「我が最愛の弟の愛情を搾取する不届き千万な男の対処について、老師の ご意見を伺いたい。天秤座の黄金聖闘士は聖闘士の善悪を判断する要の聖闘士だと聞いた。老師には、あの極悪人を成敗する考えはないのか」 なぜ この男は、目上の人間に“ご意見を伺い”に来るのに、いちいち攻撃的小宇宙を燃やすのか。 その点に関して、一輝に“ご意見を伺い”たいのは、むしろ 童虎の方だった。 が、既に十二分に怒りの小宇宙を燃やしている鳳凰座の聖闘士に、そんな ご意見を伺って へたな刺激を加えると、一輝は それだけで憤怒の小宇宙を爆発させ、この天秤宮を焼き尽くすことも しかねない。 到底“可愛い後進”とは呼べない鳳凰座の聖闘士には、早々に この宮から お引き取り願った方が吉。 童虎は そう判断し、その判断に従った。 「それは、氷河のことか」 「知っているなら、話が早い。さっさと あの不埒者を 正義の名のもとに成敗してくれ」 できることなら 自分の手でそうしたいのだろう一輝が、氷河成敗を天秤座の黄金聖闘士に求めるのは、おそらく、『自分に正義がない』と一輝が考えているからではない。 自分が氷河に返り討ちにされることを危惧しているからでもない。 彼は ひとえに、自分の手で氷河を誅し、そうすることによって最愛の弟に嫌われることを恐れているのだ。 だが、それは 天秤座の黄金聖闘士とて同じこと。 ここで氷河を邪悪と断じ、氷河を成敗し、瞬を悲しませるようなことをしてしまったら、瞬は 金輪際 天秤座の黄金聖闘士の許に季節の付け届けを持ってきてくれなくなるだろう。 童虎は、その事態だけは 絶対に避けなければならなかった。 そのために。 童虎は、あえて穏やかな恵比須顔を作って、怒りに燃える鳳凰座の聖闘士――もとい、瞬の兄――に対峙したのである。 「一輝。何を かっかしておるのじゃ。おぬしが腹を立てることなどあるまい。俗に、血は水より濃いと言う。人は――人が 最後に帰るところは、誰しも肉親のところじゃ。そして、人には、肉親になら 少しくらい我儘を言ったり、迷惑をかけても 許してくれるだろうと考える、甘えのようなものがある。それは 瞬とて例外ではあるまい。滅多に 人に迷惑をかけるようなことはしない瞬じゃが、それでも 瞬は おまえにだけは頼り甘えることが しばしばあった。氷河に対してはどうじゃ?」 「それは――瞬は、氷河に迷惑と面倒をかけられてばかりいる。氷河は瞬に甘えてばかりいるが、その逆はない」 憤懣やるかたなしという声で、瞬の兄から 予想通りの答えが返ってくる。 さもありなんとばかりに、童虎は一輝に頷いた。 「酢豚に迷惑をかけるパイナップルのようなものじゃな」 「酢豚にパイナップル? 何だ、それは。俺は世紀の極悪人で大馬鹿野郎の氷河の話をしているんだ」 天秤座の黄金聖闘士が 氷河成敗の件をごまかそうとしていると考えたのか、それでなくても攻撃的だった一輝の小宇宙が 更に凶暴性を増す。 童虎は、急いで顔と気を引き締め直した。 「いや、何でもない。それ見い。瞬にとって 氷河は所詮は他人なのじゃ。おぬしは瞬の兄として、でんと構えておればよい。瞬が頼っているのは おぬし、瞬が慕っているのも おぬし、尊敬しているのも おぬし。瞬は、どんなことでも おぬしが いちばん、とにもかくにも おぬしだけ。氷河なんぞ、摘まんでポイじゃ」 「む……。さすがは 聖闘士の善悪を判断する要の聖闘士。物事が よく見えている」 一介の青銅聖闘士が、聖闘士の善悪を判断する要の黄金聖闘士の力量を、偉そう かつ嬉しそうに評価してみせる。 自分の欲しかった答えを手に入れて、一輝は大いに満足したようだった。 一輝は 要するに、最愛の弟に 誰よりも慕われていたい男。 その願いが叶っているのなら、その確信をさえ手に入れることができたなら、他に世俗的な欲は 何ひとつ持っていない男。 世俗的な欲どころか、自分の命にさえ執着しない、ある意味、恐ろしいまでに潔い男なのだ。 こじらせると厄介だが、こじらせなければ、彼の“素直で優しい”弟より、はるかに扱いは容易だった。 「ただのう。世の中には、おぬしの瞬のように恵まれた者ばかりがいるわけではない。紫龍のように肉親が一人もいない者もおる。氷河も今となっては、そうじゃろう。何かと大目に見てやることじゃ。おまえは青銅聖闘士たちの最年長者なのじゃし、おぬしを頼りにしているのは瞬だけではない。おぬしは、言ってみれば、青銅聖闘士たちの要の聖闘士じゃ」 「……そうだな」 『瞬は、どんなことでも おぬしが いちばん、とにもかくにも おぬしだけ』のフレーズが、一輝を寛大な男に変えたらしい。 さすがに 憤怒の小宇宙を完全に消し去ることはできないようだったが、それでも 小宇宙の燃焼を天秤宮登場時の10分の1程度に抑えて、一輝は『ありがとう』の一言も言わずに童虎の前から姿を消していった。 |