氷河が自身の神殿に戻ると、北方では、これまで何百回何千回と繰り返されていたように、長い冬の残余の時が始まった。
それまで 早すぎる春に戸惑っていた動植物たちが、まだ冬は続く、まだ自分たちは眠りの中にいていいのだと知らされ、落ち着きを取り戻し、再び 静かな眠りの中に我が身を沈ませていく。
逆に、南方では、すべての命が目覚めの時を迎え、それぞれの活動を始めたらしい。
世界は正しい秩序を取戻したようだった――そう見えた。
そう見えているだけだということを、氷河は最初から知っていたし、やがて 他の神々も気付くことになったのだが。

冬の神の力は、ひどく弱くなっていた。
決して融けてはならない極北の氷を、氷河は凍らせておくことができなくなっていた。
幾つもの氷山が溶け、水位が上がった海が 次々に北の海の島を水没させていく。
不完全な冬、力ない冬が生む災厄は、いずれ 人間が住む島や 人間が暮らす大地にも及ぶことになるだろう。
それが わかっているのに、氷河は 自分の内に以前のような力を生むことが どうしてもできなかったのである。
そうしようとしても、どうしても。
決して そんな状況を望んでいるわけではない――自分が不幸であるように、自分以外の すべてのものたちも不幸になればいいと望んでいるわけではなかったのに、どうしても。
瞬の側にいられないことが、氷河には耐え難い苦痛だった。
瞬に出会うまでは、苦痛ではなく、むしろ喜びでさえあった孤独や寒さが、今は氷河の心を蝕み、冬と冬の眠りを司る神の力を奪っていくのだ。

神は死ぬことができない。
どれほど力が弱まっても、力を全く生むことができなくなっても、神は死ぬことはできない。
命が無限か有限か。
それが、神と人を分ける唯一の要因であり、そして、氷河は神だった。
永遠の命を持つ代わりに、自らに課せられた役目から逃れることのできない神。
永遠と引き換えに、自由を奪われた存在。
死ぬことのできない弱い神は、世界にとって災厄でしかない。
混沌カオスの中から大地ガイアが現われた世界誕生の時から 一度も融けたとこのない氷の大河が、その岸に冬の神が立った途端に 轟轟と音を立てる急流に変わる様を見た時。
氷河は その決意をした。






【next】