「瞬が可愛いのは、瞬の顔の造作が綺麗だからじゃないってことだけは わかった。瞬は違う」 星矢にかけられた変則幻魔拳の有効期限の1時間が経過。 龍座の聖闘士の顔も 鳳凰座の聖闘士の顔も変則幻魔拳以前に知覚していた通りの顔に戻ったと、星矢は告げた。 そして、変則幻魔拳をかけられても、瞬だけは以前と変わらず可愛いままだった――と。 「あ、んでも、変則幻魔拳の威力は絶大だったぜ。瞬以外の奴の顔は、なんつーか……おまえ等の顔が違うってことは わかるんだけど、なーんか 同じに見えるんだよな。茹でただけのソーメン、塩気のない 白粥、シロップがかかってない かき氷。濃すぎる一輝のツラでさえ無味無臭。なのに、瞬だけは、ピンクのホイップクリームたっぷりで イチゴを幾つも飾ったイチゴムースみたいだった」 星矢は なぜ、それが当たりまえのことのように、人の顔を食べ物に例えるのか。普通は 動物や植物に例えるものだろう。 ――という考えはさておいて、星矢の例えは 実にわかりやすかった。 星矢にとって なぜ瞬だけが特別なのか、その理由もわかりやすい。 「人が何をもって、対象物を美しいと感じるのかは 人それぞれということか。星矢は、食い物の恩義で決まるらしい」 半分 笑い、半分 呆れた口調で、紫龍が、餌をくれる人に懐く犬猫のような星矢の判断基準を俎上に載せる。 「大事なことだろ!」 半分 怒り、半分 真剣な口調で――つまりは、完全に本気で――星矢は、そんな紫龍に反駁した。 「もちろん、それは極めて大事なことだ。生死を左右する重要な問題だからな」 紫龍が、笑いを少し残したままで、だが、すぐに 星矢の主張を全面的に肯定したのは、星矢の判断基準が、人間としては ともかく、動物としては極めて理に適ったものだったから――だった。 それは、ほぼすべての哺乳類と鳥類の行動原理に のっとった、いわば 生きるために必要不可欠な本能にして知恵なのだ。 「人間の美醜の判断基準というものは、個々人の感情や価値観が 社会共有の尺度に優越するものらしいな。好悪の感情は、なおさらだろう」 「なおさら どうだと言うんだ!」 星矢の美醜の判断基準など どうでもいいと思っているのだろう一輝が、答えを期待せず、ただ自分が不機嫌でいることを示すためだけに、機嫌の悪い声をラウンジに響かせる。 それは そうだろう。 星矢に変則幻魔拳をかけたことで導き出された結論――自分に益をもたらしてくれる人間が美しく見えるという結論――は、一輝には何の役にも立たないものだったのだ。 瞬が もし面食いなのであれば、何らかの益をもたらしているから 瞬には氷河が美しく見えているということになり、一輝には『いったい氷河が どんな益を瞬にもたらしているのだ !? 』という疑念が生まれる。 瞬が面食いでないのであれば、氷河が 美醜とは無関係な美点を備えているということになり、一輝には『そんなものが氷河にあるのか !? 』という疑念が生まれる。 結局、『氷河のどこがよくて、瞬は氷河と くっついているのだ!』という一輝の疑念は 全く解明されておらず、彼の怒りは 全く解消されていないのだ。 目の前で赤い布を ちらつかされ興奮している闘牛のような瞬の兄を見やり、紫龍は、瞬が この場にいなくてよかったと、心の底から思うことになったのである。 アテナの聖闘士たちを結びつけている絆の強さ美しさを信じ切っている瞬には、何が何でも氷河を 救い難い ろくでなしにしたがっている兄の姿は、大きな衝撃であるに違いないのだ。 鼻息を荒くしている牡牛を 落ち着かせるために、紫龍は、意識して 抑揚のない事務的説明的な口調を作った。 「瞬が面食いかどうかということは さておいて、美醜の判断基準以上に、人の好悪の感情は個人的で流動的なものだろうということだ。人が人を好きになる理由は、乱暴な言い方をすれば、それこそ“何でもいい”んだ。一般に、面食いと言われる人種は、外見が美しい人間に好意を抱くわけだが、世の中には ブス専と言われる人間もいる」 「そういや、ブス専の奴等って、不細工な人間が好きなのか、不細工な人間が綺麗に見えてんのか、どっちなんだろうな」 星矢の素朴な疑問を、紫龍は「さあ」の一言で受け流した。 それはそれでそれなりに興味深い議題だが、今は そんな横道に逸れている暇はない。 「自分に似ている者を好きになる人間もいれば、逆に 似ていない者を好きになる人間もいる。一緒にいる時間が多い者に親しみを覚える人間もいれば、滅多に会えない者を慕う人間もいる。自分に必要な者を好きになる人間もいれば、自分を必要としてくれる者を好きになる人間もいる。自分に好意を抱いてくれている者を好きになる人間もいれば、自分を嫌って逃げる者を追いかける人間もいる。人は、俗に美点というものを備えている相手を好きになるとは限らないし、一般的には欠点に思われている要素を、美点に感じる人間もいるんだ」 「氷河に美点がないから、瞬は氷河を好きになったと言うのかっ」 「それも あり得ないことではないと言っているだけだ。瞬が そうだとは言っていない」 「馬鹿なっ!」 氷河には顔以外の美点がないから、瞬に ふさわしくないと思いたがっている一輝に、紫龍の言う“あり得なくないこと”は、天地が引っくり返っても受け入れられないことだったのだろう。 紫龍の言うように、『人が人を好きになる理由は“何でもいい”』のであれば、瞬の兄は、彼の最愛の弟を 顔以外に美点のない男から引き離すことはできない――ということになってしまうのだ。 「そんなことがあって たまるか! そんなことは、俺は絶対に認めんぞっ」 「そんな興奮すんなよ。脳の血管が ぶち切れるぞ。氷河が美点だらけで欠点なし、完全無欠の男だったって、どうせ おまえは氷河と瞬の仲を認めようとはしないんだろ。でも、こういうことは、諦めが肝心だぜ」 決して諦めないことで 幾つもの奇跡を実現してきた星矢の、極めて 彼らしくないオトナな忠告も、今の一輝の耳には全く聞こえていないようだった。 |