黄金聖闘士たちの不仲と お馬鹿と あさはかのせいで 地上支配の野望を打ち砕かれた男が 学級会の議長を務めるところを見ると、黄金聖闘士たちが嘆きの壁で その命を散らす以前から、聖域は深刻な人材不足状態だったことが窺われたが、それは ともかく。 復活した黄金聖闘士たちの活動方針を取りまとめたサガが、 「となければ、アフロディーテ。ここは おまえの出番だろう」 と言い出したことに、星矢は首をかしげることになったのである。 「アフロディーテ? アフロディーテの技って、精神攻撃系じゃないだろ。この手のことには 全然 役に立たなさそうな気がするけど」 アフロディーテの持ち技は、ロイヤルデモンローズ、ピラニアンローズ、ブラッディローズ。 彼は、薔薇を使って敵を殺すことと破壊することしかできない聖闘士であるはずだった。 どこから引っ張り出してきたのか、真紅の薔薇を片手で弄びながら、アフロディーテが妙に嬉しそうに サガの指名の訳を青銅聖闘士たちに語り始める。 「青銅のひよっ子共が何を言う。私は、伊達に 愛と美の女神の名を冠しているわけではないのだ。私はエロスの矢の代わりになるものを持っている。愛の媚薬――私が丹精した薔薇から作った強力な媚薬だ。俗に言う、惚れ薬だな」 「あんのかよ! 惚れ薬が!」 紫龍が『非現実的』と断じた惚れ薬。 本来なら疑ってかかるところなのだが、なにしろ それを持っている男が、飽きもせず懲りもせず生き返ることを繰り返している非現実な男。 非現実的な男が語る非現実的な事柄は、なぜか 妙に現実味を帯びているように感じられるから不思議である。 アフロディーテは、自信満々で星矢に頷いてきた。 「キグナスは、恥ずかしいダンスを踊るので有名な 恥ずかしい男。そんな恥ずかしい男とくっつけば、アンドロメダは 聖域中の笑いものになるだろう。こんな楽しいことはない」 非現実的な男が語る非現実は 現実味を帯びるのに、なぜ 恥ずかしい男が踊る恥ずかしい踊りは 恥ずかしいままなのか。 恥ずかしい踊りを踊る恥ずかしい男は、アフロディーテに『恥ずかしい』を二度も繰り返され、むっとした顔になった。 右拳に冷たい小宇宙を集め始めた氷河が、その拳をアフロディーテに向けて放たなかったのは、魚座の黄金聖闘士は既に死んでいるのだということを、氷河が思い出したからだったかもしれない。 少なくとも、“(目上の)黄金聖闘士に遠慮したから”でないことだけは確かである。 もっとも、目上の者に遠慮しないという点では、星矢の方が氷河より 一枚も二枚も上手だったが。 「あんた、まだ根に持ってんのかよ。瞬に負かされたこと」 遠慮なく、星矢がアフロディーテに尋ね、 「聞き捨てならん。私は、私の可愛い後輩の恋のために、一肌脱ごうと言っているのだ」 星矢の質問に、アフロディーテは大いに機嫌を損ねた顔になった。 「あんたより強い後輩のために、あんたが赤心から力を貸してくれるなんて、にわかには信じ難いんだけど」 「私が私の力を貸す相手はアンドロメダではない。叶わぬ恋に身を焦がしているキグナスだ」 そう言いながら、アフロディーテが取り出したガラスのアトマイザーの中には 金色の液体が入っていた。 黄金聖衣の どこに そんなものを忍ばせていたのかという問題は、この際 無視。 アトマイザーは、長さは7、8センチほど、直径は1センチほどの細長い円柱形。 惚れ薬と言われていなければ、ごく普通の香水にしか見えない代物だった。 香水なのであれば、一人の男の持ち物として、それは さほど奇矯なものではないが、本当に惚れ薬なのだとしたら、アフロディーテは なぜ そんなものを持ち歩いているのか。 『敵を 私に惚れさせて倒すためだ』という答えを聞きたくなくて、青銅聖闘士たちは誰も その件に突っ込みを入れることはしなかった。 それをいいことに、アフロディーテが得意顔で 彼の惚れ薬の使用方法をレクチャーを始める。 「これをアンドロメダの鼻先でスプレーして、キグナスの顔を10秒 見詰めさせればいい。そうすることで、アンドロメダの心にキグナスの思いが刻みつけられるのだ」 「ほんとかっ」 気負い込んで確認を入れた星矢とは対照的に、氷河は あまり乗り気な様子を見せなかった。 薬に頼って瞬の心を 自分に向けることを卑劣と思うからではなく――それ以前。 氷河は、アフロディーテの自慢の(?)秘薬への不信感でいっぱいだったのだ。 「どうせ、効力は匂いが消えるまでの数時間とか言うんだろう。でなかったら、目の前で人が一人 死ぬまでとか、火時計の火が消えるまでとか」 「そんな欠陥技と一緒にするな。これは、解毒剤もない強力な薬だ」 「解毒剤がない毒薬というものは、冷えない冷蔵庫以上の欠陥品だと思うが」 「なに?」 紫龍の指摘に、アフロディーテが 一瞬 不快そうに 片目を眇める。 が、彼は すぐに、 「これは毒薬ではない。ゆえに解毒剤は不要だ」 と言って、紫龍の指摘の無効化を図った。 「論より証拠。百聞は一見にしかず。実際に使ってみれば、私の薬の威力は すぐにわかる。アンドロメダは、いつ帰ってくるのだ」 アフロディーテの惚れ薬に それなりの力があるのは確かなのだろう。 であればこそ、アフロディーテは、自信満々で そんなことを言い出したに違いなかった。 彼は、一刻も早く、恥ずかしい踊りを踊るので有名な男に恋い焦がれる瞬の姿を見たいと、気が急いているのだ。 地上の平和を願う気持ちや 瞬への好意はもちろん、可愛い後輩の恋を応援する気持ちすら、アフロディーテの中には かけらほどにもないことがわかるので――能天気で売っている星矢も さすがに アフロディーテの薬を瞬に使うことに不安めいたものを感じ始めたのである。 「なんか、俺、やな予感しかしないんだけど……」 「奇遇だな。俺もだ。しかし、これは運命で定められたことなのかもしれんぞ。このタイミングで瞬が帰ってくるところを見ると」 「なんで、帰ってくるんだよ!」 なぜ帰ってくるのかと問われれば、仲間たちのいるところが自分の帰るべき場所だからと、瞬は答えていただろう。 ともかく、瞬は このタイミングで仲間たちの許に帰ってきた。 それが事実で現実なのだから仕様がない。 紫龍の視線の先には、教皇殿からアテナ神殿に続く階段を 軽快な足取りで昇ってくる瞬の姿があった。 しかも、瞬一人。 瞬の傍らに アテナの姿はなかった――つまり、基本的に放任主義だが、人間の生命(アテナの聖闘士の生命 含む)と地上世界の平和を守ることに関しては厳格に対処するアテナが、瞬と一緒ではなかった。 それは、すなわち、アフロディーテの惚れ薬が ろくでもない事態を引き起こすものだったとしても、その薬の使用を禁じてくれる者がいないということ。 星矢の嫌な予感は ますます募る一方だった。 |