俺の故郷タソス島は エーゲ海の最北域にある島、アテネかカバラから船で渡るのが普通の行き方だ。
氷河は まさか黄金聖衣を がしゃがしゃ言わせて、船に乗るつもりなのか。
そもそも、聖域を出る時、黄金聖闘士は どうするんだ? っていう、俺の心配は全く無用のものだった。
氷河と瞬さんは、移動に船なんか使わなかったんだ。
二人の移動ツールは、聖域発 タソス島直行のジェットヘリ。
しかも操縦するのは氷河自身。
そうと知らされた時、俺は ぞっとして、そして 死ぬ覚悟を決めたさ。
青ざめている俺に、氷河は、
「瞬が乗ってるのに、俺が危険な操縦をするはずがないだろう」
と、クールに(?)言ってのけてくれた。

ヘリを操縦するのに、さすがに がしゃがしゃした黄金聖衣は邪魔らしく、氷河は いわゆる私服着用。
――なのは よかったんだが、それは俺には到底 理解できないセンスのものだった。
作り物みたいに整った顔、男なら誰もが羨む均整のとれた体躯――を持ちながら、氷河は自分の見た目に まるで頓着しない男らしい。
黄金聖衣を脱いだ氷河は、聖衣装着時より2、3歳 若く見えて――俺と同い歳くらいにしか見えなくて――本当は鬱陶しいんだろう黄金聖衣を氷河が常に身に着けている真の理由は 実はそこにあるのかもしれないと、俺は思うことになったんだ。

それはともかく、タソス島。
俺が生まれ育ったタソス島の主産業は、漁業と農業、そして 採石業――高級大理石 タソスホワイトの採石と その一次加工。
それらの産業が すべて島の観光業のために行われているような島だ。
クレタ島の20分の1、レスボス島やロドス島の4分の1の面積に、人口が1万3千超。
常に 島民の数以上の観光客が島内には滞在している。
そんなふうな、ギリシャでは ごくありふれた島なんだ。

「休暇をやる。俺たちは あちこち偵察しなければならないし、場合によってはバトルになることもあるかもしれない。おまえは足手まといになる。邪魔だ」
島の中心から外れた場所にヘリを着陸させるなり、氷河は偉そうに そう言って、俺を追い払おうとした。
すぐには何を言われたのか わからなくて、俺は しばらく ぽかんとしてたんだ。
瞬さんが、
「会いたい人に会いにいっていいんだよ」
って言ってくれて、それでやっと意味がわかった。
瞬さん――と、癪だけど氷河にも――礼を言おうとしたら、氷河は瞬さんの手をとって(ほんとに手をつないで!)、さっさと山の方に向かって歩き出してしまっていて、その態度に むかついた俺は結局 氷河に礼を言わなかった。
多分 氷河も、俺の礼なんてほしくなかっただろう。

そうして 氷河たちと別れた俺は、すぐに町――と言っても、タソス島には 町といえるものはタソス市一つしかないんだが――の病院の近くに 聖域から支給された支度金で準備した家に向かったんだ。
なのに、母さんは そこにいなかった。
何か問題があったのか、近所の人にきいてみたら、人通りの多い町では 人様に ぶつかって迷惑をかけるからっていう、訳のわからない理由で、母さんは 元の家――石の採掘場の近くの家に戻ってしまったらしい。

俺は慌てて、石の採掘場に向かって駆け出したさ。
人の多い町中では、確かに盲人には いろんな不都合があるだろうし、人に遠慮しなきゃならないようなことも多いだろう。
でも、そんなのは、石切り場で働く人夫や職人と その家族の家が あちこちに点在する中に ぽつんとある家の不便や心細さよりは ましだろうと思って準備した街中の家だったのに、母さんは人様に迷惑をかけたくないっていう気持ちの方が強かったらしい。
初めて手にした大金に浮かれて、俺は そこまでのことは考えていなかったんだ。

石切り場に向かって浜を駆けている途中で、変な空気を感じて――胸騒ぎに囚われた俺の駆け足が全力疾走になる。
ここは聖域じゃないんだぞ。
こんな小さな島で、誰が、何のために、こんな不穏な空気を撒き散らしているんだ!

