「どうした。具合いでも悪いのか」 瞬は、瞬が感じた憂鬱を隠し通すことができなかった――氷河に気取られてしまったらしい。 心配顔で、氷河が その手を瞬の頬にのばしてくる。 「ううん、大丈夫……」 氷河の身には どんな異変も起きていないというのなら、我が身に起きた異変のことは 仲間たちには知らせずにいた方がいいのかもしれない。 実害がないのなら 余計な心配はさせたくないと、氷河の気遣わしげな青い瞳を見て、瞬は思ったのである。 そんな瞬の頬に、氷河の手が触れる。 その途端、瞬の中で、とんでもない記憶が目を覚ました。 (え……えっ !? ) 戦い――おそらく、これからアンドロメダ座の聖闘士が氷河と共に戦うことになる戦い。 少しずつ大人になっていく氷河。 氷河と一緒に、氷河と同じだけ、瞬も大人になっていく。 大人になっていく瞬を見詰める氷河の眼差しは、冷たさと熱さを増し――。 瞬の中に 突然追加保存された未来の記憶は、明瞭な映像記憶ではなく、あくまで、“未来の瞬”が見聞した事柄が 意識や印象として再構築されたものだった。 大人になっていく氷河の姿は 曖昧でぼんやりしていた。 その氷河の眼差しの印象だけが、恐ろしく強く激しい。 大人になった氷河が、瞬の記憶の中で何か言っている――。 『瞬、俺は――』 眼差しと同じように、熱く深い声の響き。 氷河の心が、彼の眼差しや声に熱を帯びさせている。 『俺は、おまえを――』 氷河は、何を言おうしているのか。 『俺は、おまえなしでは』 否、彼は言おうとしているのではない、 彼は言ったのだ。 “未来の氷河”は“未来の瞬”に、そう言った。 『瞬。俺は おまえを愛しているんだ』 なぜ氷河は そんなことを言ったのか。 どういう経緯で“未来の氷河”は“未来の瞬”に そんな言葉を告げることになったのか。 氷河ならぬ身の瞬には、それは わからなかった。 瞬に わかるのは、未来の自分が未来の氷河に そう言われたということだけ。 氷河のその言葉に、“未来の瞬”が何と答えたのかのかも、瞬には わからなかった。 もしかしたら、“未来の瞬”は何も答えなかった――少なくとも 言葉では何も答えなかったのかもしれない。 そう告げられて驚いたこと、不快に思わなかったこと、むしろ 嬉しいと感じたことは わかるのだが、それは実際に自分で経験したことではないので――“そういうことがあった”という記憶を与えられただけなので――その時の自分の心情を 実感として感じることは、瞬にはできなかったのだ。 記憶と感情の不整合のせいなのか、くらくらと 軽い目眩いに襲われる。 これは本当に これから起こる未来の記憶なのだろうか。 瞬は、混乱し、戸惑い、頭を振って、その目眩いを払いのけようとした。 できれば、実際に経験していないことの記憶など、今すぐ消し去りたい。 記憶しかない――記憶だけがあるという現象は、瞬の心と思考と感情を平静でなくした。 頭の中で不協和音が鳴り響いているような不快に、瞬は襲われていた。 (え…… !? ) 次に瞬に襲いかかってきたのは、ふいに身体の奥が熱くなった記憶だった。 心や思考や感情は、突然 増えた記憶についていけずにいるのに、身体は――五感は――すぐに その記憶と響き合い、“今”の瞬の身体までが 記憶に引きずられるように反応を示し始める。 『自業自得だ、我慢しろ』 氷河が“瞬”に そう言っていた。 優しく からかうように、それでいて、その言葉は“瞬”を突き放すような響きも帯びている。 それが いつのことなのかを知ることは無理そうだった。 では、どこで? それを確かめるようとして、記憶の周辺を探る。 そこは、見知らぬ部屋の見知らぬベッドの上だった。 大人の姿をした氷河の背に、大人の姿をした自分の白い腕が まわされていることがわかる。 それは、前後に――それとも上下になのか? ――激しい律動を繰り返す氷河に振り落とされまいとして、必死に氷河の背に しがみついていた。 氷河の肌の感触、その熱を、氷河に絡みついている瞬の腕が 記憶として憶えている。 それ以上に熱いところ。 火傷のそれに似た痛み。 今の瞬の身体が 実際に経験していない記憶との同期を取ろうとして――あるいは、その記憶に刺激されて――瞬の意思を無視し 勝手に疼き始め、そんな自分の身体の反応に、瞬は悲鳴をあげそうになった。 『散々 待たされたんだ。これくらい』 『おまえ、意識して こんなことをしているのか? それとも無意識なのか? 聖闘士だから? 医者だから? おまえが特別なのか? すごいな。おまえの中――』 (な……何? 何なの、これ……) 氷河の声と言葉は、明瞭な記憶として 瞬の中に存在している。 だが、姿は見えない。 未来の瞬は、固く目を閉じているのだ。 今の瞬に与えられたのは、未来の瞬が 目を閉じて思い描いた氷河の姿。 鋭く、冷たく、それでいて温かい、青い瞳――真っ青な瞳。 氷河が動くたび、加重と軽減を繰り返す、氷河の身体の重み。その圧迫感。 未来の瞬は、氷河に組み敷かれているようだった。 触れ合う肌の感触から察するに、全裸で。 これが本当に氷雪の聖闘士のものなのかと疑いたくなるほど、氷河の肌は熱い。 どこも かしこも熱い。 最も熱いのは、痛みを伴っているせいもあって、氷河が瞬の中にいる部分。 時折 かすれた声になる氷河の囁きは、瞬を からかうような、だが 心底から驚いているような――そもそも それは囁きなのか、呻きなのか、今の瞬には――子供の瞬には――判断しきれなかった。 『自分のことなのに、おまえは 自分の外側の美しさしか知らないんだろう? すごいぞ、瞬。おまえの中。すごく、いい』 嬉しそうに、楽しそうに、氷河は何を言っているのだろう。 (今の)自分には理解できない氷河の言葉を それ以上聞いていられなくなって、瞬は 彼の声を 自分の声で打ち消そうとした。 「いやっ」 声に出して 拒絶の意を示し、瞬は 氷河の手から逃げ出した――後方に身を引いた。 |