史書には、『人間のために地上世界を創った時、神々は そこに100の王国を建てた』と記されている。 100の王国、100の王室。 国の王となることができるのは、国の王の血を引く王子のみ。 王の血筋が途絶えた時、その国は他国の王の支配下に入り、統合される。 そして、各王国の王と王子の命を奪うことができるのは、時間と、自然と、他国もしくは自国の王と王の血を引いた王子のみ。 それが、100の国の王室に、神々が与えた掟だった。 人間の世界を創った時、神々が人間たちに贈った言葉は、『100の王国よ、富み栄えよ』だったという。 神々に『富み栄えよ』と寿がれて 誕生した100の王国。 数千年前に100あった王国は、だが、今では10にも足りない。 そして、その10にも足りない王国が南北2つの大国の いずれかの陣営に属して存続している。 王国の数が10分の1以下にまで減ったのは、直接的には国と国の間で繰り返された戦のせいだったが、間接的には、神々が各王室の王子に与える祝福のせいだった。 神々の祝福が、その国への呪詛になる。 この地上には、そう考えている者が少なからずいた。 各王国の王に男子が生まれると、神々は その王子に祝福を授けることになっていた。 両親の望む美質を一つだけ。 たとえば、地上で最高の富。 たとえば、地上で最高の権力。 たとえば、地上で最高の名誉。 いずれ その王国の統治者になるだろう幼い王子に与えられた美質は、王子が長じてのち、その国の命運を大きく左右することになる。 王子の両親が我が子に どんな美質を望むか。 それは、王子誕生の贈り物であると同時に、王子の両親である王夫妻の知恵と愛情が試される難事でもあった。 間違ったもの、時勢にそぐわないものを我が子に望むと、最悪の場合、その王子は 自分の国を滅ぼしてしまうことにもなりかねなかったから。 たとえば、かつて 我が子に 地上で最高の富を願った王夫妻がいた。 願い通り、莫大な富を与えられた王子は、王になった時、地上最高の武力を与えられた王子が率いる軍隊によって自国を滅ぼされた。 滅びた王国の城には、金銀宝石が路傍の石のように ごろごろこと転がっていたが、それらは すべて侵略国の軍兵たちに持ち去られ四散したという。 地上最高の武力を与えられた王子は、王位に就いてまもなく、世界一巧みな剣術の能力を授かった王子の剣に命を奪われた。 王を失い 王の血筋の途絶えた その国は、まもなく他国に併合された。 あるいは。 地上の覇者になることは最高の名誉だろうと考えた両親の願いによって、神々から最高の名誉を約束された王子がいた。 長じて王位に就いてから、彼は、乾いた土地に水を引く灌漑事業に尽力したのだが、その視察の際、川に落ちた子供を救おうとして急流に呑まれ、命を落としてしまった。 世界中の人々が彼の為した気高い行為を称賛したが、後継者のいなかった彼の国は他国の王のものになった。 最高の幸福を約束された王子もいたが、彼は 王子の地位を捨て、つましい生活の中、誰にも知られず 平穏な生活に満足して その一生を終えたという。 “地上世界のすべてを支配する力”と“永遠の命”以外は、ほぼ王夫妻の望む通りに与えられる神々の祝福。 時に 両親の望む通りにではないことはあったにせよ、それは、必ず実現される王子の宿命だった。 北の王国の王子・氷河に、神々によって与えられた祝福は、“その行く手に立ち塞がる どんな敵をも打ち倒すことのできる力”だった。 氷河が生まれた時、父王は、我が子に“地上で最も強い男になること”を望んだのだが、神々は その祝福は 既に他国の王子に与えられており、二重に与えられることはできないと告げて、彼の願いを退けた。 氷河の父王が、“地上で最も強い男になること”の代わりに 我が子に望んだ祝福が それだったのだ。 その氷河の父王が 神々に与えられていた祝福は、“自国を決して滅ぼさない力”だった。 神々の祝福は絶対で、もちろん その祝福は実現された。 氷河の父王が病で亡くなった時、彼が守り抜いた北の王国は、確かに彼の子に受け継がれたのである。 氷河が北の王国の王位に就いて まもなく、若く 統治者としての経験が浅い氷河を侮って攻めてきた国が幾つかあったが、氷河は それらの“敵”を ことごとく打ち倒し、自国の領土を拡大した。 人々は 敗北を知らない氷河を“無敵の王”と讃え 恐れたが、他国に“最強の王”がいることを、氷河は知っていた。 氷河は、その事実を、夫の死後 まもなく病の床に就いた母から知らされたのである。 氷河が生まれた時、父王が 我が子に“地上で最も強い男になること”を望み、だが、その祝福は既に他国の王子に与えられていると、神々に告げられたこと。 つまり、氷河より早く生まれた王子(もしくは王)の中に、“地上で最も強い男”がいることを。 もし その王子(もしくは王)が既に死んでいても、その後 生まれた王子の中に“地上で最も強い男になる”という祝福を与えられた王子がいるかもしれない――と。 