白い大理石で建てられた壮麗な神殿。 その祭壇の前で、氷河は神々に問いかけました。 「ブルーアンバーの国王が、国に混乱を招くことなく、平民の恋人との恋を貫くには どうしたらいいのか」 と。 そう問い掛けられた神々は 当然、『ブルーアンバーの国王が、国に混乱を招くことなく、平民の恋人との恋を貫くには どうしたらいいのか』を答えることになり、『そんな恋は諦めろ』とは言えないはず。 恋は、人を損得の判断ができない無欲なものにもしますが、逆に策士にもするもの。 氷河は後者の典型といえました。 そんな氷河を、はたして神々はどう思ったのか――。 氷河の問い掛けへの答えは、男の声で返ってきました。 声の主は、神々の王である大神ゼウスか、それとも予言を司る神アポロンか。 その男神は氷河に名乗りをあげることはしませんでしたが、すべての神々を祀る万神殿で 人間に言葉を授けることができるなら、彼は 相当高い地位にある有力な神で、その答えは、当然のごとく 神々の総意ということになります。 その声は、若い男の声にも 歳を経た老人の声にも聞こえる 不思議な声でした。 どちらにしても、不死の神なら氷河より はるかに年上のはず。 神の年齢がわかったところで意味はありません。 ですから 氷河は すぐに、その神の正体や年齢を推し量ることは やめました。 氷河が欲しいのは、瞬との恋を成就させるための方策。 それだけでしたから。 「ブルーアンバーの王がそんなことを訴えてくるのは、百年ぶりほどであろうか」 正体不明、年齢不詳の男神の呟き。 その声の主は、自分の仕事を さっさと済ませてしまおうとする考えるタイプの神ではないらしく、氷河の問い掛けへの答えを、すぐには 与えてはくれませんでした。 いつもの氷河なら、『そんな前置きはどうでもいいから、さっさと答えをくれ』と文句を言うところなのですが、さすがの氷河も神に対して文句をつけることはできません。 それに、正体不明神の その前置き(?)は、氷河にとって なかなか有益な情報でした。 その前置きは、つまり、そういう願いを神に願ったのは 氷河が初めてではないという、非常に有意義な事実をブルーアンバーの国王に知らせてくれるものだったのです。 それはそうでしょう。 考えてみれば、それは考えるまでもないことでした。 考えてみなければ、『それは 考えるまでもないこと』と わからなかったことこそ、おかしな話でした。 その建国の時から千年近く。ブルーアンバーの国の長い歴史の中、金髪碧眼の人間以外にも、美しい者、才ある者、愛されるべき者は いくらでもいたでしょう。 正体不明神が口にした前置きは、価値ある平民に出会うたび、かつてのブルーアンバーの国王たちが神託を仰ぎ、障害を排除してきたことの証左。先例がいくつもあったということです。 これは期待が持てる――と、氷河は思ったのです。 気負い込み、緊張して、氷河は身を乗り出しました。 実は、氷河は そんなに緊張する必要はなかったのですけれどね。 ブルーアンバーの国王が 平民に貴族と同じ権利を授けたいと願うことは、氷河が思う以上に これまで しばしばあったことらしく、そういう場合の対応方法は 既に神々によって制度化・定型化されていたようでした。 正体不明で年齢不詳の神は、淀みのない口調で、その方法を 氷河に説明してくれました。 「ブルーアンバーの王の願いを叶えることの是非を決めるのは、ブルーアンバーの王の証である青い琥珀。ブルーアンバーの王権を保証する、あの石を使って決めることになっている」 「あの青い琥珀が?」 神に そう言われ、氷河は ごく軽く驚くことになったのです。 ブルーアンバー国王の証、王の大権を保証するもの。 この国の最高の宝とも言える青い琥珀を、氷河は戴冠式以来、見たこともなかったのです。 それは 王城の宝物殿にあることに意味があるもので、それ以外に何らかの力を持つものだとは、氷河は思ったこともありませんでしたから。 けれど、どうやら、この国の名の由来ともなった あの石は、存在すること以外にも 特別な力と役目を持つ石だったようでした。 「そうだ。神々がブルーアンバーの王に与えた あの石が認めれば、その者の姿や出自がどうであろうと、その者は この国にとって重要な意味を持つ存在となる。石に認められさえすれば、その者を伴侶に迎えようが、友人として遇しようが、国務大臣に取り立てようが、それは王の自由だ」 『伴侶に迎えようが、友人として遇しようが、国務大臣に取り立てようが、それは王の自由』 それは なんて嬉しい言葉でしょう。 「姿や出自がどうであろうと、伴侶にでも、友人にでも、国務大臣にでも? それは本当か?」 氷河の胸は、盛大に弾みました。 正体不明神の言が事実なら(もちろん、事実に決まっていましたが)、氷河は すべての国民の前で 瞬に永遠の愛を誓うことさえできるようになるのです。 こんな楽しい未来図は、そうそう描けるものではありません。 正体不明神の声は、喜び浮かれる氷河とは対照的に、ひどく冷やかなものでしたが。 「無論、本当だ。あの石の審判に臨み、石の是認を受けられれば、その者にはグリーンアンバーの石が与えられる。グリーンアンバーの石を持つ者には、ブルーアンバーの国王に準じる力が神によって与えられる。グリーンアンバーの有効期限は、ブルーアンバーと異なり、一代限りだがな。グリーンアンバーを与えられた者は、ブルーアンバーの国の民の目に、国王の次に高貴な者と映るようになるのだ。その者が王妃になろうが 摂政になろうが、国民は歓喜こそすれ、不満も不安も覚えないだろう」 「石の審判?」 