ええ。 それは悲劇でした。 ただし、氷河一人だけにとっての。 燃え上がる情熱に抗しきれなかった氷河が、その気満々で(“その気”が どんな“気”なのか、深く考えてはいけませんよ)、瞬の身体を長椅子の上に押し倒した次の瞬間。 氷河の身体は、何か途轍もなく凶暴かつ好戦的な力によって 瞬の上から引きはがされ、金糸銀糸で鳳凰の刺繍が施された幕が掛かっている壁に、その壁が崩れ落ちないのが不思議なくらい強く激しく叩きつけられていたのです。 そして、壁に叩きつけられた氷河の身体が ずるずると床に落ち切る前に、 「きっさまーっ! 我が最愛の弟に何をするかーっ !! 」 という、地獄の閻魔大王の大喝もかくや(東春国風)、冥界のケルベロスの咆哮もかくや(南夏国風)、死の国のルシファーの癇声(北冬国風)もかくやとばかりの大音声が室内に響き渡りました。 それだけなら まだよかったのですが(全然よくありませんでしたが)、いったい我が身に何が起きたのか わからないまま、とにかく 床と壁の間で応戦態勢を整えようとした氷河の耳に、 「ほんとに罠に掛かってきやがった! まじかよ!」 「星矢。呆れてないで、一輝を取り押さえろ! 一人では対抗しきれないから、陛下は 俺たち二人を この国に遣わしたんだ!」 「わかってるって!」 と、これまた どういうわけか、星矢と紫龍の声が飛び込んできたのです。 ここは、東春国の都の ほぼ中央、先帝の寵妃が残した二人の子の住まいである館の最奥にある瞬公主の私室のはずです。 そんな秘密の花園に どうして こんな 花とは似ても似つかない男たちが ごろごろ転がっているのでしょう(転がっているのは氷河だけでしたが)。 痛む身体を立て直した氷河が 室内を見まわしますと、氷河が瞬を押し倒しかけた長椅子の中央に、氷河同様、状況が呑み込めずに ぽかんとした顔の瞬。 その足元に、凶暴な獣を取り押さえているようにしか見えない星矢と紫龍。 そして、星矢と紫龍に左右の肩を掴みあげられ、ぎりぎり歯噛みをしながら 氷河を睨みつけている一人の暑苦しい顔の一人の男。 その男に向かって、瞬が、 「兄さん!」 と叫ぶのを聞いた氷河は、この二人が兄妹――もとい、兄弟――なのなら、小さな両手でクルミの実を抱えた小リスと、エサにありつけず目を真っ赤にして興奮しているグリズリーが兄弟でも おかしくはないだろうと、思うともなく思ったのです。 |