それまで だんまりを決め込んでいた紫龍が、そんなアテナと俺の間に割って入ってきたのは、奴が 仲間の名誉を守ってやろうなんて殊勝なことを考えたからじゃなかったろう。 紫龍は、アテナが命じようとしている任務が 詰まらない面倒事じゃなく、地上の平和に関わる重大事ということが わかったから、その仕事を自分がしてもいいという気になったんだ。 だから、これまで極力 自分がそこにいることをアテナに意識させまいと振舞っていた態度を改めた。 ただ、それだけのことなんだ。 実に 友だち甲斐のない男だ。 「氷河は、子供の頃の初恋の相手を探しているんですよ。どこにいるのかが全く わからないので、手当たり次第に 探しまわるしかない。アテナから聖域を出る許可を与えられる出張任務は大歓迎というわけだ」 「初恋の相手?」 紫龍の差し出口のおかげで、アテナの目から軽蔑の色は消えた。 だが、それを手放しで喜んでしまっていいものかどうか。 俺のしていることは、つまり、地上の平和を守ることと 俺の個人的な恋愛問題を同列に扱っているということ。 それが、アテナに知れてしまったんだからな。 幸い アテナは、俺の出張好きの理由を知っても 立腹した様子は見せなかったが。 とりあえず、一応は。 「それは 初耳だわ。なんて可愛らしい話なんでしょう。その初恋の相手って、どんな人なの。言ってくれれば、私も その人を探すのに力を貸してあげたのに」 アテナの言葉は嬉しいが(親切すぎて 薄気味悪くもあるが)、そんなことができるはずがない。 アテナの力と時間は、俺の個人的な恋愛問題より 地上の平和を守るためにこそ使ってほしい。 公私の別はつけるべきだ。 それくらいは、俺だって承知している。 「俺たちだって、それは大いに興味あるんだけどさ。氷河の奴、勿体ぶって、とにかく ものすごい美少女だったってことしか教えてくれないんだよ」 それまで 紫龍同様、自分の気配を消していた星矢が、突然 俺の個人的恋愛問題に言及してきたのは――こいつは紫龍と違って、アテナの聖闘士としての使命感にかられたわけじゃないだろう。 星矢は おそらく、俺の秘密主義を 以前から不満に思っていたんだ。 星矢は、何にでも首を突っ込んで騒ぎを起こしたがる奴だからな。 だが、俺が 俺の初恋の人に関する情報を 星矢たちに開示しないのは当たり前のことだ。 俺が 瞬と過ごした 短い日々は、俺にとって、どんな宝石より価値ある宝。 へたに情報を開示して、それを こいつ等の からかいの種にされてたまるか。 まして、瞬のことでアテナに借りを作るなんて、絶対に回避しなければならない事態だ。 俺は、誰の力も借りずに独力で、必ず 俺の瞬を探し出す! その決意を新たにして 星矢たちを睨みつけた俺に、アテナがとんでもないことを訊いてきやがった。 「そんなに ものすごい美少女だったの? 私より? 私と その子とでは どっちが より美少女かしら?」 う……。 『どっちが より美少女かしら』なんて、臆面もなく、よく訊けるもんだ。 その質問に答えろというのか、アテナは。 ああ、やっぱり口の軽い仲間なんて持つもんじゃない。 全く悪気なく、俺を こんな窮地に立たせてくれるんだから。 俺は もちろん、アテナの質問に答えなかった。 当然だろう。 俺は嘘はつきたくないし、命も惜しい。 アテナが(その性格はともかく)素晴らしい美少女だということに異論はないが、 俺の瞬に比べたら――いや、そもそも 豪胆を極めた戦いの女神アテナと、暖かい春の野に咲く可憐な花を比較評価すること自体が、大いなる間違いだ。 もちろん、俺は沈黙を守った。 まあ、その沈黙が 既に明瞭な俺の答えになっていたんだがな。 俺の沈黙の答えを聞いたアテナが、不気味なほど にこやかな笑みを 俺に向けてくる。 