「この記事が載った週刊誌が、明後日 発売されるわ」 その日の仕事を無事に終え 城戸邸に帰宅した瞬の前に、沙織が そう言って差し出したのは、A3サイズの紙が3枚。 それは、写真週刊誌6ページ分の校正刷りを見開き状態にしたものだった。 半分以上が白黒の写真で、記事自体は少ない。 その写真の上には、大きなサイズのゴシック体で、 『スキャンダルバージン返上 !!!? 』 『エスメラルダ、熱愛発覚 !!!? 』 『ホテルで密会、3時間 !!!? 』 等の文字が躍っていた。 「な……何ですか、これ……」 瞬は、文字が読めなかったわけではない。 もちろん 読めたし、字義を理解することもできた。 だが、瞬は 沙織に尋ねないわけにはいかなかったのである。 言葉は理解できるのに、言葉の内容が、瞬には全く理解できなかったのだ。 「何と言われて……見ての通り、地上で最も清らかな美少女アイドルの初スキャンダル記事よ。氷河と あなたが いかがわしいホテルに入るところと 出るところの写真付き。既に 印刷・製本にまわっているそうよ。エクスクラメーションマークに、さりげなく クエスチョンマークを混ぜているあたりが卑怯でしょう? 敵は、グラードから事実に反すると訴えられても、これで『断言はしていない』と言い逃れるつもりなのよ」 「……」 写真がカラーでないのは、カラー写真を出すことによって、読者が余計なことに気付かないようにするためだろう。 最初の見開きページの写真は、黒塗りのセダンの脇に立つ氷河と、瞬が車から降りようとしている場面。 次の見開きページの写真は、後部座席に瞬が乗っている車に、氷河が乗り込もうとしている場面。 1枚目の写真には『 12月○日 18:20 』、1枚目の写真には『 12月○日 21:32 』と、わざとらしく日時が印刷されている。 写真の二人の背後にある建物――記事が、“いかがわしいホテル”と主張する建物――は、煽り文字や、おそらく わざと入れたぼかし効果のために 判然としなかった。 まるで身に覚えがない。 沙織に そう訴えても どうにもならないのだろうことはわかっていたのだが、それでも 瞬は、城戸邸ラウンジに悲鳴じみた声を響かせた。 「いかがわしいホテルなんて、僕、そんなとこ 行ってません!」 「先週、半日だけオフをとれたことがあったろう。あの時 行ったPHTホテルだ。“クリスマス・MOFの競演”」 氷河のその言葉に、瞬があっけにとられる。 「MOFって何だ?」 星矢が、およそ どうでもいいことを尋ね、 「フランスの国家最優秀職人賞――最優秀技術者の称号だな」 知っていても日常生活では まず役に立たない知識を、紫龍が披露してくれた。 「フランスの最優秀技術者の称号? なんだよ、それ」 「ケーキだ、ケーキ。MOFの称号を持つ3人のパティシエのケーキを賞味できるイベントに行ったんだ!」 いらいらした口調で、氷河が“密会”の実情を星矢に告げると、星矢は またしても、およそ どうでもいいことに呆れてみせてくれた。 「なら、クリスマスケーキ・フェアとでも言えば、わかりやすくていいのに」 「そんなことを俺に言われても困る。クリスマスケーキ・フェアなんて、そんな安直なイベント名を冠するのはPHTホテルのプライドが許さなかったんだろう。PHTホテルのどこが いかがわしいというんだ!」 「新御三家ホテルの一つを、いかがわしいホテル呼ばわりか。この雑誌の出版社、PHTホテルに訴えられても文句は言えんぞ」 スキャンダルを捏造する記者の大胆さに、紫龍は大いに呆れているようだったが、彼は その巧妙さに感心してもいるようだった。 校正刷りの写真は“いかがわしいホテル”の全容が把握できないように巧みに処理が為されていて、その場所が東京の外資系 御三家ホテルの一つの車寄せだということは、当のホテルに勤めている者でも気付きそうにない。 もちろん、『一流ホテルだから、いかがわしくない』と言い切ることもできない(かもしれない)。 いずれにしても、煽り文句に『?』があるのだから、問題の出版社を しかるべきところに訴え出ても、PHTホテルやグラードエンターティメントが勝てるとは限らないだろう。 敵は海千山千かつ百戦錬磨の強敵のようだった。 「記事では、『エスメラルダは、金髪の男と二人でホテルに入って、3時間後に出てきた』となっているわ」 と説明する沙織に、 「そ……それは事実ですけど……。いいえ、事実じゃありません。僕は、その時、金髪のカツラは つけてなかったし、カラーコンタクトも外してたんです。あの時、僕は、エスメラルダじゃなく 僕だったのに……」 と告げることの空しさといったら。 この記事を捏造した記者は、エスメラルダの変装を解いた瞬を、変装したエスメラルダだと信じているに違いないのだ。 泣きたい気持ちになり、そういう表情をした瞬に、沙織が溜め息で答えてきた。 「この雑誌の編集部はね、タレントのスキャンダル記事掲載の差し替えや中止の交渉に絶対応じないので有名なところなのよ。すべての芸能プロダクションを敵にまわしているような出版社。敵も命がけ――というわけ。だから売れているのだけど……困ったわね。この記事の掲載を差し止めようと思ったら、現役閣僚のスキャンダルでも提供しないと無理よ。いいえ、それでも無理かもしれないわ。今 この国に、エスメラルダよりニュースバリューのある政治家なんていないもの」 「ひどいっ。あんまりだっ!」 これまで世の中に流布してきた無数のスキャンダルの どれほどが真実で、どれほどが捏造だったのか。 全く興味のない分野だったので、これまで そんなことは考えたこともなかったのだが、ともかく 瞬は、この手の記者にプライベートを監視されている すべての芸能人・著名人に同情した。 「釈明会見でも開く? ファンが大騒ぎするわよ」 「何を釈明するんです! 僕は、何も悪いことをしていませんっ」 「そうね。悪いことをしたのは、あなたではなく エスメラルダよね」 「……」 沙織の言いまわしは微妙だった。 瞬は、エスメラルダの代役をやめれば、このスキャンダルによって いかなる損害も被ることはない――このスキャンダルと無関係な人間になることができる。 だが、エスメラルダは――もし 彼女が戻ってきてくれたとしての話だが――彼女は、自分が為したわけではない不始末が引き起こす あれこれを我が身に引き受けることになってしまうのだ。 “何も悪いことをしていない”エスメラルダに このスキャンダルの責任と後始末を押しつけるわけにはいかなかった。 「その雑誌の記事が どれほどの影響力があって、どんな波紋を生むことになるのか わかりませんが、成り行きを見て、必要なのであれば 釈明会見でも何でもします……」 しかし、釈明会見など開いても、瞬が その場で語れるのは、三人のMOFの作ったケーキの感想だけである。 瞬が そう言うと、沙織は、 「その釈明、とても面白いわ。釈明会見、ぜひ 開きましょう」 と、実に楽しそうに(無責任に)笑ってのけてくれたのだった。 |