俺を、王子様でも神様でもない、ただの貧しい猟師だと断言する二人の若い男たちに、俺は見覚えがあった。
四方八方に飛び跳ねている行儀の悪い髪と 大きな どんぐり眼を持った少年(子供と言っていい歳だ)と、防寒のために伸ばしているのだとしても 伸ばしすぎだろうと言いたくなるほど無駄に髪を長くした若い男。
その二人を、俺は確かに知っていた。

「半月ほど前に、これまで見たこともないような見事な黒テンに出会ったんです。あれを射止められたなら、ひと冬 猟に出なくても暮らしていけるだろう代価を得られそうな美しい毛並みのテンで――それが、身体は大きいのに、素晴らしく動きが敏捷。村の他の猟師たちが皆 諦めてしまっても、こいつだけは追い続け――どこまで追っていったのか、村に帰ってこなかったんですよ。あのテンは、欲の深い人間を嘲笑うためにロキが遣わした幻だったのではないかと、皆で案じていたんです」
「そしたらさ、最近、金髪の貴公子を見たって言ってる奴が山向こうの村にいたっていう話をする行商人に会ったって言う奴に会って、又聞きもいいところだから、あんまり期待せずに来たんだけど、これが どんぴしゃり! 氷河、おまえ、よく くたばらずに生きてたな! 俺たち、てっきり、おまえはどこかの雪の下に埋まってるもんだと思ってたぜ」

そう。
俺は、二人に見覚えがあった。
『氷河』という名前にも、親和性を感じる。
二人の ぞんざいな口のきき方にも、なぜか不快を感じない。
だから、この二人は嘘を言っていない。
俺が この二人と知り合いだったというのは事実だろう。
――と、俺は思ったんだ。
記憶は戻らなかったが、俺を迎えに来たと言う二人の言葉を、俺は すんなり受け入れることができた。
俺は。
俺一人だけは。

だが、空想好きの例の小間使いと執事の方は、そうは いかなかったらしい。
執事の方は、この城の管理運営を任されている者の責任上の問題だったから、『この件はなかったことに』で済んだんだが、問題は空想好きの小間使いの方だった。
「そんなはずないわ! こんなに美しいのに、王子様でも神様でもないなんて!」
そんな とんでもない理屈で、彼女は、俺の猟師仲間だという二人の男たちに噛みついていったんだ。
長髪の男が にこやかに微笑し、いきり立つ彼女を 軽く いなした。

「氷河は、中身はともかく、見た目は王子様然としていますから、その誤解は尤もです。おかげで、金髪の貴公子を見たという噂を聞いた時に、すぐに それとわかりました。ですが、現実世界の王子様というものは、氷河のように、“見るからに王子様”といった姿をしていることは まずないものですよ、お嬢さん」
それも すごい理屈だ。
王子様然としているから 王子様のはずがない――とは。

「でも、ただの猟師だったら、どうして上等のベッドに慣れていたの」
「あ、それはさ。氷河は獣も狩るけど、鳥も狩るんだよ。それこそ、フランスの王様や王子様が使う羽根布団用の水鳥なんかも。売る前に、寝心地を試したんだろ。最上等の水鳥の羽毛を麻の ずた袋にでも入れてさ」
「か……神様じゃなかったら、手で触れもせずに つららを砕くなんて、そんなことできるはずないわ!」
「手で触れずに つららを砕いた? そりゃあ、石でも投げつけたんじゃないのかな? でなかったら、たまたま そうなったんだよ。それくらいのことは、お陽様だって 手を使わずにやってのけるだろ。たまたまだったんだよ、たまたま」
「……」

もともと根拠のない思い込みで、俺をどこぞの王子様か神様だと決めつけていただけだった空想好きの小間使いは、常識的な理詰めで迫られると 反駁の仕様がない。
不本意そうにではあったが、そこまで言われて、彼女は彼女の空想を ついに放棄するに至った。
執事の方は、とにかく この城の存在が大っぴらなものになることを避けたいわけで、生まれ育った村に帰ることになった俺に、しつこいくらい口止めをしてきた。

そんなこんなの やりとりを経て。
俺は 結局、記憶が戻らないまま、俺を迎えに来た二人と、生まれ育った村に帰ることになったんだ。
俺は王子様でも神様でもなく――そのこと自体には、特に失望もしなかったが、俺は 空想好きの彼女の夢を壊したことには、少しばかり申し訳ない気分になった。
無論、それは彼女の勝手な思い込みで、俺に責任のあることじゃないんだが、この城にいる間、俺が 彼女の奇想天外な空想を聞いて楽しんでいたのは 事実だったから。
“楽しんでいた”というのは違うか。
だが まあ、自分が何者なのかわからないという俺の不安が、彼女の空想話のおかげで軽減されていたのは事実だ。

保身しか考えていない国王たちが作った永世中立国を出る俺を見送る彼女の切なげな眼差し――。
「彼女には悪いことをした。俺を どこぞの国の王子様と信じて 世話をしてくれたんだ」
俺は、(多分、俺らしくなく)そんなことを、迎えの二人に――それは俺自身の罪悪感を薄れさせるための独り言だったのかもしれないが――呟いた。
無駄に長い髪の男が、小声で、
「世話になったのか?」
と、俺に問うてくる。
俺が頷くと、その長髪男は、俺の背中を ぽんと軽く叩いてから、空想好きの小間使いの方に引き返していって――そして、一層 小さく低い声で 彼女に言ったんだ。
「殿下が お世話になりました。このことは ご内密に」
と。
そう言ってから、彼女の手に何か――金の指輪?――を握らせた。
途端に、それまで暗く沈んでいた彼女の顔が ぱっと明るくなる。

その数秒間の出来事で、俺は 再び自分が何者なのかが わからなくなり、キツネにつままれたような気分になったんだが、それでも――そんな俺にも確信を持って断言できることが一つ。
彼女は、高価な金の指輪を貰えたことが嬉しかったんじゃない。
俺が『殿下』と呼ばれる身分の人間だったことが嬉しかったんだ。
きっと彼女は、これからも、俺が どこの国の王子様なのかと思いを巡らせ、あれこれとドラマチックな俺の境遇を空想しながら、律儀に誠実に、この城での退屈な務めを果たし続けていくんだろう。

「いつまでも、お元気でー!」
城の外まで出てきてくれた彼女の嬉しそうな声に見送られ、そうして 俺と迎えの二人は 小さな永世中立国をあとにしたんだ。
そういえば俺は 彼女の名も聞いていなかったと、そんなことを思いながら。






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