澄んだ瞳の瞬王子は、生まれ育ったオオヤシマの国を出たことはなく、星矢たちのように国外の様子を実際には知りませんでした。 ですが、星矢たちから国の外の話を聞いて、この世界には様々な色の髪や瞳を持つ人間が大勢いること、そのことで差別を受けている人間はいないということは知っていました。 ただ、実際に そういう人たちを見たことがなかったので、瞬王子は 自分の淡い色の髪や瞳に 引け目を感じていたのです。 自分だけが 誰とも違う。自分だけが皆より劣っているのだと。 そんなことがあるはずがないのに。 「おまえには、この国の差別が理不尽に思えるだろうし、こんな国に来たくはなかったろうけど、瞬のためには、おまえが この国に来てくれてよかったぜ。おまえのおかげで、髪や目の色のせいで引け目を感じるのは よくないことだって、瞬が思うようになってくれたからな」 そんなふうに星矢に言われても、氷河は全く腹が立ちませんでした。 以前の氷河なら、『俺は、自分以外の誰かのために こんな姿をしてるんじゃない!』くらいのことを思っていたかもしれませんでしたが、今は。 今では、自分の存在が少しでも瞬王子のためになったのなら、それは氷河には とても嬉しいことだったのです。 この国に運ばれてきたばかりの頃には 立腹の種だった神の采配に、氷河は今では深く感謝さえしていました。 何といっても、そのおかげで、氷河は優しくて可愛い瞬王子に出会えたのですから。 「一輝も、本当は この国の外を見てみたいって思ってるんだよな。でも、この国の王としての責務があるから、その願いは叶わない。だから、代わりに、俺たちを国外に見聞に出してくれたんだ」 「一輝も本当は わかっているんだ。この国でいちばん美しい人間が瞬だということは。だが、それを公言してしまうと、オオヤシマの国の民全員を敵にまわすことにもなりかねないから、黙っているだけで」 一国の王という立場は、不自由なものです。 自分が美しいと感じるものを『美しい』と言うことすらできないなんて。 そう、氷河は思いました。 初対面時には 全く気に入らなかった――今も、どうしても好意を抱くことはできませんでしたが―― 一輝国王に、氷河は今では同情を覚えるようになっていました。 王としての職務のせいで多忙な一輝国王とは、氷河は あれ以来 一度も顔を会わせることはおろか、言葉を交わす機会もありませんでしたが。 そして、氷河は、そんな機会を持つことを望んでもいませんでしたが。 氷河は、瞬王子と一緒にいられるだけで十分だと――いいえ、瞬王子とだけ一緒にいたいと思うようになっていました。 瞬王子の側にいて、瞬王子の瞳を見詰め、瞬王子の瞳に見詰められ、瞬王子と言葉を交わしていると、氷河は、自分が本当に美しい人間になれるような気がして、とても満ち足りた気持ちになるのです。 氷河は 本当に それだけで幸せだったのですが、瞬王子は、黒髪黒い瞳至上主義の国で 氷河が つらい思いをしているのだと信じているようで、どうにかして その間違った状況を正したいと願うようになっていたようでした。 おそらく、氷河への好意という私情だけでなく、自分の願いの実現が 故国のためにもなると確信したから――瞬王子は、オオヤシマの国王である兄に告げたのです。 「兄さん、兄さん。髪や瞳の色が違うっていう理由で、人に偏見を持って、その人を蔑んだり虐げたりするのは いけないことだよね」 と。 「なに……?」 瞬王子に そう言われた一輝国王は、最初に 少々 戸惑いました。 次に、少々 嬉しくなりました。 そして 最後に、少々――いいえ、大層――不安になったのです。 一輝国王が戸惑ったのは、瞬王子が そのことに言及したのは、これが初めてのことだったから。 瞬王子とて、この国の黒髪黒い瞳至上主義は もしかしたら いけないことだと思っていたのかもしれませんが、瞬王子が その思いを言葉にしたことは、これまで ただの一度もなかったのです。 この国で 黒い髪と黒い瞳を持っていない人間は、瞬王子一人きり。 たとえ黒髪黒い瞳至上主義を理不尽なことだと思っていても、自分さえ我慢していれば、他の多くの人間を否定せずに済むと考えて、瞬王子は何も言わずにいるのだと、一輝国王は察していました。 