「では、やはり、おまえの兄が……?」
瞬の兄が神々から与えられた力が何なのかを知りたくて、氷河は瞬に そう問うたわけではなかった。
瞬から返ってくる答えが『答えられません』でも、氷河は一向に構わなかった。
実際 瞬は、そう答えようとしたようだった。
しかし 瞬は―― 一瞬 ためらう素振りは見せたものの、氷河に明快な答えを返してきた。
「僕の兄が神々から授けられた力は、復活の力――“どんな試練からも必ず立ち直る力”です」
「じゃあ、やはり おまえこそが 最強の力を与えられた者なのか」
氷河が 瞬に その質問を発したのも、瞬の力の内容を知りたいと思ったからではなかった。
もちろん、返ってくる答えが『答えられません』でも、氷河は一向に構わなかった。

氷河は ただ、瞬に知らせたかっただけだったのだ。
「俺は、おまえを愛しているんだ。おまえを愛し続けるためになら、神々から授けられた力を 神々に返上してもいい。王でなくなってもいい。国もいらない」
という、自分の気持ちを。
瞬は、その気持ちを受け入れてくれなかったが。
「だめです。氷河の国は、氷河のお母様が愛した国でしょう」
氷河と氷河の母への思い遣りから出た言葉だったとしても、冷たい言葉。
それを拒絶の言葉と解して 唇を きつく噛みしめた氷河を、瞬が 切なげな瞳で見詰めてくる。
そして 瞬は、愛を受け入れる言葉より 勇気ある言葉を、氷河に手渡してきた。

「僕が生まれた時、僕の両親は、僕のために 神々に どんな力も望まなかったんです。あるがまま――どんな生き方をするにしても、自分の意思で、自分の力で生きてほしいと考えて」
それは大変な勇気を要する告白だったろう。
少なくとも 氷河は そう思った。
瞬は、自分には何の力もないと言っているのだ。
が、瞬は そう考えてはいないようだった。

「僕の兄には、どんな試練からも必ず立ち直る力が与えられています。兄は 僕がまだ母の胎内にいた頃、事故で足に大怪我をして、1ヶ月ほど歩くことができなくなったことがあったんです。怪我が完治してからも――歩けるようになったはずなのに歩けなくて――お医者様は、兄が歩けない原因は その心にあるのだと言っていたそうです。『もし 以前のように歩けなかったら』という不安が、兄の心底にあるせいだろうと。けれど、兄は勇気を出して歩行の訓練を始め、以前以上に歩けるようになりました。その時、兄は 僅か3歳。両親は、兄の勇気と努力を褒めたそうですよ。でも、兄は、それは神の祝福の力のせいだろうと答え、自分の勇気と努力を価値あるものと考えなかった。僕たちの両親は、その時、神によって与えられる様々な祝福は かえって人間に害を為すものなのではないかと考えるようになったのだそうです」

「おまえに与えられた祝福は、美しさでも 優しさでも 魅了の力でもないのか……?」
それすらも、瞬が 自らで自らの内に培ったものだというのか。
だとしたら、それは驚くべきことである。
瞬は、それには何も答えなかった。
「僕には、兄の気持ちがわかる。両親の気持ちがわかる。自分の力で手に入れたものではなく、神々に与えられた強さ、美しさ、優しさ。人間なら、そんなものに誇りを持つことはできないでしょう。誇りを持てない人間を見ているのは悲しい」
「……」

氷河にとっては、恋の障害でしかない瞬の兄。
だが、彼は、北の国の王などより よほど真摯に 自らの生に対峙しているらしい。
改めて考えてみれば、氷河自身、神々に与えられた力に誇らしさを感じたことはなかったが、それを当たりまえのことだとは思っていたのだ。
その力を無価値と思ったことはない。
まして“悲しい”などという感情を抱いたことなど、一瞬たりともなかった。

