Remember Love






天空の神ウラノスと大地の女神ガイアの娘にして、9人の芸術の女神たちの母である、記憶の女神。
百年に一度、9日間だけ、彼女は目覚める。
彼女の力の恩恵を受けたい人間たちは、その9日間のうちの8日間、女神が治めるエレウテールの丘の麓で祈りを捧げなければならない。
祈りの8日間が過ぎれば、9日目の朝に、記憶の女神は、彼女の9人の娘たちに美しい楽を奏でさせ、その者の記憶を消し去ってくれるのである。
百年に一度だけ示される女神の力。
記憶の女神が目覚める時が 近付いていた。

その日の訪れを心待ちにしている人間は多かった。
ギリシャ中の あらゆる町、あらゆる村。
裕福な者、貧しい者。
年若い者、歳を経た者。
忘却の恩恵を望む者に、場所の別、貧富の別、年齢の別、男女の別はない。
古い記憶を女神に消し去ってもらえれば、その人間は これまでの悲しみや つらかったことを忘れ、新しい人間として生まれ変わることができるのだ。
耐え難いほどの悲しみや つらさに見舞われた多くの人間が、女神の目覚めを待っていた。
我が子を失った母親、恋を失った若い娘、友と信じていた者に 手ひどく裏切られた青年、心ならずも犯してしまった罪を悔いている罪びと。
多くの悲しみや後悔を抱えた不幸な人間たちが、その日、エレウテールの丘に集うのである。
記憶の女神に、己れの記憶を消し去ってもらい、己れの人生を変えてもらうために。
つらさや悲しみを忘れて、新しい人生を生き始めるために。

ただし、女神は、忘却を望む者たちが忘れたいと望む記憶だけを消し去ることはできない。
彼女は、記憶の消滅を願う者たちの 感情を伴う記憶の すべてを消し去る。
悲しい記憶、つらい記憶、苦しんだ記憶だけでなく、嬉しい記憶や楽しかった記憶も。
それら すべてを、彼女は消し去るのだ。
消えずに残るのは、人が生きるために得た 感情を伴わない知識や経験の類だけ。
農夫の、作物を育てるための知識や経験。
鍛冶屋の、工具や農具を作る術。
戦士の、剣や弓を扱う技。
そういったものは失われないので、女神に記憶を消し去られても、彼女の力に すがった者たちが その後の生活に支障をきたすことはなかった。
記憶の女神に8日間の祈りを捧げた者たちは、それまでの人生において 自らの心の内に 何らかの感情を生ませた記憶だけを失うのである。

思いがけない記憶に感情が関与している可能性があるので、記憶の女神に祈りを捧げる者たちは、記憶を失うことによって 生活に支障が出るような恐れのある事柄は、事前に紙や石板に記しておく。
自分の住まい、財産、職業、年齢、親族の名、友の名。
ただ、誰も恋人の名を記す者はいなかった。
恋の感情が消えるのに、恋人の名だけを記録しておいても どんな益もないから。

女神の力に すがろうとする者たちに、『なぜ 記憶の消滅を望むのだ』と問うのは、幸福な人間だけである。
不幸な人間は 誰もが、百年に一度 記憶の女神が目覚める その日を待つ。
悲しい記憶、つらい記憶を忘れることによって、自分は幸福になれるのだと信じて。
そして、女神が目覚める日、エレウテールの丘が 数千、数万の人間たちで埋め尽くされるのは、この地上世界が 不幸な人間で満ち あふれていることの証左だろう。

一つの村の村人がこぞって エレウテールの丘に向かうこともあった。
過去には、一国の王が 国の民を全員、エレウテールの丘の丘に連れていったこともあったという。
憎しみ争い合っていた二つの部族の長が、和平の約束が成った時、部族間の憎しみの連鎖を断ち切るために、戦によって親族を失った すべての者をエレウテールの丘に率いていったこともあったらしい。
彼等に、失った親族の復讐など始められてしまっては、せっかく成った和平が無意味になってしまうから。その事態を避けるために。

百年に一度の その日、エレウテールの丘に向かうのは、幸福になりたい不幸な人間たち。
彼等に、『なぜ 記憶の消滅を望むのだ』と問うことは無意味。
彼等にしてみれば、逆に、丘に向かわない者たちに、『なぜ記憶の消去を望まないのだ』と問いたいところだろう。
『悲しい思い出や つらい思い出を持たない者が、人間の世界にいるはずがないのに』と。


氷河も、その日の到来を待つ人間の一人だった。
彼は不幸だったから。
彼を愛してくれた母親は、彼が幼い頃、息子の命を守るために 自らの命を犠牲にした。
氷河に 戦う術を教えてくれた師は、敵となって教え子の前に現われたため、氷河は彼を倒さなければならなかった。
生まれ育った村を外部の侵略者や略奪者から守るための戦いで、氷河は 多くの人間の命を奪うこともしてきた。
その数は一人や二人ではない。
数百単位――もしかしたら 千に及んでいるかもしれない。
そうして 村の安寧を守り抜いた氷河は 村では英雄扱い、村の守護者と呼ばれ、その名と強さは近隣の村々町々に鳴り響いていた。
そんな名誉や称賛は、氷河には 少しも嬉しいことではなかったのだが。

村を守るために 氷河が倒した侵略者や略奪者たちにも 家族や友人はいただろう。
氷河は、自分の村を守るために やむなく戦ったが、氷河の村を襲ってきた者たちとて、彼等の愛する者たちのために やむなく他の村を襲ってきたのだったかもしれない。
そして、力及ばず、その命を絶たれることになったのだったかもしれない。
どうであったにしても、起きてしまったことを なかったことにはできないのだ。
氷河が その事実を悲しみ苦しみ悔やんだとて、氷河が命を奪った者たちが生き返るわけではない。
だが、氷河は、自分が彼等の命を奪ったことを忘れることはできる。
同様に、氷河に親族の命を奪われた者たちも、その事実を忘れることができるのだ。

エレウテールの丘には、氷河に親族や友人、恋人を殺された者たちも 多くやってくるはずだった。
そうして記憶の女神に祈りを捧げ、つらく悲しい思い出を消してもらう。
そうすることで、彼等は、愛する者を失った悲しみを忘れ、自分から愛する者を奪った者への憎しみをも忘れるのだ。
忘れることで幸福になれると信じて。
忘れることでしか幸福になれないと思うから。
失った者も奪った者も――忘れることで幸福になることを望んで、百年に一度、その日、記憶の女神の許に集うのである。

その日を待てることを、氷河は 幸運なことだと思っていた。
なにしろ、女神が目覚めるのは百年に一度。9日間だけ。
生きている時間が その9日間に重ならない者も多いのである。
80年もの長い時間を苦い記憶に耐え続け、やっと その日を迎える者もいる。
ぎりぎり10代で その日を迎え、生き直す機会が与えられる自分が幸運でなくて何なのか。
そう 氷河は思っていたし、実際、大抵の者が、この時期に 幼すぎず、老いすぎていない者たちを 幸運な者たちだと思っていた。






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