生まれた時から 聖域に行くまでの日々を過ごした家――といっても、掘立小屋みたいなものなんだが――は、俺が島を出た日と同じ佇まいのまま、そこにあった。
でも、安堵の息をつく余裕は、俺にはなかった。
「母さん!」
「オパリオス……?」
俺が、母さんを呼んで 家の中に飛び込んだ途端、採掘場の方で大きな爆発音がした。
石を切り出す時の発破のそれとは違う音。
俺の同輩たちが倒された、あの襲撃の時と同じ空気。
「母さん、ここから動くんじゃないぞ!」
と怒鳴って 家の外に飛び出たら、そこには いつのまにか この辺では見掛けたことのない奴等――観光客じゃないと一目でわかるような奴等――が集まってきていて、そして俺と母さんの家は すっかり そいつらに囲まれてしまっていた。

『囲まれていた』という言い方は 正確じゃないかもしれない。
こいつ等は 俺の家を空き家だと思っていたんだろう。
そこから突然、反抗的で攻撃的な目をした男が飛び出てきたもんだから、こいつ等は 急遽 俺に抗戦するために 家の周りに ぞろぞろと集まってきたんだ。
こんなことになるなら、敵と戦う術を習っておけばよかったと後悔しても後の祭りだった。

俺との間合いを徐々に詰めてくる敵――敵なんだろうな――の数は4、50人。
とても俺一人で撃退することなんてできそうにない数だった。
だから、その時 俺が考えたことは、『とにかく母さんだけは守らなきゃならない』だった。
そして、『俺が ここで死ぬのは構わないけど、角膜だけは無傷のままで』だった。
でも、その願いが叶えられるかどうか。
「くっそーっ!」
ほとんど やけになって咆哮し、俺は敵たちの中に突進していったんだ。
とにかく いちばん強そうな奴の力を 少しでも殺いでおこうと考えて、敵たちの中で いちばんの巨漢を目標に定めて。

でも、それは 無駄な足掻きで、意味のない抵抗だった。
俺の方が先に拳を打ち込んだのに、そいつの拳の方が一瞬 早く俺の腹に食い込もうとしてるのを見て、俺は自分の攻撃の無意味を悟った。
そして、死か、死ななくても不具になるだろうことを覚悟したんだ。
けど――そいつに腹を えぐられて倒れ伏すはずだった その瞬間、俺は なぜか 痛みを感じることもなく、その場に立ち続けていた。

「ネビュラチェーン!」
どこかで聞いたことのある声が、俺と巨漢の間に割り込んでくる。
続いて、どこからか飛んできた鎖が その男の腕を絡め取り、そのまま 身体ごと、そいつは どこかに放り投げられてしまった。
辺りに充満していた 重苦しく禍々しい色の空気が、やたらと明るく元気な小宇宙――小宇宙だろう――に、瞬時に消し飛ばされる。
薄桃色の小宇宙と白色の小宇宙。
聖闘士だ。
でも、黄金聖闘士じゃない。
おそらく、青銅聖闘士。
なのに、ものすごく強い。
いや、強いっていうより、大きくて、激しくて、勢いがあって、しかも 数秒ごとに、その大きさ 激しさは、更に大きく激しくなっていく。
へたをすると この小宇宙は、黄金聖闘士の氷河が 聖域を襲撃してきた奴等を一瞬で倒した時のそれより 強大なんじゃないだろうか――。

俺が そう思った時だった。
「そんな へっぴり腰でマーマを守れるか!」
っていう声が、俺の上に降ってきたのは。
「は? マーマ?」
反射的に、俺が その言葉を鸚鵡返しした時にはもう、50人近くいた暴漢は皆、地面と仲良くなってしまっていた。
その場に自分の足で立っているのは、俺の他には、ピンクの聖衣をまとった青銅聖闘士が一人と、青と白の聖衣をまとった青銅聖闘士が一人だけ。
その青銅聖闘士は 瞬さんと氷河――黄金聖闘士のはずの瞬さんと氷河で――俺は二人の前で ただただ あっけにとられていることしかできずにいたんだ。

母さんの目が見えてないのは 幸いだったかもしれない。
家の周囲の大地がえぐれて巨大な穴が幾つも出現している様を、母さんは目の当たりにせずに済んだんだから。
そんなことを、ぼんやりした頭で、俺は思うともなく思った。






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