「何をしている」 それでも 俺が そのガキに声をかけてやったのは、そのガキが女の子だったからだ。 何もない真っ白な空間に、細い手足をした小さな女の子が ぺたんと 力なく座り込んで、放心状態で頬を涙で濡らしている。 俺の師 のたまわく、 『気に入らない相手が 五体満足な成人の男なら 死なない程度にぶちのめしてやるのもいいが、女性、子供、老人、身体に障害のある人間には、その相手が どれほど気に入らなくても、紳士的に振舞え』 そいつ等が、地上の平和を乱す邪悪の徒だったら どうするんだと訊いた俺に、師は、 『おまえより強かったら、その限りに非ず』 と、但し文を追加してきた。 要するに、弱い者は守ってやれというのが 俺の師の教えで、今 俺の目の前にいるのは、どこから何をどう見ても、俺より“弱い者”だった。 だから――そいつを“弱い者”だと思うから、俺は 気が乗らないのに親切に声をかけてやったんだ。 見なかった振りをしたいのを我慢して、わざわざ 何をしているのかと訊いてやった。 なのに、そのガキ、俺の気配に気付いて顔を上げるなり、 「兄さん……?」 ときたもんだ。 分別のない子供で、女子で、べそべそ泣いてるってだけでも うんざりなのに、このガキは目も悪いらしい。 俺は、おまえの兄貴には 俺ほどの美貌が備わっているのかと 怒鳴りつけてやりたい気分になった。 俺が そうしなかったのは、この“弱い者”の肉親なら、案外 それはあり得ることかもしれないと思ったからだ。 分別のない子供で、女子で、べそべそ泣いていて、目も悪い子供。 だが、その“弱い者”は 息を呑むほど美しい生き物だった。 5、6歳の子供なんだから、“可愛らしい”という形容の方が適切なのかもしれないが、そんな常識的な形容詞を使うことに躊躇を覚えるほど、そのガキは綺麗だった。 特に 目がすごい。 この年頃なら、そろそろ子供特有の小狡さを身につけているものだと思うんだが、そのガキの目は、本当に見事なまでに澄みきっていた。 「ここはどこだ」 泣いているガキに 俺が そう尋ねたのは、俺がこんなガキの美貌に驚いていることを、その弱い者に気付かれたくなかったからだったかもしれない。 ガキが、心許ない目と声で、俺の質問に答えてくる。 「わからない……。ここはどこ? 僕はエティオピアの古い神殿の前にいたはずなのに」 「わからない?」 糞の役にも立たない答えだ。 まあ、俺自身、ここがどこなのかわかっていないんだから、文句を言うことはできなかったが。 それにしても、エティオピア? ヒュペルボレイオスのずっと南、ヒュペルボレイオスから最も遠い国といっていい場所じゃないか。 やはり ここは、人間には持ち得ない力によって空間が捻じ曲げられた、いわゆる異次元――と断定していいようだな。 問題は、そんな場所に この俺を ご招待くださったのは何者なのかということだ。 このガキは、その何者かと関わりのある人間なのか? もしかして神ということもあり得るか? 神というには情けない様子をしているが、おそらく このガキは ただのガキじゃないぞ。 さっきからずっと、俺は このガキに 不快なだけじゃない何かを感じ続けている。 「おまえは誰だ」 もし こいつが アテナや聖域に敵対する者なら、俺の質問に正直に『邪神の手先です』なんて答えを返してくるとは思えなかったが、とりあえず俺は訊いてみたんだ。 ガキの返事は、あろうことか、 「瞬です」 だった。 「瞬?」 俺の頭の中は一瞬、今 俺がいる空間と同じ状況になった。 つまり、真っ白。 俺は おえまの名前じゃなく、正体を訊いたんだ。 いや、もちろん名前を名乗ってもいいが、その名前が よりにもよって『瞬』? 俺の瞬の名を勝手に名乗るな! 俺の瞬は、もっと大人で、強くて、優しくて、温かくて、分別があって――おまえみたいなガキは お呼びじゃないんだ! こんな べそべそ泣いてるガキ、俺の瞬に似ているところなんて一つも――。 内心で そう毒づいていた俺は、あることに気付いた――気付かずにいた方がよかったかもしれないが、気付いてしまった。 |