出会いの春、燃え盛る夏、秘めやかな秋、寄り添い過ごす冬。 平穏に、幸福に、二人の1年は過ぎていった。 そうして再び巡ってきた出会いの春。 その日、瞬は、朝から奇妙な胸騒ぎを覚えていた。 山の木々や花々、鳥や獣、魚たちのみならず、風も空も太陽でさえ心浮き立たせ、活発な活動を始める季節。 だが、その日 瞬が感じた胸騒ぎは、“春だから”感じるという類のものではなかった。 何かがいる。 それが よいものか悪いものなのかは わからないが、何かが自分を呼んでいる。 そんな気がして、瞬は、氷河には知らせずに 一人で、早朝の浜に下りていったのである。 そこで、瞬は一人の少年に会った。 村の者ではない、この辺りでは見掛けたことのない少年。 歳は瞬と同じほど。 浜に突き出している崖の下で、その崖肌を まじまじと見詰めていた少年は、ふいに その手から――あるいは全身から――不思議な力を生んで、手で直接 触れることなく岩を削り落とした――。 「な……何をしているの。あなたは誰」 それが もし自分なら――力を使った直後に 氷河の以外の人間に声をかけられたなら、誰にも知られてはならない力を 余人に知られてしまったことに慌て、怯え、警戒する。 相手の態度によっては 恐慌状態に陥り、恐怖にかられて、無自覚に 自分の力を使って攻撃を仕掛けてしまうかもしれない。 同じことを、その少年が 自分にしないとは限らない。 その可能性に考えが及んでいたにもかかわらず、瞬が彼に そう尋ねたのは、彼が 実に堂々と――人目など気にしていないかのように、周囲に注意を払うこともせず、あまりに堂々と――その力を使っていたから。 その少年に、“敵”の存在を気にかけているような緊張感が全く感じられなかったからだった。 こんな力を持ちながら、そんなふうにしていられるのは、想像力を欠いた よほどの愚者か、あるいは自分の強さに 絶大な自信を持っている相当の強者 もしくは無鉄砲である。 しかし、彼は そのどちらにも見えなくて――だから、瞬はつい、不用心に彼に声をかけてしまったのだ。 愚者か強者か。 その見知らぬ少年は、全く警戒した様子を見せず、むしろ人懐こい表情で、彼にとっては見知らぬ人間である瞬に、自分が何者なのか、ここで何をしていたのかを知らせてきた。 「え? あ、俺、星矢ってんだ。いや、この石。これ、ソテツの化石だぜ。昔は、この辺りは もう少し暖かかったのかなーって思ってさ。おまえは、この村の者か?」 手で直接 触れることなく削り落とした石のかけらを拾い上げ、見知らぬ少年――星矢――が、それを瞬の前に差し出してくる。 その態度、所作、声、表情に、敵意や害意のようなものは 全く感じられなかった。 そして 彼は、今 彼の目の前にいる人間が 自分に対して敵意や害意を抱いていないことを信じているようだった。 もちろん、瞬は そんなものを抱いていなかった。 今 瞬を支配している考え、感情は、そんなものとは全く違うものだったのである。 その力――星矢の力は、瞬のものとも氷河のものとも 趣を異にするものだった。 瞬の兄が持っていた力とも違う。 風を生み 操る力、凍気を生み 操る力、炎を生み 操る力――星矢の持つ力は、それらのどれとも違っている。 彼の力は、“破壊する力”とでも言えばいいのだろうか。 彼の力は、瞬の知る どの力とも違っていた。 だが、それは同じ力だと、瞬には わかったのである。 力の根本は同じ。 それらの力を生む力は 同じものだと、瞬は感じていた。 では、この力を持っているのは二人だけではなかったのだ。 “力”は、瞬と兄、瞬と氷河を結びつけるためのものではなかった。 この力を持つ者は、他にいくらでもいるのかもしれない。 “仲間”“同類”は、この世界の至るところに 大勢いるのかもしれない。 そして、星矢は、自らの力を隠そうともしていない。 彼に 悪意のようなものは全く感じない。 だが、瞬は今、その事実に、喜びや嬉しさではなく 不安だけを感じていた。 「おまえ、氷河って奴を知らないか。名前は変えてるかもしれないけど、ちょっと変なことができる奴で――。俺、奴の故郷の村から ここまで、そいつを 探して来たんだけど、この辺りで ぷっつりと痕跡が途絶えてるんだよなー」 漠然とした不安が、明確な恐怖に変わる。 瞬の背筋は、冷たく凍りついた。 彼は氷河を探しに来た――氷河を、ここから どこかに連れ去るために この村に来た――のだ。 その“どこか”が氷河にとって幸いなところなのか 不幸なところなのかは わからない。 だが、ともかく、そこは ここではないどこか、瞬の知らないどこかだった。 「し……知らない」 びくびくしながら、瞬は答えた。 星矢に疑われないために 平然としていなければならないのに――この嘘がばれたら どうなるのかが わからないことが、瞬の心を怯えさせ、委縮させ、瞬の身体を震わせた。 幸いなことに、星矢は瞬の言葉を疑うようなことはせず、瞬の怯えを まるで見当違いの方向に誤解してくれたようだった。 眉の上を右の人差し指で こすりながら、星矢が、 「俺、人さらいとかじゃないから」 と、瞬に弁解してくる。 「おまえくらい綺麗だったら、何度も危ない目に会ってるんだろうけど、俺、そういうんじゃないから」 それでも 瞬の身体の震えは止まらない――止まる理由がなかった。 そんな瞬に困ったように 肩をすくめ、おそらく 瞬のために星矢は笑顔を作った。 「そんな、恐がらないでくれよ。んーと、この辺りに宿屋はないか」 人懐こい笑顔。 彼は冷酷な人間ではない。 むしろ優しい人間だと感じる――わかる。 彼には悪意も害意もない。 彼は暗殺者でも、敵でもない。 追っ手でも、狩人でもない。 おそらく星矢は、“仲間”なのだ。 だが、瞬は仲間など ほしくはなかったのだ、今はもう。 「この辺には、宿屋なんてないの。滅多に よそから人が来ないから。僕……僕の家に泊めてあげられたらいいんだけど、僕の家は狭くて――。でも、あの、この浜の端に、村の集会所みたいなところがあるの。難波した船の漁師さんとかを救助した時に使う小屋で、漁具置き場を兼ねてるんだけど……。食べ物は運んであげるから、そこで――」 「食い物くらいは自分でどうにかするって。村に飯を食えるところはあるか」 「ないです」 「だろーなー……」 嘆息混じりに、星矢が苦笑いを浮かべる。 だから諦めて他に行ってくれという瞬の望みは叶わなかった。 「力の気配は感じるんだけどな……。絶対、この辺りにいると思うんだ」 しばらく ここに腰を落ち着けて探してみる――と、星矢は瞬に言った。 星矢に、瞬の言葉を疑っている様子はない。 だが、この小さな村で、星矢が村人たちの誰かに『氷河を知らないか』と尋ねれば、氷河の居所はすぐに知れてしまうだろう。 最善の策は、星矢が村人たちに接触する前に、彼にこの地を去ってもらうこと。 だが、それは どう考えても不可能。 瞬は どうすればいいのかすら、わからなかった。 |