氷河が知りたいのは――もとい、氷河が今 心行くまで驚きたいのは、解語の花とでも表すべき奇跡のような美少女が 実は男子だったという事実に関して でした。
なのに瞬公主(実は公子)は、氷河に驚く時間を与えず、どんどん話を進めていきます。
おそらく それは、知らないこととはいえ、男子を妻に迎えようとしていた氷河に 気まずい思いをさせないためで――つまりは、氷河を気遣ってのことのようでした。
ですから 氷河は、そんな瞬公主(実は公子)の気遣いをれ、きっぱり腹をくくったのです。
公主でも公子でも、瞬が美しく清らかな人間であることに変わりはありません。
変わりはありませんでしたから。

「おまえが男子だということを公表して、兄ではなく おまえ自身が帝位に就くのがいいんじゃないか」
腹をくくって そう提案した氷河に、一瞬 安堵の表情を見せ、それから瞬公主(実は公子。ややこしいので、以後は『瞬』とします)は 力なく首を左右に振りました。
「僕は、人の上に立ち、人を統べる質の人間ではないんです。そういう才には、兄の方が はるかに恵まれています。東春国の皇帝に最もふさわしい兄を差し置いて、僕が帝位に就くことはできません」
『だが、その兄は生死不明なんだろう』と言うこともできず、氷河は口をつぐみました。
瞬は、行方不明で生死も不明な兄を、大層 慕っているように見えましたから。

「兄がいてくれさえすれば、あんな卑怯なことをして、大勢の求婚者を辱めるようなこともせずに済んだのですが……」
「卑怯?」
「あの屏風の孔雀の目には仕掛けがあって――つまり、あの的は動くんです。屏風の絵が二重になっていて、屏風を脇で支えていた者たちが 奥の絵を動かして――」
「動いてはいたが、左右への単調な動きだった。あれを射抜けないのは、射手の腕が未熟だからだろう」
「それも気付いていらしたんですか」
「気付いていなければ 射抜けないだろう」
「……」

遠的の試みには成功したのですから、そんなことを わざわざ言い立てる必要もないだろうと考えて、氷河は 自分が気付いていたことに言及せずにいただけだったのですが、瞬は 氷河のその沈黙を大層 崇高な行為と評価してくれたようでした。
だからだったのかもしれません。
それまで、氷河の妻にはなれないと言うばかりだった瞬が、
「氷河。僕を妻にして、この国の帝位を継いでくれませんか」
と言い出したのは。
「なに?」
「氷河は、武芸だけでなく、君主としての寛大寛容の質にも恵まれているようです。政策面は、僕が全面的に後援します。もちろん、僕は形だけの妃で、氷河は 氷河の愛する人を 妻にお迎えになって構いません」

いったい 瞬は突然 何を言い出したのでしょう。
瞬の明晰英邁の評判は、根拠のない流説だったのかと、氷河は 半ば本気で疑ってしまったのです。
氷河が欲しいのは、東春国の皇帝の位などではなく、美しく清らかで賢明な妻でした。
「それは無理だ」
「なぜです」
「おまえを見てしまったら、他の女なんて、くしゃみをしたチンにしか見えない」
「……」

瞬が明晰英邁な人間であることは事実なのでしょう。
瞬が 時折 おかしなことを言い出すのは、瞬が自分の価値を正しく把握できていないからのようでした。
だからこそ、瞬は、
「すみません。無理を言って。誰だって、皇帝なんて、面倒なものにはなりたくないですよね。どうして そんなものになりたがる人がいるのか、それは僕にもわからない」
なんて、頓珍漢なことを言ったりするのです。
千を超える男たちが あの遠的に挑戦し失敗したと、瞬は言っていました。
失敗すれば、多くの見物人の前で恥をかくのに、それでも挑戦する者が千人もいたことの意味を、瞬はわかっていないのです。

瞬の言う通り、皇帝などという面倒なものになりたいと本気で望む人間は、実は さほど多くはいないものです。
ですが、美しい妻を得たいと願う男は――それは まあ、男に生まれたからには誰もが願う願いと言っていいでしょう。
あの遠的の試みに挑んだ男たちが本当に欲しかったものは、東春国の皇帝の地位ではなく、美しく清らかな瞬公主であったに決まっていました。

