カミュが何者であるのかを、氷河は知らなかった。 血のつながらない遠い親戚、あるいは 亡き母に関わりのある人間、もしかしたら 氷河自身は顔も知らない父に ゆかりのある人間。 そんなところなのだろうと 勝手に推察してはいたが、事実そうなのかどうかは定かではない。 カミュが語ろうとしないので、氷河は詮索をしなかった。 そんなことは、わざわざ確認しなくても、氷河の生活に支障の出ることではなかったから。 彼――カミュは、ある日 ふらりとシベリアにやってきて、何か思うところがあったのか、それとも 単なる酔狂だったのか、氷河を掴まえ、氷河に妙な技を教えてくれた。 彼の目的が何なのかは わからなかったのだが、彼が伝授してくれた技は、シベリアで様々な野生動物を狩り、その皮や肉を売ったり食したりして生きていた氷河には非常に有益な技だったので、氷河は 有難く その技を伝授されてやったのである。 自分の意思で、自在に凍気を生む技。 その技を会得すれば、会得した人間は、毛皮に傷をつけることなく テンやキツネを狩ることができた。 氷河は、カミュを、どこか別の土地で活動していた、特殊な技能を身につけた 凄腕のハンターなのだろうと 考えていた。 氷河が そんなカミュの養子になったのは、身元をはっきりさせて しかるべきところに登録していない者の行なう猟は密猟になり、その行為を行なった者は犯罪者と見なされるという 社会の仕組みを知らされたからだった。 孤児だった氷河は、いわば 身元保証人を得るために カミュの養子になったのである。 その際、氷河は、カミュがロシアに帰化したフランス人だったことを知った。 その事実を知った氷河が思ったことは、では カミュは自分の父に ゆかりのある人物だという可能性はなくなった――ということ。 氷河の父は日本人だった(と、氷河は聞いていた)。 父が現在も生存しているのか、既に亡くなっているのかも、氷河は知らなかったが。 氷河の母が死んだのは十数年前。母子が日本に渡ろうとした際の船の事故。 少なくとも、その時までは 父は生きていた――もしくは、死の直後だったのではないかと、氷河は察していた。 船の事故のあと、氷河に対して、日本からの接触はなかった。 母子共に死亡したと思ったのか、母子共に死んだことにした方が都合がよかったからなのか。 もし父が生きていて、我が子に対して少しでも愛情か関心を抱いていたのであれば、彼は息子を捜しにロシアに来ていただろうから、父は既に死亡していたか、我が子と その母親を愛していなかったのだろうと判断し、氷河は日本という国と決別した。 以来、氷河は 一人で生きてきたのである。 社会の枠組みに 収まらなければ、それは容易なことだった。 母親から、ロシア語と日本語の読み書きは教えてもらっていたので、近隣の村の者たちとコミュニケーションを取ることはできたし、美しい毛皮が 自分の半月分の食糧と同等の価値を持っていることも、氷河は知っていたので。 母の死後、氷河が生きていくのに必要だったものは、体力と運動能力、動物の生態についての知識だけだった。 そして、氷河は それらを有していたのだ。 そんなふうだったので、ある日 カミュが 忽然と姿を消しても、氷河は何とも思わなかったのである。 カミュが不在でも、氷河の日々の暮らしは 何も変わらなかったから。 半年ほど、カミュからの連絡はなかった。 半年の空白の後、春になっていたシベリアに カミュの遺言執行者だという初老の男が現われて、『カミュが死んだと判断されるので 彼の遺産を相続してほしい』と、氷河に言ってきた。 カミュが 彼の養子である氷河に残した遺産の額は、概算で600億ルーブル。 標準的ロシア人の700人分の生涯賃金、バチカン市国の1年間の国家予算に相当する額だった(と、カミュの使いだという男は 氷河に説明した)。 フランス人であるカミュが ロシアに帰化したのは、彼が財を成したのがロシアだったという理由もあっただろうが、フランスの相続税率は相続額の40パーセント、それに比して、ロシアでは相続に税が課せられないという事情もあったのだろうと、カミュの遺言執行者は告げた。 「つまり、カミュ氏の遺産は丸々 あなたのもの。今や あなたは、個人としては ロシアで十指に入る資産家です」 と。 まるで、訳がわからない。 そもそも『死んだと判断される』とは、どういうことなのか。 