マンションの周囲に、小宇宙は感じられなかった。
見慣れない黒塗りのセダンが1台、マンション脇の来客用駐車場に停められている。
ナターシャは、黒い大きな車で三人の男たちが来たと言っていた。
この車がマンションの敷地内に入り、その車内から男たちが出る場面を、彼女は瞬の部屋のベランダから見ていたのだろう。
そして、ここが肝心なところだが、その男たちがマンションの建物の中に入り 瞬の部屋の前まで行くことができたということは、男たちが何らかの特殊な力を用いたのでない限り、エントランスのロックを解除したのは瞬だということになる。
つまり、問題の男たちと瞬は面識があり、少なくとも来訪時には彼等は紳士的だったのだ。

が。
いくら紳士的でも男は男。
成人した男を三人も、自分と幼い子供しかいない家に招き入れる行為は、迂闊と評されても仕方のない行為である。
瞬が女性だったなら。
瞬が、アテナの聖闘士――おそらく、この地上で最も強い人間の一人でなかったら。
だが、あいにく、瞬は男子で、しかも 誰よりも強い。
その事実が、瞬を油断させることになったのか――。
そんなことを、頭の中で めまぐるしく考えながら、ともかく氷河は まず自分の部屋に向かったのである。

「ナターシャ!」
「パパーっ!」
氷河がドアを開けるなり、不安な気持ちを抱えながらパパの到着を待っていたのだろうナターシャが、氷河の首に しがみついてきた。
「パパ、マーマを助けてっ!」
「パパが来たから、もう大丈夫だ。パパは強いからな。瞬は――瞬の部屋か」

瞬は、このマンションの別の階に住んでいる。
氷河は同じ階の方がよかったのだが――それどころか、同じ部屋の方がよかったのだが――、ナターシャが氷河の許にやってきた時、同じ階に空いた部屋はなく、『女の子には個室が必要だよ』と言う瞬によって、氷河が提出した同居の提案は却下されてしまったのだ。
以来、ナターシャは、パパの家とマーマの家を行き来する生活を続けている。

「わかった。ナターシャは、ここで――」
「ナターシャも行く!」
マーマが心配だからなのか、一人で残されるのが心細いからなのか、パパと一緒なら恐くないと思うからなのか――ここで待っているようにと言おうとした氷河の言葉を、ナターシャが遮る。
“敵”が地上の平和を乱す者なのであれば、氷河は絶対にナターシャの望みを退けていた。
だが、おそらく 敵は一般人――それも、訪問に際して ケーキと花を持参するような一般人である。
“敵”が瞬の姿にいかれた一般人なのであれば、瞬をマーマと呼ぶ幼い少女の存在は、敵に致命的なダメージを与える武器になるかもしれない。
おそらく、そうだろう。
そう考えて、氷河は、ナターシャを左の腕に抱き上げて、瞬の部屋に向かうことにしたのだった。






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