「氷河は どんな敵をも打ち倒す力を持っているわ。けれど、いつか 地上で最も強い王子に出会うことがあるかもしれない。そんな二人が戦った時、その戦いに どんな結末が訪れるのかは、私には わからない。でも、最悪の結果を避ける方法なら、私にも わかっているわ。その王子と争わなければいいのよ。だから、氷河。最強の王子と出会った時、その王子と争わないで済むように、他国とは 努めて事を構えないようになさい。可能な限り、平和を望みなさい。栄華より、勝利より、平和には価値があります。氷河の幸せだけが、マーマの望みよ」 それが、氷河の母の最期の言葉だった。 母を深く愛していた氷河は、母の望みに沿うべく、でき得る限りの努力をした。 氷河は どんな時にも第一に平和を望んだのである。 だが、氷河が どれほど平和を望んでも、敵は現れた。 氷河は、自国を守るために それらの敵を倒さなければならなかった。 “敵”として 氷河に立ち向かってきた近隣の国は、もちろん すべて 氷河の足元に ひれ伏すことになった。 氷河は、神々から“その行く手に立ち塞がる どんな敵をも打ち倒すことのできる力”を与えられていたから。 そうして、氷河が王位に就いて2年も経たないうちに、地上に存在する国の中では中規模の国だった氷河の国は、北の大国と呼ばれるほど強大な国になったのである。 誰もが氷河を“無敵の王”と呼び讃えたが、氷河は どんな勝利の中にあっても、この地上のどこかに“地上で最も強い男”がいることを、一瞬たりとも忘れたことはなかった。 “地上で最も強い男”が、もし 現在 この地上世界にいるのなら、それは 氷河が治める北の大国に対抗できるほどの国力と国土を持つ南の大国の王だろうと、氷河は考えていた。 氷河の即位に半年ほど先立って 即位した南の国の王は、鬼神のように強く、周辺の対立国を ことごとく退けていた。 氷河が世界の北方で成し遂げた為業と同じことを、彼は世界の南方で成し遂げた。 否、時系列的には むしろ、南の大国の王が 南方で成し遂げた為業と同じことを、氷河が北方で成し遂げたと言う方が正しいだろう。 氷河の治める国が“北の大国”と呼ばれるようになったのも、南の国が“南の大国”と呼ばれるようになったことに倣ってのことだったのだ。 しかし、南の大国の王が“地上で最も強い男”だということは、氷河の推察にすぎない。 そして、氷河の推察が正鵠を射たものなのか そうでないのかの確認は 容易にできることではなかった。 自国の王や王子が 神々に与えられた祝福の内容は、どの国の王室も公表していなかったのだ。 ある王子が神々によって与えられた力は その王子の強みであるが、同時に それは彼の弱みにもなり得るものだから。 たとえば、“どんな剣にも刺し貫かれることのない力”を備えている王子がいたら、『では 彼には弓を射掛けよう』ということになる。 祝福の内容は、公表して 他国への牽制に役立てることもできるかもしれないが、それには危険が伴う。 否、危険の方が大きい。 事実とは異なる偽りの力を公表する国もあるかもしれない。 そういった様々の要因によって、神々が王や王子に与えた祝福の内容は非公開――秘密とすることが 世界の慣習となっていた。 そして、秘密は疑心暗鬼を生む。 氷河の王位即位から3年後。 南北の大国以外に 唯一残っていた 最後の完全独立国が 南の大国の従属国になり、地上に北の大国と その従属国、南の大国と その従属国しか存在しなくなった時、『南の国に事実を探りに行ってはどうか』と、氷河に提案してきたのは 氷河の従兄のアイザックだった。 アイザックは、氷河の父の弟の子で、氷河より1歳年長なのだが、王子ではないので(王家の血は引いているが、王の子ではないので)、神々の祝福を受けられず、王位に就くことのできない立場にある。 だが アイザックは極めて上昇志向が強く 野心的な男で、彼は その野心の実現を 氷河に託しているようなところがあった。 “地上で最も強い男”が誰なのかを知りたい気持ちはあったが、“探りに行く”という言葉が不快で、氷河は アイザックの提案に あまり気乗りがしなかったのである。 だが、“地上で最も強い男”が誰なのかを確かめることができれば、軍事分野での国策決定を誤らずに済むだろうと アイザックに説得され、“故国のために”氷河はアイザックの提案を実行することにしたのだった。 建前は、『世界の平和のために、南北の大国同士で友好を結びたい』。 実情は、『自国の国益のための事実確認』。 『南の大国の王を、北の国に招待したい』ではなく、『北の国の国王は、南の大国を訪問したい』だったせいか、氷河の申し出は すんなりと受け入れられた。 事を構えるつもりはなかったので、僅か10人ほどの供回りだけで、氷河は“地上で最も強い男”が統治しているのかもしれない南の大国に出掛けていったのである。 そこで、神々に与えられる祝福より重大な運命に出会うことも知らずに。 |