引退発表会見には、エスメラルダ当人が出た。 てっきり いかがわしいホテルでの密会の釈明会見だと思って会見会場に集まってきていた芸能記者たちは、不意打ちのようにマネージャーから告げられた、今をときめくトップアイドルの引退発表に騒然。 200名を超える記者たちからは 怒号のような質問の雨が降り注いだが、エスメラルダは 彼等に対して一言も口をきかず、いつもの泣きそうな目で微笑しただけだった。 エスメラルダは、嘘も言い訳も言うことができず、ファンと一輝と その他すべての人たちのために、真実を言うわけにもいかなかったから。 そんな会見の中継を 固唾を呑んで見守っていた彼女のファンたちは、 「俺たちのエスメちゃんが 清らかでないはずがない!」 という、訳のわからない大合唱を始め、会見の翌日 急遽発売が開始された引退コンサートのチケットは、外来オペラチケット並みの高額にもかかわらず、本会場はもちろん 全国ライブビューイング会場分も合わせて すべて瞬殺状態。 「男って、つくづく馬鹿よねー」 と、沙織を感動させてくれたのだった。 あの涙の競演の日以降、エスメラルダは城戸邸で起居することになり、彼女を一人にできない一輝も『群れるのは嫌いだ』の信条を返上して、かなり居心地が悪そうにではあったが、城戸邸での生活に甘んじていた。 もともと べたべた甘えることは許してくれない兄だったが、エスメラルダに遠慮して、瞬は少し離れたところから、そんな二人を見詰めていたのである。 一輝は、エスメラルダにも べたべた甘えることを許さず、少なくとも彼の仲間たちの前では、彼女に対しても素っ気ない態度を貫いていた。 派手に いちゃつかれても困るのだが、兄の素っ気ない態度はエスメラルダを心細い気持ちにしてしまうのではないかと、瞬は少々 不安を覚えたのである。 が、エスメラルダは、一輝の側にいることができれば、それが最上の幸福と思っているかのように、いつも嬉しそうにしていた。 その“嬉しそう”な様子も、大仰に言葉や表情で示すのではなく、注視しなければ気付かないほど 控えめで ひそやか。 “金髪の大和撫子”とは よく言ったものだと、瞬は――氷河も星矢も紫龍も――胸中で こっそり感心することになったのである。 これが一輝の好みなのか――と。 美少女であることに間違いはないのだが、ステージ衣装を身に着けていないエスメラルダは、地味で目立たない少女でさえあった。 ステージ衣装を身に着けると(ある意味)目も当てられないが、普段着でも、ただ そこにいるだけで人の目と意識を引きつける瞬とは、極めて対照的。 この二人が入れ替わって、よく周囲の人間に別人と ばれなかったものだと、瞬の仲間たちは思った。 入れ替わりが ばれなかった理由の一つは、おそらく、絶対に普段着としては着用できない奇天烈なステージ衣装のおかげ。 そして、もう一つの理由は、これほど対照的な二人の人間が、その瞳だけは同じように澄みきっているからだったろう。 「いつまでも夢を捨てることのできない生き物なんですよ、男と言うのは」 男の馬鹿さ加減に感動している沙織に、紫龍が 当たり障りのないコメントを返す。 ラウンジの3人掛けのソファに腰を下ろしていた氷河は、紫龍の(女性向け)当たり障りのないコメントとは 趣を異にした見解を、彼の隣りに座っている瞬に小声で告げた。 「エスメラルダのファンの男共の見る目は正しい。駆け落ちまでしておきながら、一輝の奴、エスメラルダと寝ていないぞ、多分」 「氷河……!」 瞬が、慌てて、兄とエスメラルダの上に視線を走らせる。 一輝は、エスメラルダの引退発表記事の載った計脳週刊誌を 嫌そうな目で眺めており、エスメラルダは そんな一輝を少し困ったように、だが幸せそうに見詰めている。 氷河の声は、二人には聞こえていないようだった。 それを確認して、瞬は ほっと安堵の胸を撫でおろしたのである。 氷河が、言わなくてもいいことを――せめて エスメラルダのいないところで言ってほしいことを、(一応、小声で)語り続ける。 「皆、気付いている。沙織さんだけが――いや、沙織さんは、そんなことは彼女にとってはどうでもいいことだから、考えてもいないだけか」 「当たりまえです! 兄さんは 氷河とは違います!」 羞恥のためというより、自分たちの会話をエスメラルダに聞かれることを恐れて 頬を紅潮させ、瞬が(もちろん、小声で)氷河を なじる。 そうしてから 瞬は、更に小さな声で、 「ううん……。違うのは、僕とエスメラルダさんなのかも」 と呟いた。 その呟きが、氷河には慮外のことだったらしく、彼はすぐに(当然、小声で)瞬に反論してきた。 「俺は、俺がおまえに何をしても、おまえの清らかさが損なわれることはないと わかっていたから、強引に おまえに迫っただけだ。おまえを他の誰かに横から奪われる事態だけは、俺は 絶対に避けなければならなかったし」 「エスメラルダさんも そうだと思うけど……」 氷河の反論の後半部分は無視して、瞬は呟きを重ねた。 すぐに、すべきでない詮索を自分がしていることに気付き、左右に2、3度 首を振る。 「やだ、僕、なに言ってるの……。そんなこと、第三者が傍でどうこう言うべきじゃないよね」 「まったくだ」 氷河が すんなり引き下がったのは、瞬が自分を兄の恋愛問題の第三者だと認識している事実に心を安んじたからだったろう。 兄に対する瞬の愛情は、その幸福を願って 美少女アイドルの代役を務めるほど強く深いが、極めて真っ当。 それは、氷河には 非常に喜ばしいことだったのである。 |