だから、瞬は覚悟を決めたのである。 あの声が誰のものなのかは知らない。 もしかしたら、彼は、アテナと人間に仇なす 最悪の邪神なのかもしれない。 だが、氷河を苦しませないため、氷河を悲しませないために、瞬は決意した。 それは、氷河だけでなく、彼の師、そして 瞬の仲間たちと 仲間であるべき者たちの命を救うこと。 瞬は 迷う必要などなかったのだ。 その夜、日付が変わる頃。 空には無数の星。 瞬は、城戸邸の自室のバルコニーで 夜の闇に向かって問いかけたのである。 「僕は どこに行けばいいの」 答えは すぐに返ってきた。 「余の許に来ると念じるだけでよい。その意思が、アテナの結界を無効化し、そなたを余の許に運ぶ」 夜の中から聞こえてくる声は穏やかで静かなものだった。 瞬の決意を喜んでいるようでもなければ、嘲っているようでもない。 彼は、瞬が その決意を為すことを最初から知っていたかのように、いかなる感懐も感じられない声で、瞬が為すべきことを瞬に知らせてきた。 そうして 瞬は、彼の言葉通りのことをしたのである。 次の瞬間、瞬は 不吉な影を持つ不気味な城館の前にいた。 周囲は黒い森――日本では ついぞ見たことのない黒い森。 どう見ても、そこは日本ではなかった。 そして、時刻は おそらく明け方である。 星は陽光に隠されてしまっている。 変わってしまった周囲の光景を認めた瞬は、神の力によって 時空が歪められたのだろうかと考えた。 更には、この城は地上に――人間界に――ある城なのかと疑った。 しかし、周囲の光景の変化と 夜が朝に変わったことで、瞬は、かえって、時は歪められていないのだろうと思うことになったのである――瞬は、そう察した。 場所だけが歪められ、自分は一瞬で 空間を移動させられたのだ――と。 日本で日付が変わる頃に夜明けを迎える土地。 不気味な城は ネオロマネスク様式。 樹木の種類。 そこは、欧州中部――ドイツかオーストリアの山岳地帯のようだった。 瞬が その城に入るべきか否かを迷っていると、城の門を通って、黒衣のドレスをまとった一人の若い女性がやってきた。 長い黒髪と、優しさと厳しさが同居しているような黒い瞳。 肌だけが、陽光を知らぬ人間のように白い。 「いらせられませ。お待ち申し上げておりました」 彼女の眼差しに 敵意がなく、むしろ 優しさが多く含まれていることが、瞬を戸惑わせた。 |