結局――人間の中で特別なのは、やはり瞬だけだった。 本音を言えば、聖衣を手に入れて日本に帰ることになった時、俺は 大人になった瞬と再会するのが恐かった。 善良で正直で健気で、言葉と思考の二重構造が全くない瞬。 幼い頃には負の感情を持つことがなかった瞬が、大部分の大人と同じように、俺の心を安らげてくれないものになってしまっているんじゃないかと、俺は それが不安でならなかった。 そうなれば、俺は、安らかな気持ちで側にいられる ただ一人の人を失うことになるんだから。 だが、瞬は瞬のままだった。 そう、瞬は清らかなままだった。 優しくて――人の不幸や不運を悲しむことはあっても、人を恨み憎むことはない。 瞬は瞬のまま――幼い頃の瞬のままだった。 奇跡だと思ったな。 そして、瞬は馬鹿なのではなく、強いのだと――途轍もなく強いのだということに、俺は気付いた。 弱い人間なら、周囲に迎合して変わる。 自分が傷付かないため、自分が損をしないために。 だが 瞬は、自分が傷付いても、他人を傷付けないことの方を選ぶ――必ず選ぶんだ。 それは、強い人間にしかできないことだろう。 瞬は善良で清らかで強い、本当に稀有な人間だ。 瞬に比べると、星矢は、善良というより単純。 口が悪くて、しばしば悪態もつくが、裏表がほとんどない。 悪態をつくときは、胸中でも悪態をついている。 辰巳に『このハゲ!』とわめく時、星矢は胸中でも そう思っているんだ。 裏表がないのは瞬と同じだが、好んで星矢の側にいたいとは思わない。 星矢は騒がしすぎるし――何より、見た目が 瞬と星矢では違い過ぎる。 どっちがどうだとは、言わないが。 紫龍は、カミュに似たタイプ。 自分を律することを美徳と考えている男だ。 人間は正義を貫くべき、人を愛するべき、平和を守るべき、そして人は温厚篤実であることが望ましいと考えていて、そうできる自分にこそ価値があると認める。 たまに――いや、しばしば――盛大に ぶち切れるがな。 一輝は、青銅聖闘士の中では、いちばん裏表がある男だろう。 瞬が可愛くて仕方がないくせに、わざと素っ気なくする。 奴は、弟を甘やかすのは恰好の悪いことだと思っているんだ。 一輝が、瞬の優しさや強さに出会うたび、幼い頃の乗りで瞬の頭を撫でてやろうとし、慌てて その手を引っ込める場面を、俺は何度も見ている。 実に愉快な兄貴だ。 絶対に側には寄りたくないがな。 奴は、離れた場所から眺め楽しむのに最適な人間だ。 俺が快適に――緊張せずに穏やかな気持ちで側にいられるのは、やはり瞬だけだった。 瞬は言動も思考も穏やかで優しい。 不思議に思えるほど、何も――他人も世の中も憎まない。 内罰的傾向が強くて、俺を焦れったい気持ちにさせることはあったが、瞬は 表も裏も 見事なまでに善良な人間だった。 一緒にいると心地良くて、だから 俺は瞬といることが多かった――んだが。 子供の頃は そんなことはなかったのに、大人になって再会を果たしてからは(といっても、この場合の“大人”は“子供ではない”程度の意味だ)、俺は、瞬ではなく 瞬の周囲の人間に いらいらさせられることが多くなった。 たとえば――美術展や演奏会、人が多くいる場所に瞬と出掛けていく。 その会場や街の通りで 瞬に注がれる視線に気付き、その視線の主を一個の人間として認識した途端、俺には その男の思考が読めてしまうんだ。 (すげーカワイイじゃん。一発やらして くんねーかなー。こんな子、あの時、どんな顔すんだ) だの、 (見るからに清純派。思いっきり犯してやりてぇ) だの、時には 瞬を 正しく男子と認識した上で、 (こんだけ可愛い顔してんなら、乳なんかなくても、まるっきりOKだぜ) だのと、身の程知らずなことを考える下種もいた。 男ってのは、本当に下劣な生き物だ。 瞬の稀有な清らかさがわかっていないんだから仕方がないのかもしれないが、瞬に出会った若い男は、10人中9人までが、その手のことを考える。 俺が瞬なら、まず間違いなく男嫌いか恐怖症になっているだろう。 まあ、所詮は小物の下種。そんな輩は 俺に睨まれると、10人中10人までが すごすごと引き下がっていくんだが、俺がついていないと、瞬がどういうことになるか わかったもんじゃない。 『瞬の側にいると心地良い』という理由に、『俺が瞬を守ってやらなければならない』という使命感が加わって、俺は ますます 瞬から離れられなくなった。 もちろん、瞬が聖闘士だということは わかっているんだが、瞬は、『聖闘士だからこそ 一般人には怪我をさせられない』なんて馬鹿なことを考えかねない子だ。 絶対にあってはならないことだが、それで間違いが起こって 瞬が傷付いたり、その結果 瞬が男性不信や人間不信になり、この俺まで避けるようになったら、俺は、俺のただ一人の特別な人を失うことになる。 そんなことになったら、俺は俺の嫌いな虚無主義者への道を辿ること必至だ。 冗談じゃない。 本当に冗談じゃない。 俺は、だから、瞬の外出には必ず同伴した。 俺が同伴できない時には、瞬の外出を禁じた。 星矢や紫龍は そんな俺に呆れていたが、それは瞬の心身を守るために絶対に必要な措置。 瞬を見ても真っ当なことしか考えられない鈍感共に、その辺りの事情を詳細に説明するのは 面倒で不愉快だったから、俺は不言実行を貫いていたんだ。 |