冬物語






ヒュペルボレイオスは、世界の陸地の4分の1を占める大国である。
ギリシャの各都市国家群において最も強大な勢力を誇るアテナイやスパルタでさえ、国土の面積で比較すれば、その500分の1にも足りない。
だが、その広い国土は世界の北方にあり、国土に占める農耕地の割合は 極めて小さなものだった。
国土の4分の1が1年を通してツンドラや氷雪に覆われ、更に 残りの2分の1が亜寒帯気候地域、温帯気候地域と呼べる地域は国土の4分の1ほどしかないのだ。
麦が実る地域は 国土の半分もなく、もちろん その地域がすべて農耕地ではない。
野菜も低温に強い作物が僅かに育つ程度、到底 全国民に行き渡る量を産することは不可能。
牧畜業は盛んだが、気温が低い年には 牛や山羊が出す乳も減る。
ヒュペルボレイオスの食料の自給自足率は7割に満たなかった。
地下資源は豊富なのだが、どれほど 鉄や石炭、金銀宝石類があっても、食糧がなければ、人間は生きてはいけないもの。
冬は、ヒュペルボレイオスには試練の季節だった。

その北の大国に、冬が近付いている。
今年は無事に冬を越すことができるのか。
国民を飢えに苦しませることなく、もちろん餓死者を出すこともなく、無事に この冬を乗り切ることができるのか。
ヒュペルボレイオスの国王である氷河と、彼の家臣団は苦悩していた。
否、苦悩しているのはヒュペルボレイオスの家臣たちばかりで、王である氷河の胸を占めているものは 苦悩ではなく、むしろ後悔だったかもしれない。
冬が来る前に、エティオピアを侵略しておくべきだった。
侵略が無理なら、エティオピアが産する農産物を略奪しておくべきだった。
それが、いよいよ試練の季節を迎えようとしているヒュペルボレイオス国王の後悔。
そして、氷河の後悔は エティオピアという国への憎しみによって作られたものだった。

エティオピアは、世界の陸地の4分の1を占める南の大国である。
気温が高く、降水量も多く、国土の3分の2が農耕地。
しかも、その農耕地のほとんどで二期作、二毛作が可能で、農作物の生産量は 極めて多い。
麦や米等の穀類はもちろん、野菜も果物も、大した世話をしなくても実る。
食料の自給自足率は 150パーセント。
鉄鉱石や宝石等は無くても、国民が飢えることは決してない、幸運な国。
それがエティオピアという国である。
氷河が そんなエティオピアの幸運を羨むのは、必ずしも ゆえなきことではない――かもしれなかった。

とはいえ、つい2年ほど前までは、冬期はもちろん夏場にも、エティオピアから食料を買い入れ、その食料に頼って、ヒュペルボレイオスは容易に冬を乗り越えることができていたのである――ヒュペルボレイオスが冬の食糧不足を案ずる必要はなかった。
が、今は、ヒュペルボレイオスはエティオピアとの国交を断絶、交易も禁じている。
そのため、ヒュペルボレイオス国内にエティオピアの農産物が流通することはなくなり、その当然の帰結として、冬を控えたヒュペルボレイオス国内では、物を食べて命を繋ぐ者たちのすべてが不安を募らせていた。

国交の断絶、交易の全面禁止などという重大な決定は、国の主権者である国王にしかできない。
2年前、その決定を為したのは、もちろんヒュペルボレイオスの国王である氷河自身だった。
そして、氷河が その決定を為した その瞬間から、ヒュペルボレイオスの家臣たちは、エティオピアとの交易を復活させるべきだと 国王に訴え続け、氷河は その訴えを断固として拒絶していた。
国交断絶後の二度の冬を、ヒュペルボレイオスはエティオピアからの食料を輸入せずに 何とか乗り切ることができたではないか。
今年もきっと どうにかなるはずだと、氷河は言い張っていたのである。

「エティオピアに頭を下げることなどできるものか。食料は、エティオピア以外の国からでも輸入できるだろう。エティオピアの国土は世界の4分の1。それ以外は すべてエティオピア以外の国なんだ」
というのが、氷河の言い分だった。
それが無茶な主張だということは、氷河とて わかっている。
だが、人間には――まして、一国の王として 故国を守る義務を負う人間には、どうしても譲ることのできない一線、何としても守らなければならない誇りというものがあるのだ。
もっとも 彼の家臣たちは、『王の誇りも 国の尊厳も、命あっての物種』という考えでいるようだったが。

「その、エティオピア以外の国の ほとんどが、量の多少の違いはあっても、エティオピアの農産物を輸入している状況なんです。エティオピアほどの大規模な農地のない小国では、国内の耕地で自国の民を養うのに ぎりぎりの農作物を得るのがやっと。少し余裕がある国は、我が国の足元を見て、麦にも 果実にも 播種用の種にすら、法外な値をつける。エティオピアのものより質の悪い作物に、我が国は、エティオピアのそれへの4倍5倍の金を払わされています。運搬も、大型船で一度に大量の作物を運んでこれるエティオピアの方が、はるかに時間も手間もかかりません」
というのが、大臣たちの主張だった。

そのあたりの事情は、もちろん氷河も わかっている。
大臣たちは、これまでに何度も その事実を氷河に伝え、氷河にエティオピアとの交易再開を嘆願していたのだ。
もちろん、氷河はすべてを承知していた。
だからこそ、彼は沈黙という答えを大臣たちに返すしかないのである。
そして、氷河の断固たる沈黙に出会うと、エティオピアの大臣たちは 揃って悲嘆の息を洩らすことになるのだった。

氷河がエティオピアを憎み拒むことに“正当”といっていい理由があることを知っているので、王に沈黙されると、彼等は何も言えなくなってしまうのである。
エティオピアは ヒュペルボレイオスにとって、仇の国。
より正確に言うなら、エティオピア王家はヒュペルボレイオス王家の仇、エティオピア国王は 氷河の父の命を奪った憎い仇なのである。

氷河がヒュペルボレイオスの王位に就いたのは、今から十数年前、氷河が2歳の時だった。
僅か2歳の幼な子が王位に就くことになったのは、もちろん彼の父である前ヒュペルボレイオス国王が亡くなったから。
そして、氷河の父であるヒュペルボレイオス前国王の落命は、エティオピア前国王の剣によるものだった。

そうして、王を失ったヒュペルボレイオスでは、夫を殺された王妃(氷河の母)が幼年の王の摂政になり、政治の実務は、代々ヒュペルボレイオス王家に仕えてきた大臣たちが執り行なうことになった。
その体制が15年。
その後、氷河が成人したと見なされ、彼が王としての親政を始めたのが2年前。
その時まで、氷河は、自国がエティオピアとの親密な関係を維持していることを知らなかった。
食糧の輸入、鉄鉱石等の輸出、人的交流――氷河は、彼が 王としての実務に携わるようになって初めて、父王亡きあとも 両国が極めて親密な関係を保っていたことを知ったのである。
氷河は、当然のごとくに、父王の死の時から ヒュペルボレイオスとエティオピアの国交は断絶しているものと思っていたのだ。

王を殺された国と、王を殺した王が治める国が 友好国のままでいる。
それは氷河には到底 考えられないことだったから。






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