ。
アテナの両側には、今現在 聖域にいる黄金聖闘士たちがアテナを守るように居並んでいる。
その時、俺は初めて、瞬さんが乙女座の黄金聖衣をまとっている姿を見た。
あの華奢で可愛らしい瞬さんが、仰々しい金ぴかの聖衣に 全然負けてなくて、凛々しくて、威厳すらあって――認めるのは 大いに不本意だが、氷河も 滅茶苦茶 格好よかった。
アテナの両脇を固める黄金聖闘士たちは皆、優美で力強く、見る者を圧倒させる威厳を備えていた。

皆が憧れるのも 当然だ。
黄金聖闘士たちは皆(欠員も数名あるんだが)本当に美しかった。
そんな黄金聖闘士たちを見ていたら、諦めたはずの無謀な夢が、俺の中で また頭をもたげてきたんだ。
才能があって、努力をすれば、俺も あの仲間に入れるんだろうか。
瞬さんの隣りに、瞬さんと同等の者として立つことができるんだろうか。
そんなことになったら、どんなに素晴らしいだろう――って。
うっとりと、俺の心は 夢に酔った。

まあ、そんな俺の夢と憧れは、その日のうちに氷河に ぶち壊されてしまったんだけどな。
黄金聖闘士たちの美しい勇姿を見た余韻 冷めやらぬまま、修繕の最後の仕上げに取りかかるために処女宮に向かったら、そこには 今日も氷河が来ていて、ついさっきまでの恰好よさはどこへやら、すっかり だらけきった様子で石のベンチに横臥していたんだ。
緊張感も何もあったもんじゃない。
冷酷でも 口が悪くても 怠け者でも黄金聖闘士は黄金聖闘士、やっぱり恰好いいと見直したばかりだったのに、派手に幻滅させてくれるもんだ。

氷河が、瞬さんと違って いつも黄金聖衣を身にまとってるのは、そうしていないと、顔とガタイがいいだけの ふやけた青二才にしか見えないからだ。多分。
金ぴかの聖衣をまとっていないと、氷河は 誰にも黄金聖闘士だと わかってもらえない。
基調演説するアテナの横に控えていた時には、まさに威風辺りを払うってふうで 威厳さえ感じたのに、ちょっと気を抜くと、やる気のない、ただのあんちゃん。
くつろぐにしたって、黄金聖闘士なら もう少しカッコよく くつろげないもんだろうか。
氷河は、戦いの時に備えて 牙や爪を研ぐライオンっていうより、だらけて溶けかかったナメクジみたいだ。

そのナメクジが、
「黄金聖闘士は退屈だ」
なーんて 詰まらなそうに ぼやき、そんなナメクジに、人間であるところの瞬さんが、
「黄金聖闘士が退屈なのはいいことでしょう」
と、苦笑しながら答える。
瞬さんは もう黄金聖衣を脱いでしまっていて――できれば、黄金聖衣を身にまとっている瞬さんを間近で見てみたかった俺を、少し がっかりさせてくれた。
瞬さんは、聖衣を着けていないと、可憐で可愛い薄桃色の小さな花だな。
溶けかけたナメクジなんかに近付くなと、言えるものなら言ってやりたい。

「身体がなまる」
すげーな。ナメクジの身体が今以上に なまることもあるんだ。
俺は もちろん、口には出さず 腹の中で そんなふうに毒づいてたんだけど、瞬さんが、ナメクジに、
「じゃあ出張に行かない? タソス島で不穏な動きがあるようなの」
って、俺の故郷の名を出したんで、途端に 氷河への不満はどうでもよくなった。
故郷って言っても、石の採掘場で遊んだ記憶と働いた記憶しかない、“ウツクシイ思い出”なんて ほとんどない島だけど、そこには俺の母さんがいる。
俺は にわかに全身を緊張させた。

「行くか。おい、ガキ。おまえも一緒に来い。ここの仕事は もう終わるんだろう?」
俺の名前は『ガキ』じゃない。オパリオスだ。
いつになったら氷河は俺の名前を覚えてくれるんだ。
ナメクジには 人の名前を覚えられるほどの脳みそもないのか!
――と、声に出して言うほど、俺は命知らずじゃない。
もちろん、俺は そんなことは言わなかった。
でも、『“不穏な動き”があるところへの出張のお供なんて仕事は、俺の仕事じゃない』と主張することくらいのことは しても許されてたろうし、俺には そう主張する権利もあったろう。
『なんで俺が?』って思ったけど、行き先がタソス島。
『来るな』と言われても、俺は、瞬さんに頼み込んで一緒に連れていってもらおうとしていただろう。
氷河の気まぐれは、俺には渡りに船、願ってもない命令だった。
おやっさんが、俺の気持ちを察して、
「島の様子を知ってる者がいれば、瞬さんたちの お役に立てることもあるかもしれない」
と言ってくれたこともあって、俺は翌日には 瞬さんと氷河についてタソス島に渡ることになったんだ。






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