「答えたくないの? なら、答えなくてもいいわ。その代わり、アトス自治修道士共和国に潜入して、ハーデスが隠したものを探し出し、必ず聖域に持ち帰ってきてちょうだい。おそらく、ハーデスは それを アトス自治修道士共和国内にある修道院のどれかの至聖所のどこかに隠したと思うから」 さすがは 知恵と戦いの女神アテナ。 俺ごときの言葉は、実に堂々と無視してくれる。 俺が喜んで出掛けていくのは、可憐な美少女がいる可能性のある場所だけ。 むさ苦しい男しかいない女人禁制の国なんて、俺は 少しも行きたいと思わない。 まあ、そんな国には、俺でなくても、大抵の男は行きたくないだろうがな。 「女人禁制の地なら、紫龍が適任なのではないか」 俺は 慎んで、アテナに紫龍を推挙した。 紫龍の方が 俺よりはまだ熱心に この任務の遂行に励んでくれるだろう。 俺が意に染まない仕事に不承不承 取り組むより、その任務に意義があると思っているらしい紫龍が 事に当たった方が、任務成功の可能性は格段に大きくなるに違いない。 ――というのは、もちろん建前で、俺の紫龍推挙の真の理由は、“面倒事は人に押しつけたいから”だったが。 俺の本音を感じ取ったんだろう紫龍が、俺に不審の視線を投げてくる。 「アテナの命令とあらば、俺はどこにでも行くが……なぜ俺なんだ」 「無論、俺より貴様の方が有能だと思うからに決まっているだろう。その上、女人禁制の国の坊主共が 貴様の その女より長い髪を切ってくれるだろうから、散髪代も浮いて一石二鳥だ」 「俺は絶対に行かん」 お、紫龍の奴、光速で拒否してきやがった。 そうか。龍座の聖闘士は、アテナの命令より、地上の平和より、自分の髪の方が大切か。 この罰当たりが。 「となれば、残るは星矢」 アトス自治修道士共和国は ギリシャの秘境。 そんな国への潜入捜査は、冒険活劇好きの星矢には もってこいの任務だ。 俺が意に染まない仕事に不承不承 取り組むより、その任務を楽しめるだろう星矢が 事に当たった方が、任務成功の可能性は格段に大きくなるに違いない。 ――というのも、もちろん 建前で、俺の星矢推挙の真の理由は、“面倒事は人に押しつけたいから”だ。 俺の本音に、野生の勘で気付いたか、あるいは 全く気付いていないのか。 その判断はできなかったが、俺の推挙を、紫龍に続き、星矢もまた拒絶してきた。 しかも、ごく あっさり。 かつ、恐ろしく馬鹿げた理由で。 「あ、わりぃな。俺、猫派じゃなく犬派なんだ」 「まあ。犬派じゃ、この任務は無理ね」 ちょっと待て。 そんな理由があるか、星矢! そして、そんな理由での命令拒否を認めるのか、アテナ! 俺が慌てて、 「ほ……他に適役が――こういう重大な任務は 黄金聖闘士か、せめて白銀聖闘士を行かせるべきなのでは……」 なんてことを言い出したのは、星矢の命令拒否じゃなく、命令拒否の理由に慌てたせいだったかもしれない。 星矢が猫派じゃなく犬派なせいで、俺が女人禁制の国に行かなければならないなんて、そんな理屈は どう考えても おかしいだろう。 仮にも 知恵の女神が、そんな非論理的なことはしないでくれ。 そんな命令に従わなければならなくなる俺が、あまりにもかわいそうじゃないか。 ――という俺の ささやかな希望を、だが アテナは冷酷に退けた。 「なら、あなたの初恋の人より 私の方が美少女だと言って、私の機嫌をとりなさい。それができたら、アトス自治修道士共和国へは 紫龍か星矢を派遣することにしてあげてもいいわ」 だから、なぜ そんな無理難題を俺に吹っかけてくるんだ、アテナは! 俺は胸中で絶叫し、アテナは、 「じゃ、そういうことで よろしくね」 問答無用の笑顔で、俺の絶叫が聞こえていない振りをした。 |