一輝国王が嬉しくなったのは、そんな瞬王子が『自分が我慢すれば』という考えを捨ててくれたのだと思ったから。 そして、一輝国王が不安になったのは、 「おまえは美しいぞ。誰かが おまえに心ないことを言ったのか」 と、それを案じたから。 自分一人が 理不尽に耐えていれば 人を責めずに済むという考えの瞬王子が そんなことを言い出すなんて、誰かに よほどひどいことを言われたからに違いないと、一輝国王は思ったのです。 兄の懸念に気付いた瞬王子は、すぐに首を横に振りました。 「そうではないんです。そうではないんだけど、ちょっと不安になったの。シビルの国からいらした氷河を醜いと言う人がいると聞いて……」 「氷河?」 瞬王子の口から 思いがけない人物の名前が出てきたので、一輝国王は 我知らず 眉をひそめました。 神から押しつけられたシビルの元王子の件は、一輝国王の中で とうの昔に片付いた問題だったので、一輝国王は 氷河のことをすっかり忘れてしまっていたのです。 いつ、どこで、瞬王子は氷河の存在を知ったのか。 あの金色の髪と青い瞳を持つ男のことを 瞬王子が知るのは、瞬王子にとって よいことなのか、悪いことなのか。 一輝国王は、咄嗟に判断ができなかったのです。 「あれに会ったのか……」 呟くように一輝国王が言うと、瞬王子は 僅かに気後れしたように兄王に頷きました。 「僕は、氷河の髪や瞳を とても綺麗だと思うの。そう思う僕が変なのかなって、不安になって……。だって、僕が綺麗だと思っているものが、もし醜いのだとしたら、世界中が醜いものだらけになってしまうから。空の色も花の色もお陽様も……。氷河の髪は お陽様の光の色をしていて、氷河の瞳は青い空の色の瞳をしてるんだよ」 「……」 天にも地にも ただ一人の肉親である最愛の弟に 不安そうに問われてしまった一輝国王に、 「もちろん、人間の価値や美醜を決めるのに、髪や瞳の色など、そんなものは全く関係がない」 と答えること以外に、どんなことができたでしょう。 「そうだよね! よかった!」 兄の答えを聞いて ぱっと明るい表情になった瞬王子を見て、自分が そう答えたことは やはり正しかったと思い、一輝国王は安堵の胸を撫でおろしました。 安堵はしたのですが。 一輝国王の胸の中には、同時に、この状況を忌々しく感じる気持ちも生まれてきたのです。 この国の理不尽な黒髪黒い瞳至上主義について、これまで何も言わずに じっと耐えてきた瞬王子が、やっと耐えるのをやめてくれたと思ったら、それは瞬王子自身のためではなく、我儘で思い上がったシビルの国の元王子のためだったなんて。 こんなに癪なことはありません。 その上、そんな一輝国王の気持ちも知らず、瞬王子ときたら! 「兄さんは、これまでずっと、生まれや身分に関係なく、才能のある者は どんどん しかるべき役職に就かせたいと言っていたでしょう? だから、特に名門の出でもなく、強力な後ろ盾もない星矢や紫龍も引き立ててきた」 「その通りだが」 「あのね。氷河は 素晴らしい剣の使い手なの。もちろん、弓や槍の扱いも上手いの。星矢や紫龍に ひけをとらないどころか、星矢を負かすくらいなの。それに、シビルの国にいた頃には、兵法や防衛術の勉強もしていたんだって。僕、氷河には、ロバの世話より、もっと適した仕事があるんじゃないかと思うんだ。王宮の警護とか国の防衛とか。兄さんは、オオヤシマの国は 海側の守りが手薄だって、いつも言っていたでしょう。ペルシャからの脅威に備えるのが 急務だって。氷河は、海戦術や沿岸防衛についても造詣が深かったよ!」 人間の価値は髪や瞳の色で決まるものではないと、兄に言ってもらえたことを喜び、瞳を輝かせて 氷河を推挙してくる瞬王子に、一輝国王は すっかり おかんむり。 瞬王子に詰まらぬ入れ知恵をして、事を企んだのは星矢と紫龍のようでしたが、彼等の考えは正しく、国にとっても有益なものであるだけに、一輝国王は 瞬王子の提案を退けることができなかったのです。 それが、一輝国王の機嫌を一層 損ねることになりました。 ですが、正論には勝てません。 結局 一輝国王は、国軍に入るには、何よりも愛国心の有無が大事だから、公開の場で 通常の剣術等の試験の他に口頭試問も課すことを条件に、瞬王子の提案をいれることにした――そうせざるを得なかった――のでした。 |