ギリシャ北部、エーゲ海に突き出たアクティ半島に、アトス自治修道士共和国はあった。 全長45km、幅5kmの細長いアクティ半島。 ギリシャ本土とは 険しい山々と深い森で隔てられ、国に入るには海から船で行くしかないんだが、その沿岸は ほぼ断崖絶壁、砂浜はない。 船を係留できる桟橋が一つ あるきりだ。 この桟橋に船をつけることを許されなかったら、外から来た人間が この国に上陸することは まず不可能。 アトス自治修道士共和国は、国の方針に沿わない外部の人間の侵入を断固として拒否する、まさに自然の要塞だった。 最盛期には修道院の数は60にのぼり、人口も2万に及んでいたらしいが、今は修道院数が22、人口も 3000人弱。 それが、一部の猫以外、人間はもちろん、山羊も羊もオスばかりだっていうんだから、不気味この上ない。 国民全員が同性愛者でも嫌だが、国民全員が本当に禁欲的生活を送っているのも嫌だ。 俺には同性愛の気はないが、自らに無理な禁欲を強いている人間の方が、同性愛者より不潔に思える。 何というか――俗世の普通の人間が抱く あらゆる欲望が圧縮され 濃度と粘度を増して、その身の中に どろどろと淀んでいるような気がするんだ、禁欲者とかいう奴等は。 物欲であれ、名誉欲であれ、権力欲であれ、性欲であれ、それら すべてを禁じて生きるなんて、その方が、同性愛者より よほど自然にも神にも反した生き方をしている者たちだろう。 俺が そう思ってしまうのは、俺が 自然発生宗教であるギリシャの神々に親しみすぎているせいなんだろうか。 だが、好みの女を見付けると すぐさま、実に堂々と その尻を追いかけ始める漁色家のゼウスの方が、自分の欲を じっと抑え込んでいる完全禁欲者より、ずっと潔く 爽やかだ。 俺は そう感じる。 無論、その“爽やかさ”は あくまで相対的な評価にすぎない。 ゼウスなんて色狂い、俺は大嫌いだし、しっかり はっきり軽蔑させていただいている。 まあ、そんなことは、俺の今回の任務には関わりのないこと、どうでもいいことだがな。 ともかく、アテナの根回しで、修道士見習いとして アトス自治修道士共和国に上陸した途端、俺は 己が身で、その国に一種 異様な空気な充満していることを、不愉快なほど はっきりと感じることになったんだ。 禁欲している男しかいない国が むさくるしくて 殺風景なのは、自然の理に適ったことなんだろうが、それにしても 空気が暗く重い。 昼間は海風が、夜間は陸風が吹く土地。 ここまで空気がどんよりと淀んでいるはずはないのに。 これはやはり、冥府の王ハーデスの力が、この国に何らかの影響を及ぼしているからなんだろうか。 その可能性がないとはいえないが、暗い冥界の支配者といえど、ハーデスとて“爽やかな”ギリシャの神の中の1柱。 この淀みは、ハーデスのせいだけではないような気もする。 真偽はわからないが、要するに、アトス自治修道士共和国は、海、山、緑、明るい陽光等、実に美しい自然に恵まれているにもかかわらず、全く爽やかでない国だった。 上陸した途端に、できることなら たった今 下船したばかりの船に戻って、人の悪いアテナのいる聖域に帰りたいと、この俺が かなり本気で思うほど。 が、不本意の極みだが、入国してしまったからには 仕方がない。 この国の淀んだ空気が、ハーデスの影響であれ、鬱屈した男たちの怨念によるものであれ、今の俺にできる最善のことは、一日も早く任務を終えて、この国を出ることだ。 そう考えて、俺は、アトス自治修道士共和国に入国した その日から早速、俺にしては極めて真面目に、自分の仕事に取りかかったんだ。 すなわち、国内に22ある修道院の最奥の部屋――至聖所――の検分を。 もちろん そこには、いわゆる聖なる物や宝と呼べる貴重な物品が置かれているわけで、それらの物は、この国に来たばかりの見習い修道士が『見せてください』と頼んでも、すぐに ほいほいと見せてもらえるようなものじゃない。 当然、夜間 こっそり忍び込むしかない。 いってみれば、何も盗まない こそ泥行為だ。 およそ アテナの聖闘士がするようなことじゃないが、禁欲男たちに知られることなく穏便に任務を遂行しようと思ったら、そうするのが 最も手っ取り早いからな。 至聖所検分自体は、極めて容易だった。 アトス自治修道士共和国は自然の要塞。 外部の人間が無許可で入るのも、逃げるのも 容易な場所じゃない。 それが わかっているから、アトス自治修道士共和国内の不気味な修道士たちは皆、油断していた。 おまけに、若く健康で美貌の俺が、こんなところで清貧の生活を始めなければならなくなったのには 何か深い事情があるのだろうと 勝手に思い込んで、修道士たちは皆、俺に同情的だった。 どこぞの王家か大貴族の公にできない子弟なのではないかとか、相続争いに破れて島流しにあった不運な貴公子なのではないかとか、奴等は 俺の不幸な境遇を勝手に妄想して、退屈で陰鬱な日々の無聊を慰める材料にしているらしい。 俺は、俗世のすべてを捨てて この国にやってきた(ことになっている)んだから、無論、その辺りの事情を根掘り葉掘り詮索するのは ご法度。 俗世にいた頃の俺の境遇を、あれこれと俺に尋ねてくる輩は一人もおらず、俺も馬鹿げた嘘を捏造せずに済んだのは、幸いなことだった。 だから、アトス自治修道士共和国への入国後の俺の仕事は 極めて容易なものだったんだ。 昼間は、祈りと労働――写本の仕事や山羊(本当に、皆オスだった)の世話。 夜は、国内にある修道院の至聖所探索。 俺は、一夜に一ヶ所のペースで、着実に 俺の仕事を片付けていった。 目的のものには、なかなか出会えなかったがな。 各修道院の至聖所には、それぞれ、いわゆる聖遺物らしきものが置かれていた。 生誕したばかりのイエスの身をくるんだ布の切れ端、イエスが架けられた十字架のかけら、イエスの血を吸った土、最後の晩餐で用いられた食器等々、イエスや彼の使徒たちに関わる様々の品々が。 もちろん、すべて 入手経路の記された保証書付き。 聖遺物の類は どれも偽物なんだろうが、それらの聖遺物と一緒に置かれている宝石や金銀の装飾品は皆 本物、見事なものばかりだった。 おそらく、この国の修道士たちが俗世での自分の財産を宝石類に変えて、この国に持ち込んだんだろう。 修道誓願を立てて女人禁制の国に入るからには、自分が贅沢な生活をするつもりはないが(したくでも できないが)、自分の俗世での財を 俗世にいる誰かにくれてやるようなこともしたくない。 神に捧げて、自分に対する神の覚えをめでたくしたい――というわけだ。 それもまた、立派な欲だろう。 してみると、この国にいる自称 禁欲者たちは、誰も 完全に欲を捨てきれていないわけで、その事実に、俺は少し心を安んじた。 |