慌て困ってる僕を、この子はずっと見詰めていたみたいで――ちょっと きまりが悪くなった僕は、その きまりの悪さを微笑でごまかした。 そしたら、 「おまえ、俺より年上なのに、可愛い」 って。 「えっ……」 何を言い出したんだ、この子は。 「綺麗で可愛い。いちばん綺麗なのはマーマだけど」 「もちろん、そうに決まってるよ」 「うん」 マーマ――マーマが いちばんね。 やだな、僕。こんな小さな子の言うことに、真面目に どぎまぎして。 アテナの聖闘士が こんなことでどうするの。 「聖闘士になるには どうすればいいんだ?」 それは ともかく、この子は本気みたいで、真面目な顔で僕に訊いてきた。 真面目っていうのなら、この子は いつもずっと真面目で真剣だったんだろうけど。 「あ……それは、アテナ神殿に――もし近くにアテナ神殿がなかったら 万神殿に行って、聖闘士になりたいって、アテナに祈ればいいの。その願いが アテナの心に適うものなら、アテナは 君に 修行地と師を与えてくれる」 そうして 僕もアテナの聖闘士になったんだ。 つらい修行に挫けそうになるたびに、あの人の『聖闘士になれたら、褒めてやる』っていう言葉で、自分を鼓舞して。 「死ぬのはやめる。頑張る。マーマのために」 この子は、あの時の僕と同じだ。 大切なものを失って、一度は 生きることを諦めて――でも、僕は、あの人に会えた。 僕の氷河に出会うことができた。 僕の氷河が 僕にしてくれたように、僕は この子に生きる力を与えられるだろうか。 僕は、この子に 幸せになってほしいよ。 「頑張って、挫けずに生きるんだよ。運命に負けちゃ駄目だ。運命は必ず 変えられる」 「瞬も変えたのか」 「うん。ある人に出会って――それまで僕は すごい泣き虫だったんだけど」 ほんとのこと言うと、今もまだ ちょっと泣き虫なんだけど。 「こんなに綺麗で可愛いのに、瞬は神と戦うんだ。もっと力の強い大人たちも諦めてるのに。人間は神には敵わないって」 この子は 本当に、あの時の僕に似てる。 あの時、僕も思ったよ。 人間なのに、僕の氷河は神とだって戦うんだ――って。 人間が神と戦う――それは、それまでの僕には考えられなかったことで、僕は氷河の果敢と強さに圧倒され、憧れたんだ。 「君の方が綺麗で可愛いよ」 「マーマも そう言ってくれた。私の綺麗で可愛い氷河。愛してるわって」 え? 氷河……? その名を聞いて、僕の心臓は一瞬 止まりかけた。 ううん。実際に止まった。 この子の名前は 氷河っていうの? 氷河って、そんなに よくある名前じゃないのに。 髪だけじゃなく、瞳の色だけじゃなく、名前まで同じだなんて、そんなことがあるの? とんでもない偶然に、僕は本当に驚いたんだけど。 僕の氷河と同じ名前で、歳が20歳くらい離れているってことは、この氷河が 僕の氷河とは赤の他人だっていうことの証左になる。 近親だったら、紛らわしくて ややこしいことになるから、同じ名をつけるはずがないもの。 この子は、僕の氷河にそっくりな、でも赤の他人の おちびちゃん氷河なんだ。 僕は、小さい氷河に、彼のマーマのことを思い出させてしまったみたいだった。 小さな氷河が、その勝気な瞳に また涙を にじませ始める。 ごめんね。 ごめんなさい。 可愛い小さな氷河。 僕は、どうすれば小さな氷河の涙を止めることができるのか わからなくて――僕が泣いた時に 僕の母様が そうしてくれたように、小さな氷河を抱きしめてやったんだ。 「綺麗で可愛い氷河。愛してるよ」 小さな氷河のマーマが 大切な息子に囁いた言葉を繰り返して。 「ほんとか? 会ったばかりなのに」 小さな氷河が、僕の胸の中で尋ねてくる。 「ほんとだよ」 もちろん、僕は頷いた。 君の優しいマーマには及ばないかもしれないけど、でも 心から。 「愛してるよ。僕は君を」 僕は――僕は、小さな氷河が失ったお母さんの代わりが一瞬でも務まったらって、そういう気持ちで小さな氷河を抱きしめてあげてたんだ。 だから、まさか その氷河の口から、 「じゃあ、俺が大きくなったら、俺と結婚してくれ」 なんて言葉が飛び出てくるなんて、考えてもいなかった。 どうして 僕を驚かせることばかり言うの、この子は。 「瞬は、マーマの次に綺麗で可愛い」 ぽかんとしてる僕に、小さな氷河が――僕より ずっと年下のくせに、なんで そんなことを思いつくんだ? 「あ……あのね、氷河。僕が言ったのは、そういう意味じゃなくて――」 「駄目か? やっぱり、マーマの他に俺を愛してくれる人は誰もいないのか……?」 「あ……」 ひ……卑怯だ。 この小さな氷河は、神より卑怯だ。 そんな悲しそうな目で、そんな しょんぼりした様子で そんなことを言われたら、僕は どうすればいいのかわからなくなるじゃないか。 「あ……あの……」 小さな氷河は、すがるような目で僕を見詰めてる。 それが健気で、必死で、可愛くて――結局 僕は小さな氷河を突き放してしまうことができなかった。 「君が聖闘士になったらね」 それは、せっかく生きる決意をしてくれた小さな氷河から 希望を奪うようなことはしたくなかった僕の苦肉の策の逃げ口上だった。 でも、他に僕に何が言えただろう。 「約束だぞ」 氷河が嬉しそうに頬を上気させる。 「うん」 アテナ――アテナ。 こんなに純粋で一途な子供を 大人の嘘で言いくるめようとしている僕を お許しください。 僕は 思わずアテナに罪の許しを請うていた。 そんな僕の気も知らず、小さな氷河は ませきっていて。 「瞬はマーマとおんなじくらい綺麗だ。マーマより小さくて可愛い」 まさか、この氷河のマーマが そんなセリフを息子に教えたはずはないよね。 いったい どこで覚えてきたんだ。 僕は、くらくら目眩いがした。 でも。 「俺は必ず聖闘士になる。そんで、瞬と一緒に みんなの幸せのために戦うんだ」 小さな氷河が真剣な目をして そう言うから――僕は やっぱり小さな氷河を健気と感じる気持ちの方が強くて、可愛い氷河を もう一度 抱きしめてやらずにいられなかったんだ。 10年前の僕と同じ。 生きていくための新しい希望を見付けたばかりの小さな氷河。 これからも この小さな氷河は、幾度も つらい試練に出会うことになるだろう。 でも、挫けずに生きてほしい。 強くなってほしい。 それが 僕の願い。 結婚はできないけど、小さな氷河の幸福を願う僕の気持ちは 心からのものだった。 |