氷河は、カミュの遺言執行者に問うたのだが、彼の答えは、 「言葉の通りです」 というもので、氷河も 彼の言葉を 言葉の通りに受け取るしかなかった。 ともかく、そういう経緯で、氷河は、ある日 突然 とんでもない大金持ちになったのである。 が。 つい この間まで シベリアの雪原でテンやキツネを追いかけていた成人前の子供が、『今日から あなたはロシアで十指に入る富豪になりました』と言われたところで、何ができるだろう。 600億ルーブルが600ルーブルだったら、よく切れるナイフかパンでも買いに行く。 とはいえ、ナイフは1本あれば十分、パンも数日分あれば十分。 600億ルーブルという遺産は、あまりに額が大きすぎて、どう使えばいいのかが、氷河には まるで わからなかったのである。 とりあえず、カミュのロシアでの住居のあるペテルスブルクに来るように、遺言執行者に求められ、氷河は 興味本位で その求めに応じた。 そこで 氷河が見ることになったのは、シベリアで氷河が暮らしている小屋が50個は収まるのではないかと思える大邸宅。 氷河の小屋が小さすぎたのか、カミュの家が大きすぎるのか。 氷河は そんなことを考え、考え続けることを5分でやめた。 その答えを得たところで 大邸宅が 適度な大きさの家になってくれるわけではないのだということに気付いて。 何より、氷河には、そんなことを優雅に考えている時間が与えられなかったのである。 いったい どうして そんなことが起きるのかは わからなかったが、氷河がペテルスブルクの屋敷に到着した翌日から、“氷河の”屋敷には 毎日複数の客が押しかけてくるようになったのだ。 それらの客の大部分が、自らの事業や才能への投資を求めるもの。 彼等が自分を 世の中のことを何も知らない野生児と侮っていることに気付いた氷河は、彼等の侮りを逆手に取り、自分は野生児だから何もわからないと言い張って、彼等の持ち出す書類へのサインを すべて断った。 投資話を持って近付いてくる者たちの次にやってきたのは、氷河の母方の遠い親戚と 父方の遠い親戚たち。 もちろん、その中には誰一人として、氷河の母に似た美貌の持ち主はいなかったし、日本人の血が入っている者もいなかった。 そういった輩が 氷河から金を巻き上げることを断念し、氷河の屋敷への訪問客が減り始めた頃、今度は氷河の許には 毎日のように 種々のサロンや社交クラブ等への招待状が舞い込むようになった。 氷河は、それまでのシベリアでの生活で、人間は一人では生きていくことができず、ゆえに他者とのコミュニケーションは それなりに必要だということを学んでいた。 だから、最初のうちは 律儀に それらの招待に応じていたのである。 だが、そんな会合やパーティに5、6回も足を運ぶと、氷河には それらの招待の意味がわかってきてしまった。 つまり、巨額の財産を持っている野生児は、彼等にとって ただの野生児ではなく――彼等の娘や妹を資産家夫人にすることのできる道具だったのだ。 行く先々で 未婚の女性を紹介され、あるいは 女性当人に露骨に誘惑され、更には シベリアからやってきた野生児が どういう種類の女性を伴侶に選ぶのかがペテルスブルクの社交界での恰好の茶話の種になっていることを知って 不快になり、うんざりし、氷河は その手の招待に応じるのをやめた。 にもかかわらず――それでも あの手この手で氷河に近付こうとする者は途絶えることがなく、そういった者たちは、シベリアの雪原で 日々の糧を得るために懸命に働き つましく生きている者たちをしか知らなかった氷河を、深刻な人間不信に陥らせてくれたのである。 氷河に『資産を増やすことに興味はない』と投資話を断られた者たちの中には、『ならば、全財産を しかるべき機関に寄付でもすればいいだろう』という捨て台詞を残していく者もいた。 氷河の胸中には、実は、その通りにして身軽になりたい気持ちもあったのである。 だが、カミュはそうすることをせず、その莫大な遺産を氷河に残した。 その意味を――カミュが 彼の遺産を シベリアの野生児にどう使ってほしいと思っていたのかを――氷河は知りたかったのである。 知ってどうなるものでもないし、カミュが死んだ(と判断される)今、正答を知り得ないことは わかっていた。 それでも 氷河は、自分が 自分に与えられたもので 何かをしなければならないような気がしてならなかった。 |