「僕には 神々からの祝福は与えられていません。そういう意味で、僕は王子ではない。神々に祝福を与えられない庶民と同じです」
「……」
“力”を誇らしいと感じたことはない。
“力”を与えられない者の気持ちを考えたこともない。
“力”を与えられていないアイザックが ごく身近にいたというのに。
与えられたものを、与えられたまま受け入れただけ。
それは 何と傲慢なことだったろう。

「昔、地上で最高の美しさを授けられた王子がいて、でも、彼は 美しすぎて、多くの人に憎まれたそうですよ。特に女性に。彼がいる限り、彼より美しくなることができませんから。彼は、彼が愛した人にも愛してもらえなかった。地上で最も優しい心を持った王子がいたという話は聞いたことがありませんが、もし そんな王子がいたとしたら、彼は、彼より優しい人間が地上に現れることを阻害する存在だったでしょう。強さも美しさも優しさも――神から与えられたものは、その王子と地上のすべての人間の自由を阻害する」
「……」
そんなことを、氷河は考えたこともなかった。

「強い王子は、弱くなることができない。美しい王子は醜くなることができない。優しい王子は冷酷になることができない。そうなりたいと望んでも、そうならなければならない時にも。神々の祝福は 彼の自由を許さないんです。神々に与えられた力は、その力を与えられた者の自由を制限する」
なぜ これまで考えずにいられなかったのか。
そんなことを 何も考えずにいられた昨日までの自分が、氷河は不思議でならなかった。

「氷河の力も例外ではありません。氷河がもし ある敵に倒されたいと思っても、氷河は その敵に倒されることができない。氷河にその自由はないんですから」
もし 瞬が敵として 北の国の王の前に立ったら、北の国の王は 瞬を倒さなければならない。
氷河は、自らに課せられた“不自由”に ぞっとした。

「おまえの美しさも優しさも おまえ自身が おまえの力で育んだものだから――だから 俺は おまえに惹かれ、こんなに愛してしまったんだな」
自らの不自由は恨めしかったが、瞬の自由は嬉しい。
複雑この上ない気持ちで、氷河は得心した。
自身の恋も 腑に落ちた。
が、神々に力を与えられなかった男は、そうはいかなかったらしい。
アイザックが 瞬に噛みついていく。
「嘘をつくな! そんなことは、嘘に決まっている! この地上に王子や国王は数えるほどしかいない。この南の国の王がそうでないのなら、いったい誰が この地上で最も強い者なんだ!」
「アイザック……!」

アイザックは 神々の祝福を与えられた王でも王子でもない。
彼自身は 地上世界の支配者どころか、一国の王にもなれない。
だが、だからこそ、アイザックは 氷河より一層 野心的。
氷河が 自らに与えられた力を“不自由”と感じるのは、その力を与えられた人間だからである。
与えられなかった人間には、与えられなかったがゆえに 叶えられなかった望みがあり、与えられなかった人間には 与えられなかったことこそが“不自由”なのだ。
神々に与えられた力を“不自由”と感じる王や王子は、アイザックにとっては、彼の自由を阻害する忌々しい存在なのだろう。
だから、彼の声は 怒りに満ちている。
そんなアイザックに比して、瞬の声音は――アイザック同様“与えられなかった者”だというのに――静かで穏やかだった。

「その力を持つ者は もういません。それは、僕の亡くなった父に与えられた力でした。氷河が生まれた時にはまだ 僕の父が存命でしたから、氷河は その力を得られなかったんでしょう。もちろん、僕の兄も その力を得ることはできなかったんです」
「だが、瞬。おまえの父の死後、別の誰かが その力を望んだ――という可能性は……」
「氷河。それは――」
アイザックの憤りや不信に同調するわけではないが、南北の大国の王室以外にも その力を望む者は いくらでもいるだろう。
南北の大国の軍事力・政治力に屈した幾つかの小国が 従属国として かろうじて国の命脈を保っている現在、起死回生の巻き返しを願って、我が子に その力を望む王は必ずいるに違いない。
そう考えて、氷河は瞬に尋ねた。
瞬が返答に困ったような顔になり、氷河への答えは、瞬ではない者から返ってきた。






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