「俺は、皇帝になりたくないんじゃなく、形だけの夫になりたくないんだ」
「はい……すみません」
瞬は本当に わかっていないようでした。
おかげで 氷河は、
「だから、俺は、おまえの本物の恋人になりたいんだ!」
と、本当なら言わずもがなのことを、あえて言葉にしなければならなくなってしまったのです。
「えっ」
瞬が 一瞬 きょとんと瞳を見開き、
「僕は男子です」
と、これまた わざわざ繰り返さなくていいことを繰り返してきます。
事ここに至って、氷河は気付いたのです。
明晰英邁の誉れ高い瞬の この頓珍漢ぶりは、瞬が その方面に関して全くの初心者、完全なる未経験者だからなのだということに。

男子でありながら女子として育てられた弊害もあるのでしょうが、千を超える男たちに 妻にと望まれていたにもかかわらず、瞬は 恋という行為と感情に関する知識も経験も 全く持ち合わせていないのです。
それなら それで、やりようは いくらでもありましたけれどね。
つまり、その分野に関して、氷河が瞬への最初の指導者、最初の教育者になればいいのです。
氷河は、ここは強引に 押せ押せで瞬に迫っていくことにしました。

「おまえは俺が嫌いか」
「優しい人だと思います」
瞬は、氷河が 遠的の的になる孔雀を『かわいそう』と言ったことを、ひどく好意的に誤解しているようでした。
氷河が孔雀を『かわいそう』と言ったのは、それが 鶏や鴨ではなかったからです。
孔雀の肉なんて、大して美味しいものではないだろうと思っていたからでした。
なにしろ、あの時 氷河はおなかを空かしていましたからね。
ですが、もちろん、それは解かなくていい誤解です。

「しかも美貌だろう」
「は……はい」
「この世界に、おまえに釣り合う男は、俺一人しかいないと断言できる」
「あ……あの……?」
この分野では、氷河とて 百戦錬磨のつわものというわけではありませんでしたが、一生 恋とは無縁と思っていたのでしょう瞬に比べれば、氷河も立派な上級者です。
自信満々の氷河の前で 戸惑うばかりの瞬に、氷河は押しつけるように尋ねました。

「だが、俺には、この国の皇帝にはなれない事情がある。そこで提案だ。もし おまえの兄貴が見付かって帝位を継ぎ、この国の政情が安定したら、おまえは 俺のところに来てくれるか」
「それは……でも……」
「約束してくれたら、俺が おまえの兄を探してきてやる」
氷河の提案を聞いて、それまで 氷河の強引に ただただ当惑しているようだった瞬の瞳に、冷静と懸命の光が戻ってきました。
しばらく思慮深げに考えを巡らせて、瞬は最終的に、
「はい」
と、氷河に首肯してきたのです。
瞬の瞳には 壮絶な覚悟の色が たたえられていて――その瞳を見やり、氷河は、自分が調子に乗りすぎていたことに気付きました。

少し冷静になって、氷河は瞬に尋ねたのです。
「おまえが ここで俺に『はい』と言うのは、この国の公主としての責任感からか? 俺を好きなわけではなく?」
「あ……」
暫時、言葉に詰まった瞬の返事は、
「美しくて、お優しい方だと思います」
という、答えになっていない答え。
瞬の返事は、妥当で常識的なものだったでしょう。
なにしろ 二人は、今日 初めて出会った二人。
氷河は瞬の人となりを すべて知り尽くしたような気になっていましたが、瞬はそうではなかったでしょうから。

ですが、ものは考えよう。
それは、二人は これから互いを知り合っていくことができるのだということ。
今 氷河が とりあえず手に入れておきたいのは、この恋には実る可能性があるという事実。
つまりは、“希望”だったのです。
瞬の様子からして、その希望はあるように、氷河には思えました。
それさえ確かめることができたなら、今の氷河には十分だったのです。

「美貌で優しいだけでなく、才覚も行動力もあるぞ。おまえの兄を探し出してきて、それを示してやろう。俺に惚れる準備をしておけ」
そう宣言して、氷河は その夜は瞬の前から立ち去ったのです。
瞬の兄を見付け出す。
それで すべての問題は解決し、この恋は叶うのだと信じて。






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