氷河の このところの外出の理由は、やはり かぐや姫絡みのことだったらしい。
しかし、それは決して色恋のためではないと、氷河は彼の仲間たちに、まず告げた。
そうしてから 初めて 部屋に腰を落ち着け、氷河は 彼の事情を仲間たちに語り出したのである。

「かぐや姫の顔を見たこともない馬鹿帝が、瞬よりかぐや姫の方が美しいと 戯れ言を言うのに腹が立って、その怒りが治まらなくて、結局 俺は かぐや姫の顔を見に行ったんだ」
「どうやってだ。まさか本当に盗賊の真似をして、竹取の翁の屋敷に忍び込んだのではあるまいな」
紫龍が『否』以外の答えは聞きたくないという顔で、氷河に尋ねる。
彼の願いは、幸いにも叶えられた。
「そんなことはせん。かぐや姫に仕えている女房の一人に 手引きをさせたんだ。その女房、俺たち5人のことを知っていて、『瞬とかぐや姫のどちらが綺麗か、確かめたい』と本当のことを言ったら、面白がって かぐや姫の姿を盗み見させてくれた。竹取爺は、家中の者に金を掴まされるなとは言っていたらしいが、俺は金を掴ませなかったからな。爺の指示は守っているわけだし、俺ほどの美形に頼まれて、その頼みを断れる女がいるわけがない」

氷河が何やら馬鹿なことを言っていたが、今はそんなことよりも、
「ほんとに見たのか!」
「どうだった? 本当に輝くような美女だったのか」
ということの方が最重要の確認事項だった。
氷河が、馬鹿げた質問をしてくる仲間たちに、軽蔑の眼差しを向ける。
「無論、俺の瞬の方が綺麗だ。俺の瞬の方が可愛くて、品があって、たおやかで、楚々としていて、春の花のように優しい風情があって――」
とても男子への褒め言葉とは思えないが、氷河の褒め言葉が間違っているのは いつものこと。
もちろん 星矢たちは、そんなことは気にしなかった。

「それって、惚れた欲目じゃなくて?」
「それはわからん。俺は実際に 瞬に惚れているし、惚れていない男の目で瞬を見ることは不可能だ」
「そりゃ、そうだ」
氷河が そんなふうに、冷静かつ客観的な判断ができない自分自身を正しく自覚できているということは、氷河には冷静かつ客観的な判断ができているということである。
ならば、氷河の報告は事実――少なくとも、かなりの信憑性があると言っていいだろう。
瞬以上に美しい化け物を期待していたわけではなかったのだが、妖怪や魑魅魍魎の期待していた星矢が、がっかりして肩を落とす。
「んじゃあ、やっぱり、輝くような美貌の美しい姫君ってのはデマかー」
「だが、ならば なぜ――」

かぐや姫が瞬ほどには美しくなかった――という、望み通りの事実を手に入れたのなら、氷河は既に かぐや姫には用がないはずである。
だというのに、氷河は なぜ いつまでも かぐや姫に かかずらっているのか。
紫龍の疑念は 当然のものだったろう。
氷河には、だが、彼女に かかずらい続けなければならない事情があったのだ。

「俺の瞬には 遠く及ばないが、かぐや姫は目も当てられないほど不細工な姫なわけでもない。輝くような姫というのも事実だ」
「えー?」
氷河は、人を褒めることが――それが瞬であっても――極めて へたな男である。
それは彼が事実しか口にしないからで、要するに氷河は 比喩を用いた形容が壊滅的にへたな男なのだ。
その氷河が『輝くような』と言うからには、かぐや姫は本当に輝いていたに違いない。
輝いている人間が化け物でない理由が、星矢には わからなかった。
わからなくて 口をとがらせた星矢に、氷河が その種明かしをする。

「かぐや姫は 胡人だ。おそらく、西方から連れてこられた娘だ。髪が金色だった」
「へっ」
「それを、あの竹取爺が金儲けに利用することを思いついたんだろう」
憎々しげに、氷河が言う。
無論、異国の娘を利用して財を成そうとすることは、十分に軽蔑に値することである。
竹取の翁を蔑むような氷河の口調も当然のものだろう。
だが、氷河は それほどまでに義侠心に富む男だっただろうか? ――と、氷河の幼馴染みたちは疑うことになったのである。
『助けてくれ』と頼まれたなら 助けることはあるかもしれないが――少なくとも彼等の知っている氷河は、瞬に『助けてあげて』と言われでもしなければ、自発的積極的に人助けに取り組んだことなどない男だったから。

