聖闘士になった瞬の戦いは、アンドロメダ島でハーデスが言った通り、アテナをアテナとして聖域に迎え入れようとしない勢力との戦いから始まった。 暗黒聖闘士、白銀聖闘士、そして聖域へ。 アテナと彼女を奉じる青銅聖闘士たちを排除するために、次々に襲いかかってくる教皇の刺客たち。 再会した仲間たちと共に力を合わせ、時に助け、時に助けられながら、アテナの聖闘士としての戦いを重ねる中で、瞬は仲間たちとの信頼と絆を深め、強めていった。 『そなたの仲間たちが全員 揃わなければ、アテナはアテナとしての力を振るうことができないのだ』 聖域に 足を踏み入れ 黄金聖闘士たちとの戦いに臨む頃には、瞬は、少なくとも ハーデスの あの言葉だけは真実だった――と思うようになっていた。 兄と星矢、紫龍、氷河、そして自分。 その中の誰か一人でも欠けていたら、自分たちは そもそも この聖域での戦いを始めることさえできなかっただろう――と思う。 そして、ハーデスの その言葉が真実を語っていたのなら、 『アテナがアテナたり得ない世界では、そなたの仲間たちは死ぬしかない』 というハーデスの言葉も真実のはず。 つまり、アテナがアテナたり得る世界では 瞬の仲間たちは死なずに済む――のだ。 アテナの聖域降臨を阻む教皇を倒し、アテナが 地上世界を守る女神として、聖闘士たちを統べる者として認められれば、仲間たちの命は アテナの力によって守られる――。 瞬の その思いを確信に変えたのは、天秤宮で 氷の棺に閉じ込められた氷河の姿を見た時。 アンドロメダ島でハーデスによって見せられたものと寸分違わぬ光景を、幻影としてではなく 実像として自分の目で見た時。 この時のために、氷河を救うために、瞬は聖闘士になったのだ。 黄金聖闘士の生んだ凍気に打ち克てる自信はなかったが、その戦いに挑むことに 瞬は一瞬の ためらいも覚えなかった。 “瞬”は、この時のために生きてきた。 アンドロメダ座の聖闘士は、この時のために戦い続けてきたのだ。 多くの敵を傷付け、倒しながら。 「氷河……」 “この敵を倒さなければ 自分は死ぬ”と わかっている戦いにおいても、どうしても解放しきれなかった自らの小宇宙を、初めて、どんな ためらいも覚えることなく解放する。 『瞬……』 友の小宇宙に包まれ、再び生きることを決意してくれた氷河の小宇宙に 名を呼ばれた時、自分の選択は間違っていなかったと、少なくとも これまで生き延び 戦い続けてきたことに後悔はないと、瞬は幸福な気持ちで思ったのである。 つらい戦いを重ねるうちに、かけがえのないものとなってしまった仲間たち。 彼等との友情、彼等との絆は、瞬には もう捨てられそうになかった。 それらのものを、自ら断ち切ることはできない。 そうすることができないほど、仲間たちとの絆は瞬の命そのものになっていた。 誰かに断ち切ってもらわなければ 離れられないものに。 これまで対峙した敵たちは、瞬が『戦いたくない。戦いをやめて』と どれほど訴えても、瞬に拳を向けてきた。 仲間たちを救うため、アテナがアテナたり得る世界を実現するため、瞬は何としても彼等を倒さなければならなかった。 そうしなければ、仲間たちが傷付くから。 地上世界に生きている、戦う術を持たない無辜の人々が傷付くことになるから。 だから 瞬は、アテナとアテナの聖闘士たちの行く手を遮る敵たちを倒してきた。 だが、これ以上は。 十二宮 最後の宮で魚座の黄金聖闘士に相対した時、瞬の胸には アンドロメダ島でハーデスに出会った時と同じような――だが正反対の――思いが たゆたっていた。 星矢は教皇の許に向かっている。 星矢なら必ず アテナを守り、救ってくれるだろう。 アテナがアテナたり得る世界は確実に実現する。 アテナは、彼女のために戦い傷付いた聖闘士たちを救ってくれるだろう。 これから 本当に始まるはずの“地上の平和”を守るための戦いにおいて、彼女の聖闘士たちを守ってくれるだろう。 自分がアテナの聖闘士になった目的は果たされた。 もう自分は死んでもいいのだ――。 そんな気持ちが、瞬の胸の中にはあった。 誰かに断ち切ってもらわなければ――自分の手では どうしても断ち切れない――仲間たちのとの絆。 自分が生き続けることは、おそらくアテナの敵である冥府の王を利することになるだろうという、つらい予感。 瞬は、自分を殺してほしいという思いを抱いて、魚座の黄金聖闘士との戦いを始めたのである。 その戦いが相討ちで終わった時、瞬は、その結末を 起こり得る中で最善の結末だと思った。 だが。 アテナがアテナたり得る世界の実現のために戦って傷付き倒れた仲間たちは、アテナが救ってくれるだろう。 そう思ってはいたが、瞬はまさか、彼女がアンドロメダ座の聖闘士をも死の淵から呼び戻すとは考えてもいなかったのである。 神である彼女なら、アンドロメダ座の聖闘士が 彼女の敵である神と何らかの関わりがあることに気付いているに違いないと思っていたから。 しかし、彼女は アンドロメダ座の聖闘士の命をも救ってしまった。 彼女の振舞いに、瞬は困惑せずにはいられなかったのである。 彼女は気付いていないのだろうか。 だから彼女は アンドロメダ座の聖闘士を救ってしまったのだろうか――? アテナに直接 尋ねることもできず――瞬は困惑に囚われたまま、彼女の聖闘士としての戦いを続けることになった。 十二宮の戦いが終わってからも、アテナの聖闘士たちの戦いは続いていた。 瞬が対峙した“敵”の中には、瞬と瞬の仲間たちの絆を断ち切るだけの力を持つ者も 複数いた。 否、“瞬”の代わりに その仕事をする者に 力など必要なかったのである。 瞬が抵抗しさえしなければ、その仕事は 幼い子供にでも成し遂げられることなのだから。 にもかかわらず、瞬が“敵”と戦ったのは――戦い続けたのは――氷河のせいだった。 “瞬”を見詰める氷河の眼差しのせい。 凍気を操る氷雪の聖闘士の眼差し。 その眼差しの熱さに触れると、瞬の中には『生きていたい』という強い願いが生まれてくる。 その願いは、瞬が敵に倒されなければならない場面で、瞬を潔く死なせてくれなかった。 『僕は生きていたいんだ!』 と、瞬の心が 瞬に反抗してくるのだ。 そして、瞬は、自分の心に逆らうことが、どうしてもできなかった。 アスガルドでの戦い。 海皇ポセイドンとの戦い。 瞬は神闘士、海将軍たちとの戦いを戦い、生き延び続けた。 だが、海皇ポセイドンに従う海将軍たちとの戦いが終わり、自身の周囲に冥府の王の気配を感じることが頻繁になってきた頃。 『氷河のためにも、僕は死ななきゃならないんだよ。わかるでしょう?』 瞬は、なんとか 自分の心を説得することに成功した。 |