『ブルーアンバーの石が、王の願いを叶えることの是非を決める』と『石の審判に臨む』が同じことを言っているのだとしても、言われた人間の印象は全く違います。 なにしろ、“審判”という言葉は、“罪の裁き”という意味を内在した言葉。 正体不明神の言に浮かれていた氷河は、ふいに 背筋に冷水を浴びせかけられたような気持ちになってしまいました。 「そうだ。石の審判。それは神が与える試練でもある。もちろん、その試練は容易に乗り越えられるものではない。運命によって与えられなかったものを手に入れるための試練なのだからな。ブルーアンバーの審判に臨む者は、自らの破滅を覚悟して その審判に臨まなければならない。場合によっては、命を失うこともある。王に次ぐ権利を手に入れることができるかもしれない機会が与えられるのだ。相応の代償を払うのは当然のことだろう」 氷河にしてみれば、それは全く“当然のこと”ではありませんでした。 王に準じる権利だか、緑の琥珀だかは知りませんが、それは無条件で瞬に与えられるべきもの。 それこそが、氷河にとっては当然で自然なことでした。 瞬には それだけの価値があるのです。 だというのに、試練とは――審判とは――瞬を試すとは 何事でしょう。 「その審判とは、どんな審判なんだ。これまでに 成功した者は どれくらい――」 「これまで、その審判に臨んだ者は、10人に9人が――いや、100人に95人が失敗しているな」 「そんなことは訊いていない!」 『100人が挑んで5人が成功している』と『100人が挑んで95人が失敗している』が、同じことを言っているのだとしても、言われた人間の印象は全く違います。 どうして神というものは、そういう人間の心の機微がわからないのでしょう。 『100人が挑んで5人が成功している』と言ってくれれば、『瞬は当然、その5人の中に入るだろう』と思うこともできるのに、『100人が挑んで95人が失敗している』などという言い方をされたら、言われた者は、『その95人の中に瞬が入ってしまう可能性はどれほどくらいなのだろう』と考えざるを得なくなってしまうではありませんか。 思い遣りの心に欠ける忌々しい正体不明神に、氷河は 思い切り気分を害してしまいました。 なのに――氷河の不快など意に介するふうもなく、正体不明神は こういうことには 迅速に対応してくれるのです。 「審判に臨む日は いつでもよい。その日は必ず晴れる。ブルーアンバーの王城の中庭の中央に大理石の台座を用意し、そこにブルーアンバーの石を置け。そして、王がグリーンアンバーを与えることを欲する者を、ブルーアンバーの石の前に立たせるのだ。その日の太陽が中天に至り、王権の証であるブルーアンバーの石が青色に輝いた時、審判に臨む者に 石が一つの問いを投げかける」 「問い? どんな問いだ」 「正解のない問いだ。審判に臨む者は、その問いに答える。その答えが石の意に沿う答えか否か。それが すべてを決する。その者の答えが 石の意に沿うものであれば、その者にはグリーンアンバーが与えられる。だが、そうでなかった時には、グリーンアンバーは与えられず、その者は 自らの答えに ふさわしい報いを受ける。答えの内容によっては、命を奪われることもある。ブルーアンバーの石の審判は、一度 臨むと決めたら、やめることはできない――中断できない。後戻りはできない。石の審判に臨むかどうかは、慎重に考えることだ」 「……」 『答えの内容によっては、命を奪われることもある』 他人事だと思って、軽く言ってくれるものです。 正体不明神は、それがどういうことなのか 正しく理解した上で言っているのでしょうか。 氷河は、正体不明神の あまりに淡々とした事務的な物言いに、激しい憤りを覚えました。 瞬の命が失われるということは、ブルーアンバーの王が 生きる希望と 生きる意味を失うということ。 ブルーアンバーの王の心も死んでしまうということです。 心が死んでしまった王に治められる国が どういうことになるのか。 それが正体不明神にはわかっているのでしょうか。 氷河には、正体不明神が それをわかっていると思うことができませんでした。 石の審判に臨むのが 瞬ではなく王であるのなら、氷河は ためらうことなく、その審判に臨むことができました。 欲しいものを手に入れるためになら何でもする――どんなことでもできる。 氷河はそういう人間でしたから。 それで失敗し、自らの命を落とすことになったとしても、挑まずにいられない。 それが氷河という男でしたから。 けれど、石の審判に臨み 失敗した時、失われるのは 王の命ではなく、瞬の命なのです。 『俺なら挑むから、おまえも挑め』などという言葉は、とてもではありませんが、氷河は瞬に言うことはできませんでした。 それに――たとえ王が そうすることを命じたとしても、あの大人しくて欲のない瞬が、そんな勇気を持てるかどうか。 『麦を与えられたら、おいしいパンを焼け。泥を与えられたら、上等のレンガを作れ』 当たりまえのことのように そんな言葉を受け入れてしまえる瞬は、命をかけて運命を覆すことより、理不尽で不公平な運命に耐えることの方を選ぶのではないでしょうか。 それでもいい、その方がいい――瞬の命を危険に さらすくらいなら。 そう思いながら、氷河は、神殿の外で 氷河を待っていた瞬に 正体不明神から下された神託を伝えたのです。 石の審判に臨んでくれとも、これまで通り 我慢してくれとも言わずに。――言うことができずに。 |