年内に それなりの大きさのイベント会場を確保するのは難しいのではないかという紫龍の懸念は 杞憂だった。 沙織は、よりにもよって大晦日に、日本一の収容人数を誇るドームスタジアムを エスメラルダり引退コンサートのために確保し、更に全国250ヶ所のライブ・ビューイング会場を押さえることまでしてみせた。 そして、その頃から、彼女の聖闘士たちは、ある一つの疑念に囚われることになったのである。 疑念というのは他でもない。 沙織は 実は最初から そのつもりだったのではないか――エスメラルダの失踪が発覚した時から、沙織はエスメラルダの引退について考えていたのではないか――という疑念である。 日本中津々浦々でカウントダウン・ライブが行われる その日、急遽 国内最大規模のコンサート会場を確保できること自体が、そもそも不自然なのだ。 引退発表の3日後に、たまたま 『さよならの代わりに』なるタイトルの、いかにも引退コンサート向けの新曲ができあがってくるのも怪しすぎた。 だが、誰も何も言わなかった。 すべてが沙織の計画通りだったのなら、それは全く 結構なことなのだ。 このまま すべてが沙織の計画通りに進行してくれれば、それに越したことはない。 瞬の周囲の人間は誰もが そう思っていたし、もちろん すべては沙織の計画通りに進んだのである。 引退コンサートにはエスメラルダが二人 登場した。 バーチャル映像だったのか、それとも本当に二人いたのか。 説明は一切 為されず、エスメラルダの引退コンサートは異様なまでの盛り上がりの中、謎めいたまま 無事に終了した。 最後のコンサートが終わると、一輝とエスメラルダは誰にも行先を告げず、仲間たちの前から姿を消した。 『氷河が瞬を泣かせるようなことがあったら、すぐに飛んでくる』という伝言だけを沙織に残して。 二人が再度 失踪することすら計画通りだったのではないかと思えるほど、沙織は ご満悦。 彼女は、 「あー、儲けた儲けた」 と、女神にしては少々 品格に欠ける言葉を、彼女の聖闘士たちの前で堂々と言ってのけてくれたのである。 「いいえ、まだまだ、儲けるわよ。エスメラルダの引退コンサートのDVDにブルーレイ、それぞれ異なる特典映像をつけて5、6セットは発売するつもりよ。ファンもメディアも、二人のエスメラルダの謎の解明に躍起になっているから、1セットだけ買って満足するような根性なしの 薄らとんかちは まずいないでしょう」 「そういうものなんですか……」 そのDVDやブルーレイディスクに出演している瞬の許には、もちろん1円の報酬も入ってこない。沙織とグラードエンターティメントが“エスメラルダ”で どれほど儲けたのか、瞬は恐くて沙織に尋ねることさえできなかった。 もっとも、瞬が あれこれ尋ねるまでもなく、上機嫌の沙織は エスメラルダ引退の内幕を ぺらぺらと 彼女の聖闘士たちの前に披露してくれたのだが。 「まあ、あの大人しくて欲のない子じゃ、どちらにしてもアイドル稼業なんてオシゴト、長くは務まらないとは思っていたし、あのスキャンダルを流せば、一輝が飛んでくることはわかっていたし――」 「ああ、やっぱり……」 すべては計画の内だったのかと、確認を入れる気にもならない。 もちろん、すべては沙織の計画通りだったのだ。 あげく、 「今、アルデバランを グラードフーズのステーキのたれのCFに出演させる企画が進行中なの。あなた方も、ユニットを組んで売り出す気はない? 聖域の維持運営費も馬鹿にならないのよ」 である。 青銅聖闘士たちは ぞっとして、脱兎のごとく 沙織の前から逃げ出したのである。 ステーキのタレのCFに駆り出されるアルデバランには同情するが、余計な口出しをして とばっちりを食うことだけは避けたい。 賢明なアテナの聖闘士たちは、『触らぬ神に祟りなし』という諺と その意味するところを、誰よりも よく知っていた。 |