では 氷河は、かぐや姫に『助けてくれ』と頼まれたのか。
星矢たちには、そうは思えなかったのである。
そうであるならば 氷河は、彼の幼馴染みたちに『何か いい策はないか』と相談していたはず。
氷河が それをしなかったということは、氷河は氷河個人の意思で、かぐや姫を放っておくことはできないと思った――のだとしか考えられなかった。
しかし、そんな お節介は 氷河には珍しいこと――不自然なことなのだ。
氷河の不自然な お節介の訳は、まもなく わかった。

「瞬。おまえは、俺の亡くなった母を憶えているか」
氷河に問われた瞬が 頷く。
5人が知り合って1年が経たないうちに、氷河の母は病を得て亡くなったのだが、その1年に満たない時間、瞬たちは氷河の母に 非常に可愛がってもらった。
瞬は、特に氷河の母の気に入りだった。
「氷河の綺麗な母君様。時々、目が青く見えた……。氷河の母君様は いつも とっても お優しくて、僕――」
美しく優しかった人を思い出したのだろう。瞬の瞳に涙が にじむ。
瞬を泣かせてしまわないために、氷河は急いで言葉の先を継いだ。

「そうだ。髪も本当は金色だった。俺の母も西方から――といっても、かなり北の方からなんだが――この国に連れてこられた胡人だったから」
「え……」
「昔、竹取の爺と 同じことを考えた公家が、宋の貿易商人から 母を買ったんだ。その公家は、竹取の爺と違って昇殿が許されている身分だったから、俺の母を 自分の娘として宮中に――先帝の許に送り込んだ。さすがに その時には髪は黒く染めたんだが、先帝は そのことを公家から知らされていた。母は物珍しさから先帝に気に入られ、俺を産んだ」
「氷河の母君様が――」
透けるように白い肌、時折 青く見える優しい瞳。
言われてみれば、思い当たることが幾つもある。
瞬は、瞳を大きく見開いた。

「母は、いつも故郷に帰りたがっていた。一緒に帰ろうと、いつも俺に言っていた。京の都と違って、どこにも山の見えない平原、夜には月しか見えない世界。余計なものが何もない潔い世界を俺に見せたいと、母は いつも言っていた。あの姫も、俺の母と同じだ。人買いに さらわれて、家族のいる故郷から この国まで連れてこられた。竹取の爺に買われ、屋敷の中で ほとんど軟禁状態。俺は、あの姫を故郷の平原に帰してやろうと思った。あの業突張りの爺の屋敷から連れ出し、宋に向かう船に乗せて、家族のいる故郷の平原に帰してやろうと思ったんだ。母の代わりに、せめて あの姫は――」
「それで、氷河は……」

そのために、あちこち奔走し、氷河は座の温まる暇もなかったらしい。
しかし、氷河の話では、かぐや姫の帰郷計画は順調に進展しているとは言えないようだった。
宋に向かう船に乗せることは 金さえ積めばどうにかなるが、それだけで 女一人を広い大陸に放り出すわけにはいかない。
その上、すべては秘密裡に行われなければならず、信用できない人間の手は借りられない。
それゆえ 氷河自身が動くしかないのだが、誰もが得心できる理由もなしに 親王である氷河が都を長く離れていると、あれこれ 良からぬことを勘繰る者も現われるので、そうそう自由に動くことはできない。
そもそも、かぐや姫を連れ出すどころか、会うことも容易ではない。
最初の日こそ すんなり会って、彼女の身の上話を聞くことができたのだが、竹取の翁が かぐや姫の様子を見て 何かあったと察したのか、翌日から 姫の見張りが厳しくなり、脱出計画の打ち合わせすら ろくにできなくなってしまったという話だった。

「なーんだ。やっぱり氷河は瞬を好きなまま、かぐや姫に心を移したわけじゃなかったんだ」
そうだろうと思い、そうであるのが自然だと思っていたことが、事実 そうだった。
星矢は そのことに心を安んじ、部屋の内に 明るい声を響かせた。
5人は、まだしばらく5人のままでいられるのだ。
瞬も さぞかし喜んでいるに違いないと思い、星矢が視線を巡らせた先で、しかし、瞬は 相変わらずの憂い顔。
それどころか、瞬の頬は 先刻より更に青ざめていた。
氷河は瞬以外の姫君に心変わりしたわけではなかったのに なぜ――という星矢の疑念は、
「氷河も かぐや姫と一緒に行きたいの……」
という、瞬の呟きで晴れた――その原因だけは明白になった。

瞬は、それを案じていたのだ。
氷河が かぐや姫と共に、彼の母の故郷に行ってしまうことを。
氷河はすぐに、
「馬鹿な。俺が、おまえのいないところで生きていられるか」
と答え、瞬の瞳には 希望の色が戻ってきたが。






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